アッリアノス著 大牟田 章訳 岩波文庫
いろいろ読んでみると、やはり最後はこの本を読むのはこの本かな?と。結局1番原典に近いので(日本語に訳されてるという意味でも)読んでみました。かなりの量の訳注がありますが、面白い本でした。やはりこの本が様々なアレクサンドロス関連の本の底にあるのがよく理解出来ました。
紀元前334年から始まるアレクサンドロスⅢ世の東征を記録した様々な著作(現存していないもが多いのですが、それら全てを含めて)を集めて、アッリアノスが信憑性が高いと思われる後のエジプト王朝の始祖でヘタイロイでもあったプトレマイオスの手記と、東征に同行したアリストブロスの手記の2つを大きく取り上げ、その2つが同じ表記をしているものについては真実として扱い、違った場合は信憑性の高いものを載せ、無論それ以外の手記からもまとめた大著。その序文でのことわりも非常に規律正しく、信頼置ける書き方をしています。つまり編纂しているわけですね。
アッリアノスは2世紀、ローマ帝国の時代の政治家で歴史家。ですから、アレクサンドロスの時代より都合500年くらい後の編纂なわけですね。それでも現代から考えるとアッリアノスの時代でも1800年くらい前の話しです。アレクサンドロスⅢ世の時代がいかに古いか?を実感させます。
とにかく読みやすく(訳注は多いものの)、順序だてて、しかもその状況の説明が微に入り細に穿っていて素晴らしいです。なるほど、アレクサンドロス関連の本を何冊か読みましたが、そのどれもがこの本を外しているものはなく、底辺にはこのアッリアノスの本があったことを認識しました。この内容の濃さと訳注の細かさは特筆すべきものです、さすが岩波!!そして訳者の方、大牟田さんの仕事の素晴らしさの証明です。
基本的にはアレクサンドロスⅢ世の東征を始める前の、フィリッポスⅡ世暗殺、アレクサンドロスⅢ世の即位、そしてコリントス同盟をアレクサンドロスⅢ世が引き継ぐ部分から始まっていますが、訳者によるまえおきで、その当時の情勢はかなり細かく認識できるようになっています、こういう配慮もさすがです。巻末には地図、年表も付与されていて、非常に読みやすかったです。
で、アレクサンドロスⅢ世の周りの人々も、これまで読んだどの本よりも細かく、そして様々な人々が出てきます。そして何よりもかなり客観的記述に留められていて、そこも大変読みやすくて良かったです。客観的記述は非常に重要ですが、それを時代的に500年近く経たアッリアノスが挑み、成し遂げた意味は大きいと思います、それでも信憑性が高い、というだけで、その他の可能性を否定できるわけではないのですが。それでも充分、素晴らしいからこそ、どのアレクサンドロス関連の底本と成り得たのだと思います。
今回アレクサンドロスⅢ世についていろいろ知りたくなったのは、漫画「ヒストリエ」岩明 均著を読んだからなんですが、調べてみるとその周囲の人々が気になります。その気になる部分をかなり解消してくれました。もちろんその全て、ではないですが。漫画化するにあたって余すところをどう補完してくるか?が想像を残す余地でもありますので、その辺も非常に楽しみですが、アウトラインだけでも知った上で楽しみたい、と思ったので、この本を読んで良かったです。
アレクサンドロスⅢ世と係わり合いのある人物の中でも1番個人的に気になるのはやはりフィリッポスⅡ世です。知れば知るほどいかに強大で革新的人物であったか?を考えさせられます。結局アレクサンドロスⅢ世も偉大だけれど、フィリッポスⅡ世の後継者であったから、という部分が大きく、ファランクスという密集歩兵部隊という存在があったからこその騎兵を用いた包囲戦略が取れたのではないか?と。だからこその連戦連勝、常勝軍たりえたのではないか?という部分は様々なもの(主従関係や軍胎内規律、果ては侵略される側の恐怖に至るまで、そして何よりアレクサンドロスの自負にも)に関連しますし。その影響を知るうえでも、この本は素晴らしかったです。残念ながらあまりフィリッポスⅡ世については触れられていないのですけれど、もっと詳しく知りたくなる人物です。
またヘタイロイと呼ばれる重装騎兵隊であり、軍幹部であり、何より王の友と呼ばれる学友である中の幾人かの人物もかなり気になりました。個人的な読後の想像ですが、特に友人であり愛人でもあったとされるへファイスティオン(「ヒストリエ」でも特殊な存在)、後に刺殺される危機を救った軍人肌の男クレイトス、右腕とも言えるべき存在(フィリッポスⅡ世との関係で言えばパルメニオンのような)で軍事面での活躍が著しいコイノス(の割には記述がどの本にも少ない、ほとんど全ての戦いに参加しているし、見せ場である大王の東征を諦める場面での重要な役を司っているのに!)、それに継ぐクラテロス(帰還兵をまとめあげ、コイノスの後を継ぐかのような活躍!もしマケドニアに帰還していたらどうなっていたのだろう)、恐らく後継者の1番手と目されたペルディッカス、後半非常に活躍の目立ったレオンナトス、さらに書き手アッリアノスが信憑性が高いと判断した記述家でもある後のエジプト王朝の始祖プトレマイオス、さらに聖なる盾の持ち主でアレクサンドロスⅢ世の危機を何度も救いアジア化も進んで行ったぺウケスタス、さらに王宮日誌書記官でへファイスティオンとの諍い(欠落していて原文は存在しない!一体どんな諍いがあったのであろうか?)をアレクサンドロスⅢ世との仲介でとりなって貰ったエウメネス。もっと彼らの活躍を知りたくなります。
ちなみに、アレクサンドロスⅢ世の側近中の側近である護衛官は全員で基本7人、レオンナトス、へファイスティオン、リュシマコス(ちょっと印象薄いですがディアドコイ戦争ではかなり活躍)、アリストヌウス(この方、あまりというかほとんど名前が挙がらなかったけれど、どんな方なのでしょうか?)、ペルディッカス、プトレマイオス、ペイトン(もっと印象薄い)で、ここに最後に加わったのが8人目の護衛官ぺウケスタスです。
これ大河ドラマ化はないんでしょうか(笑)?誰を主人公にしても凄く人気出ると思うのですが(もちろん莫大なコストもかかるでしょうけれど)。キャラも立っていてこれだけの群像劇、しかも敵役もいろいろ揃ってますし、漫画化やドラマ化もっとされていて良いと思いますね。戦ひとつとっても平地の大合戦もあれば攻城戦あり、身内の戦いもあれば象との戦いもあり多彩ですし、合同結婚式やら兵士を鼓舞する演説、周りの人物の多種多様さ、完璧を求めつつもクレイトス刺殺など負の面を併せ持つ非常に人間臭いキャラクター、もうこれは映画ではなくシーズンドラマとしてやって欲しいです。しかもギリシャからオリエント色豊なペルシアを抜けインドまで!面白くなりそうです。そういえばオリバー・ストーン監督の映画がありましたが、う~んどうなんでしょうか?オリバー・ストーンだと神々しく荒々しく、しかも最後にちょっとだけ人間臭さを見せるって展開なんじゃないでしょうか?一応見る予定ですが、1番最後にしたいです(笑)
閑話休題
アオルノスの岩という自然の要塞のごとく難攻不落な砦を攻める際のヘラクレスと関連付けられている伝説(あのヘラクレスでさえ諦めた砦、という伝説)についてや、インドに伝わるディオニソス遠征神話(実際にデュオニソスがこの地まで来た際に入植した都市であるという伝承)など、『神』という存在の人との近さが、いわゆる現代に生きる私の考える『神』とは違った捉え方をしていたことを理解できたと思います。『人』と『神』のなだらかな、その存在の地続きさを感じさせる描写、及び記述が、『人』から『神』になれる可能性を信じる、あるいは王家に生まれ、母であるオリュンピアスに(デュオニソス教という密教的宗教の強い信者)に育てられたことでの出自の神性を証明させなければならないというような部分を強く意識させられた結果の、アレクサンドロスⅢ世の性格なのではないかと。ですから非常に強く神格化されることにこだわったのではないか?と。そうするとへファイスティオンを半神半人として祭ったのも頷けますし。
ただ、全編軍事面、ついで政治面での記述が大きく支配していて、実際のところのアレクサンドロスⅢ世なり、周りの人物の肉声を伝えている部分は非常に少ない。アレクサンドロスⅢ世の行動は、行軍や軍事指令は理解できても、当然ながら肉声は僅かに数箇所出てくるのみでした。しかし、そのどれもがなるほど、と思わせる語り口ですし、中でも全軍を鼓舞するインドでの演説は素晴らしかったです。そして、そのアレクサンドロスの言葉をもってしても望郷の念を覆すことが出来なかった、指揮官クラスの代表としてのコイノスの反論も胸を打つものがあります。この長い本の中でアレクサンドロスの特徴の現れた演説だと思いましたし、アッリアノスをして自分と戦った男、と言わせるのも充分に理解できました。
そして偉大な死の前の出来事であるインドの「裸の哲学者」であるカラノスとの会話と彼の壮絶なる死に様、そこから端を発するへファイスティオンの突然死、自身の死という不穏のクレッシェンドが効果的だと思いました。
アレクサンドロスⅢ世もの中ではもっとも原典に近く日本語で読める作品、さすがの充実度。アレクサンドロスに関心のある方に、その周りの群像劇に興味のある方にオススメ致します。