リサ・モリモト監督 ポニーキャニオン
ここ数年で仲良くなった友人にオススメして貰った映画です。日系アメリカ人監督による特攻の生き残りの方々へのインタビューを主にしたドキュメンタリーです。監督の叔父がやはり特攻の生き残りであったという事実を知った監督が、アメリカ人の想像する「特攻」と日本人の考える「特攻」の隔たりを見事に浮かび上がらせてくれます。しかも淡々とした口調で。
特攻、に対する映画を見る前の私のイメージでは「戦争という極限状態の中で、さらに極端に悲惨な状況を受け入れさせられた人」という認識でしたが、その当人たちのインタビューで浮かび上がってくるのは、恐れや迷いや葛藤であり、そして多くの同窓の仲間が死んで行き自分が生き残ってしまったという慙愧の念に囚われている人もいる、ということです。恐らく世論という圧力もあったであろうし、また上官からの無言の圧力もあったと思います。また、私の知らない、この映画でも描かれなかった様々なケースもあるでしょうけれど、悲惨であったことに変わりはありません。
生き残った方々のインタビューは、非常に言葉を選ばれる、また発言ひとつひとつが重く感じられますし、例えば「もちろん死にたくないが、日本が包囲されていることも知ってたのでどうしようもなかった」という主旨の発言がまた言葉以上に、また私の想像以上に重いです。何人かの方々がインタビューに応じているのですが、そのどの方も感情的にならず、淡々とそして言葉の意味を噛み締めながら応えられます、そのまなざしの「まっすぐさ」にも、何かしら心を打つものがあります。
また、特攻を受けたアメリカの船の生き残りの方々のインタビューもされていて、攻撃された側の体験もつぶさに話されますし、映像として記録にも残っています。まさにすさまじい映像です。戦争ですから当然なのかもしれませんが、悲惨の一言に尽きます。
特攻隊員であった叔父を偲ぶような雰囲気の中で行われた、その息子さん方(3人いて娘と息子2人)とのインタビューの中で特攻に対してのイメージを応える時の、息子さん2人のあまりにかけ離れたイメージの違いにも妙に納得してしまいました。男らしく、とか強い、というイメージではなく、国を救うための良いイメージと、何故こんな過酷な状況を受け入れるしかなかったのか、というどちらかというと悪いイメージの両方が印象的です。
そして何より、生き残った方々のその当時の状況認識と、どうしようもなかったという感覚を語られる際の言葉の数々が、どうにも漠然としていて、しかし漠然としてしか語れない『空気』をそのまま言葉にしてくれているように感じられました。また、知らなかった特攻を行い戦術として使った最初の上官は「下策」という風に認識していて、これによって戦争が終結することになる(という天皇陛下の判断に繋がるのではないか?と考えた)と望んでいたという話しを知ることが出来たのは良かったです。
あくまで、私個人の意見ですが、この映画を見終わってやはり、どうしようもなくどうしようもない、と思います。
特攻に出撃する方の妻子が、特攻に出る夫の心労を考え心中するという、本末転倒な悲劇を1例でも生んでいる以上、軽々しく「君のためにこそ死にに行く」なんて表現が出来る無神経さにどうしてもひっかかりを感じます。単純な思考停止を生む悪意が隠れていると思うのです、それを映画にするという表現手法がまた。誰かと思ったら石原慎太郎さんでしたか、納得。もちろん石原さんのような方も必要ですが、ね。
4000人の方々の出撃、そして沈んだ船舶はわずか40、決して効果的であったわけでもないのかと考えると、本当にどうしようもないどうしようもなさを感じます。そして、勇ましさと言いますか、男らしさとか、いわゆるマッチョを全面に押し出すことの滑稽さ、というものを感じます。侍の美学も、もちろんありますが、侍の滑稽さも、多分あると思うのです。最後の方の竹やり云々はもう滑稽さと言えると思います。
極限状態について興味のある方に、そして美学の良い面と悪い面の両方を感じられる方にオススメ致します。