宮本 常一著 ワイド版岩波文庫
患者さんの旦那さんにオススメ頂いた、初めて読む方の本です。しかし、最近読んだ「歴史の話」にも関連しますし、その中で著者の宮本さんを紹介されていた、という今の「縁」も感じさせます。民俗学関連の本なのですが、非常に面白く、また知らなかった様々な事実を知ることが出来ました。民俗学、というよりは伝承について、という風に私は感じました。いつもながら、ご紹介ありがとうございました。しかも解説が「歴史の話」の網野さん、やはり繋がりあります!
著者である宮本さんが日本の各地を歩き、その辺境(と言って構わないと思います)の地に生活する生活者の目線で、日々の生活、農作業という農夫としての知識、村やコミュニティーの伝統、当時を知る人による語りを、こまめに、そして優しく紡ぎとった民間伝承です。今は失われ、忘れ去られている日本人像を、得きる限り誠実に、ありのままを、そして語られる語り部の雰囲気までもを再現し、だからこそ理解できる様々な歴史的流れを理解させられます。
宮本さんのその地に生きる人々への暖かくも強い羨望にも近い想いが滲み出ているかのような接し方で、だからこそ、話される不思議な(現代の私が読むと、不思議な話しに感じます)伝承が、瑞々しく、話者を通してのリアルを実感できます。
寄り合いという形態、とことんまで話される、そして納得がいくまで終わらせない伝統、年寄りの役目、対馬での語り、名倉で行われた談義、共同体としての世間と女の関係、そしてその中での文化としての男女の間の出来事、リアルであってリアルじゃない、確かに今から振り返ると生き物的な、獣的なストレートな世界に見えますが、しかし、暖かくもある世界なのです。簡単に忘れられてしまっている(例えば私の祖母、祖父に「生活知」の話しは結局1度もしたことがなかった、残念)、という事実が、生活世界の一変がいかに深く大きかったのか、西洋の合理的主義がどんなに大きかったのか?を改めて実感します。
土佐源氏の話し、非常に根深い人間の「業」に近い話しに私は感じましたし、世間師という自由奔放な旅の経験者たちの強烈な個性を信頼していた、という事実が、世間というものがある意味、手で触れる範囲であった時代の機能として有効であったと思います。今現在の常識で使われている「世間」とは違うものであると思います。それが、残念ながら技術の進歩により世間が手では触れなくなるくらいの広がりを持ってしまったのだろうと思います。この「世間」についてはもっといろいろ考えてみたいことなのですが。
生活を送る上での農作業の中の様々な知恵や、機械化される前に使われていた道具やその使い方、概念のようなものを含めての知識の断絶の大きさと、そのドラスティックなまでの変化が、私もそうである日本人が、それまでの日本人を、いかに早く忘れ去ってしまったのか、ということに驚愕しました。結局のところ、表現として良くないのは承知していますが、捨て去ってしまった(もちろん選択の結果ではありますが)ものですから。やはり便利さや楽という快楽に、利便性に敵わなかったのだと思います。しかし、ダメなわけではないですし、それしかなかったからこその世界の捉え方と、そこで生活する知恵を、忘れ去ってよいわけではないと思います。つまり経過を知らないのは、進歩のありがたさが分からず、なおかつ当時の人の心情も分からないことになってしまいますから。
基本的には、生活はよりよく、字が書けて学ぶことが出来る素晴らしさを否定するものではなく、あくまで、何故そんなに簡単に忘れ去られてしまったのか?という点において、ソリッドに宮本さんは読み手に突きつけてきていると思います。こういった忘れ去られてしまいやすいものへの蓄積された伝承、後から必要になったとしてももう元に戻すことが出来ないもの(元の生活に戻すことが良いわけではない、しかしどういう生活であったのか?は知識としても、捨て去ったのだとしても、振り返れるようにしておくべきだと私は考えます)を残せるうちに形にする努力の結晶だと言えます。
本当に、少し前の日本の生活者の、常識と知恵と伝承、知らなくとも困りはしないかもしれませんが、知ることで広がる世界の大きさはかなりのものですし、ルーツでもあるわけです。
日本に住み、暮らす様々な人に、まだ祖父、祖母、そして田舎がある人にオススメ致します。
いつもながら、ご紹介頂いた患者さんの旦那さんに感謝いたします、いつかお会いしたいです。