網野 善彦、鶴見 俊輔著 朝日新聞社
いつも使っているAmazon、検索履歴から、勝手にこちらにオススメの本を見せてくる機能がついてます。で、それが微妙にずれていて(笑)、あまり参考になることが無いのですが、少し気になったのがこの鶴見 俊輔さん繋がりの「歴史の話」、レビューもなかなか好評だったので、読んでみました。
今後、読む予定の本に、患者さん(正確には「患者さんの旦那さん」)からのオススメの宮本 常一さんという方の本があるのですが(図書館にて予約をし、やっと手元に来て今読み始めたところです)、その方の話しを含んだ斬新な歴史を俯瞰する、「日本」という国号に関するスリリングな考察に満ちた鶴見さんと網野さんの対談です。こういう奇妙な出会いの時期と繋がりが縁を感じさせます。
日本という国号が決まる前を、アイヌと琉球王朝を、地方の王を、どう捉えていくのか?という考えたことが無かった視点で語られる、少なくとも3つの王朝(アイヌ、京都の天皇、琉球王朝)があったことから多元的に考える見方というのがとても面白い考え方でした。確かに、ヒトツになる前にはいくつかの王朝があったわけですし、その過程を絞るのにも、いろいろな見方がありそうです。また、その点を考えると、南北朝時という天皇家が分裂したことも、もっと検証に値する出来事だと思います。正統性においてどちらがより正しかったのか?など、気になるところですし、万世一系とはいうものの、本当のところ、どうなのか?は考えてみてもよいと思います。
そして、百姓ということばの意味は農民とイコールではなかったという事実、同じように「日本」、あるいは「日本人」という言葉の持つ範囲を考える上での様々な事柄を扱っていてとても面白かったですし、そこにいわゆる鶴見さんの考え方がフェアで公平であろうという視点が加わって、立体的かつ多面的に物事を考えているようで面白かったです。これはいわゆる「定義づけ」の話しを扱っているようで、「定義づけ」をしてしまい、固定化することで掬えなくなるものについての自覚を求めるところも、心地よい話しでした。
また、日本海を地中海のように捉えて考えるのも、凄く面白そうな考え方のように感じました。おそらくもっと頻繁に古代の日本、朝鮮、中国、そしてロシアは様々な交通があったであろうし、その痕跡が少しづつ見つかりつつあるという事実、渤海国という存在にも、もう少し光が当たって欲しいです。
ただ、ちょっと理解しにくい部分もありまして、どうも共産主義とマルクス主義関連の方が使う言葉の「科学」と言う意味がどうも私の考える「科学」という単語の意味と違っているのではないか?と文脈から感じられました。
学者の世界でも、もちろん戦争の影響は色濃く残っているのだなぁ、と強く意識させられました。そしてやはり鶴見さん、物事に水を差す、根本を揺らす発言が、私は面白いと感じているので、その道の専門家との会話がより面白く感じるのだ、と理解出来ました。一時期テレビのコメンテーターで見かけた(最近はどうなのか分かりませんが)ニューズウィーク編集長の竹田 圭吾さんの発言を私が気になるのも同じ好みだからです、と自覚出来ました。話しの腰を折るだけでなく、根本の問題を揺らす発言、なかなか面白いです。
文化人類学、そして澁澤 敬三、宮本 常一などの民俗学、石母田 正という日本史学者、知らなかったことだらけでしたが、興味もてました。
いろいろな視点を重ねることによって物事を立体的、かつ重層的に見ることでより深く何かを理解したい、という方にオススメ致します。
村上 春樹著 文春文庫
久し振りに読んだ村上さん、今回は何故か?走ることに関連した自分史を語ってくれます。相変わらず読みやすい文章です。
いかにして村上さんが走るようになったのか?また、走る時にどんなことを考えているのか?など、村上さんに興味のある方には面白い内容になっていますが、私も1度はハマリマシタが最近はあまり読んでいない私にも、目新しい情報や考え方はなく、いつもどおりの自己完結性の高い思考回路、通過儀式としては重要と思いますが、留まり続けるのには少し抵抗感もあります。
また、「海辺のカフカ」辺りからでしょうか?どうもコミットメントすることを求めた世界に成り代わっていて、その求める対象があまりに広がってゆくのが、私は多少の違和感を感じます。どうしても私には、村上さんの面白さをどこの誰でも「この主人公は私だ」と思わせる無名性の作家であったからこその物語への吸引力の強さが特筆すべきものであったと思うので。だからこそ自律する主人公が巻き込まれる話し、というワンパターンであっても読ませるチカラがあるのだと(もちろん私にとって、ですが)思うのです。それが段々3人称を扱うことでミニマムな個人の視点が引っ込んで大きな世界を捉えるようになって来ました。それはそれで良いのかもしれませんが、そうするといわゆる「あちらとこちらの世界」に分けられたファンタジーの部分を世界に対しても通用させなければいけなくなり、同時性とか、共有が必要になってきます。が、個人の場合であれば、それこそ「妄想」や「クオリア」のように捉え、現実でなくとも、本人には現実でしかない、というスタンスが取れてリアルであるのに、それを誰かと共有したり、同時性を持たせるのは、まさにファンタジーでしかなくなると思います。ならばリアルとは何か?という問題に突き当たり、何処かで書いておられましたが「パン屋のリアルは小麦粉の中にあるのではなくパンの中にある」というような主旨から離れたのだと思うのです。そして私は残念ながら、その世界に乗れないのです。そうするとどうしても物語の勢いに対して批判性をいちいち感じながら読むことになってしまいますので、面白くないのではないかと思います。その辺まで含めて通過儀式のような世界であったからこそ面白いのだと思います、「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」を頂点として(しかし、それも私が出会って読んだ時期が彼の初期の頃だったことに尽きる、ノスタルジーの問題なのかもしれませんし、私に進歩が無いだけなのかも知れません。)。
そして、いや、だからこそ、村上さんが自作に対しての心情の吐露を含む自分史のような今回のエッセイは何処に向かっているのか?が分かりにくいです。読者に「走る事は素晴らしい」というような共感を求めるものではない、と自身で明かされていますし。その辺の自身の置き所に対してのスタンスの居心地は、大変失礼ながら、村上さんの文章を金井美恵子さんが的確に批評した一文(「目白雑録3」より引用 『いつもの弱い立場にいる自分に読者の共感が集まるようなタッチの文章』)に、村上さんの本の読者でもありながら頷けてしまいます。
とは言いつつも、自作についての考え、アメリカでの生活、走りながら聞いている音楽のこと、走ることを通して得られたものについても、詳しく語られています。ある意味珍しいことだとも思います。
村上さんの考え方、それでも1度は考えてみるべき事柄に満ちています。そんな村上 春樹さんに興味のある方にオススメいたします。
どうか皆様も体調には充分ご注意くださいませ。
先週私も風邪にやられまして、1日仕事を休んでしまったのですが、夏風邪はどうも長引く傾向がありますので、どうかご注意を。
これだけ暑いと体調も崩しやすいですから、水分を補給して、冷房を効かせ過ぎないようにいたしましょう。
少しでも気分を涼しくするために、ちょっと綺麗な朝焼けの映像を・・・
私の風邪はやっと治りました、ご予約を変更させていただいた患者さん方、本当に申し訳ありませんでした。
阿川 弘之著 新潮新書
最近読んだ阿川さんの小説、大変面白かったのですが、どうやら結構過激に切れやすい方という噂を聴いて、ちょっとびっくり。文章からは、とても低くてフラットな視線を感じましたので、エッセイを読んでみようかと思い、手にとって見ました。
ご自分を「瞬間湯沸かし器」というあだ名を戴いていることをいきなり告白!かなり砕けた口調で語られる阿川さんから見た「大人の見識」とはいかなるものか?を語った本ですが、これが小説とは全然違う味わいで面白かったです。しかし面白いユーモアある方です!
タイトルが「大人の見識」ときておいて、序文がいきなり「老人の不見識」ですよ、ユーモアあります(笑)最も、かなり深い洞察に満ちた言葉がたくさん出てくるので油断なりませんし、事実頷ける表現が大変多かったです、「戦争中、ある意味日本人は思考停止な状態にありましたが、戦後も逆のかたちで思考停止をやってる」とか、なかなか味わい深いです。
日本人というものに対する見識から始まって、「英国」、「海軍」、「天皇」、「ノブレス・オブリージュ」、そして儒教としての「孔子」への見解、どれも面白く分かり易く、そして私の多少なりとも知識のある人物(川路聖謨、内田百閒)や事柄(精神のフレキシビリティ)に対しての言及に妙な繋がりを感じられてそこも面白かったです、今読む「縁」というものを感じます。
かなり腹の据わった書き方をされてますし、ちょっと語られることの無かったものへの言及にも、センスと落ち着きがあり、最近の流れ(単純に右傾化とは言いがたいのですが、私は単なる揺れ戻しに過ぎないのではないか?と。ただ揺れ戻しすぎも嫌なんですが、なんでも極端でどうも・・・)に対する評価も頷けました。ただ、なんでもそうですが、直接その頃を生きられていた方の意見、見聞きしているその「時代」の空気を知っているということは非常に大きく、その上での判断には説得力があります。なかなか簡単に「瞬間湯沸かし器」とは言えない文章(もしかすると聞き取り?口語調ですし)ではないかと思います。特に私は海軍のユーモアを解する部分に感銘を受けました。海軍にもいろいろありましょうけれど。その部分をあえてサイレント・アーミーについて文章に残す阿川さんの公平性には、特に素晴らしく思いました。
ノブレス・オブリージュについて言えば、無いと困りますし、あった方が良いのは当然なんですが、そのことを単純に「プライド」や「自尊心」に強く結びつけるのもどうかと思います。あくまで最低必要条件であり、礼儀であり、また声高に叫ばれる程の物でもないルールのようなものではないか?と。選民意識で低きものへの、という意識が透けるのはそれはただ単にエゴであって(エゴであっても無いよりはましですが)、エゴを越えた普通のもの、マナーの一部に出来るか否かが、無粋にならないかどうかの境目なのではないか?と思います。でも根付かせるのは大変だと思いますが、やはり身を持って行うことが、周りに小さな波紋を広げられる唯一の手段だと思います。尊敬できる身近な人は、結構やってますし、スマートでクールで、そしてカッコイイですから。自分もすべからくそうありたいのですが出来ないですね、簡単には。簡単に出来ているように見せるのが、やはりスマートなんですけど。
そして、細かな見識の積み重ねが、小さな流れが集まって大河になるように、最終的に儒教というものに流れ込むのが、私にはある意味新鮮で良かったです。このういう方を保守、というのなら、保守の中にも当然ですが見るべきものがあると思います。かなり蛇足になりますけれど、時期的に選挙も近かったので思ったのは、『保守』という立場を声高に叫ぶことが、もう既に保守に見えにくい、ということです。おそらくわざわざ「保守の立場からの声を聞け」ということをしないで分からせるのが保守という立場の「重さ」なのではないか?とか考えさせられました。どうしても『保守である我々の意見を重く受け止めろ』という高いところから目線は、正しいことであったとしても聞き取りにくいですし、受け手の結果までを縛るようで考えさせる余地が無い、その閉鎖性がどうも苦しいイメージに繋がります。また、どうしても(保守や国家という)「大きなものを笠に着た小心者」のイメージがつきまといます、私が天邪鬼なんでしょうけれど。
割合さらりと読める割には、かなり重い言葉もあり、しかしユーモアある文章で、とても面白かったです、見識を深めたい、と言う方にオススメ致します。
今回のW杯はあまり試合が見られませんでしたけれど、トーナメントが始まってからは何試合か見れましたして、楽しみました。
今回気になったチームはドイツ!伝統的スタイルのドイツのプレーは正直単純ですし、放り込んででも、とにかく競り勝って、たとえ1点差でも勝てば官軍!というのが私はあまり好きなプレースタイルではないのですが、今回はある意味スペクタクル!攻める姿勢を忘れず、しかし守勢になっても我慢出来るプレイが良かったです。また、アウェーの黒いユニフォーム、かっこよかったです。監督のレーブさんも若いし、顔もいいですし、その上チャレンジャー精神があってよかったです。また知らなかった選手#8エジルくんは素晴らしい選手、是非プレミアリーグに移籍して活躍してもらいたいです、個人的にはアーセナルに来て欲しいです。
後はやはり決勝まで進んだ両チームは本当に素晴らしい試合が多かったです。ドイツvsスペインはちょっとドイツが自陣に引き過ぎたこと、ミューラーが累積警告で出られなかったのが痛かったですが、さすがスペインでした。プジョルのヘッドというのは劇的すぎるくらい劇的でしたが、しかし、あまりファールをしないで、しかも流れの中からの点を許さなかったのはやはりドイツ凄いと思います。またスペインは特にビジャはついてましたし(F・トーレスは可愛そうでしたけど)、魅せるサッカーを貫いて勝つなんてちょっと最近のW杯では見られない現象でした。今回もとにかく「負けたくない」という守備的な、リスクを冒さない試合運びが多かったように思います。フットボールにそれほど詳しいわけではありませんが、やはり勝率だけを考えたら堅守速攻のカウンターが1番負けなくて強いスタイルでしょう。でもそれをあえて攻撃的にボールポゼッションに重きを置くのは見ていて楽しく、面白いです。ただ、それが出来る選手を集めるのは、非常に難しいでしょうし、だからこそ、W杯の試合よりも、おそらくチャンピオンズ・リーグの試合の方が何よ意図しているのか?が分かって面白いのだと思います。だからこそ、スペインはもうまさにバルセロナのサッカー(やはり精度は落ちますけど、セスク・ファブレガスがいたら!という想像は掻き立てます)でしたから。前評判通りの優勝、W杯では珍しいのではないでしょうか?
個人的に今大会のMVPは、タコのパウルくん、です(笑)
タコがW杯を予想、ですよ。もうそれだけで面白いです。