森谷 公俊著 講談社選書メチエ
アレクサンドロス大王の戦闘の強さとカリスマ性は非常に強いものですが、それはアッリアノスらのローマ時代(アレクサンドロスの死後300~500年後)に書かれたもので、その原典となった直接のアレクサンドロスの記述を書いた同時代人の手記は現存しておらず、どうしても2重のフィルターとそして刷り込まれてしまったアレクサンドロスの凄さ(戦闘力を含んだカリスマ性)ばかりが目立ちます。しかし、その実像を、2重のフィルターを、そしてその元になったであろう原典とその原典を書いた人物とアレクサンドロスとの距離や性格を考慮し、残されたローマ時代のアレクサンドロス関連本をお互いにつき合わせることで見えてくる新たなアレクサンドロス像を理解させてくれる本です。
基本的に、既にアレクサンドロスの生涯をある程度理解出来ている方向けの本であろうと思います。読み手のアレクサンドロス像をある程度壊し、新たな肉付けをし、そしてもっと身近な存在にしてくれる本です。あなたのアレクサンドロス像を壊すにしても説得力ある壊し方ですし、その後の肉付けにも頷かされます。その肉付けに、その手記を書いた人物との距離のあり方、そしてその距離のとり方からその人物がアレクサンドロスをどう捉え、利用していたか?を理解でき、まるで平面だった絵に凹凸が生まれるかのような面白さがあります。が、それだけに、多少なりともアレクサンドロスがどう捉えられているか、を知っている必要はあると思います。出来ればやはりアッリアノス著の「アレクサンドロス東征記」は読んだ後の方が楽しめると思います。
特に、やはりアレクサンドロスの神憑かったカリスマ性の元になるのは、やはりその戦闘部分の功績であり、その戦闘の記述を細かく検証することである程度そのカリスマ性を削ぐことになろうとも、おそらくこうだったのではないか?という推論の積み重ねから、確かにアレクサンドロスの『虚像と実像』を改めて理解することが出来ます。
実際の土地の、川の考察から見たグラウニコスの戦いにおける渡河の苦戦の記述からその不利を打ち負かすマケドニアの屈強さが、綺麗に覆されていくと(もちろん、その可能性が高いということでしかないのですが)、アレクサンドロスの偉大さは変わらないまでも、無用に誇大されていたことを感じさせられます。また、イッソスの戦いにおける「深追い」と「仲間(パルメニオン)を救う」という行為の狭間の妙、ガウガメラの戦いにおいて最も進歩した「犠牲」を強いる『後の先』のような用兵も、見逃せない負の部分であろうと思います。書かないことで『無かった』ことになることの恐ろしさを、歴史的出来事の、昔の現実を知りえることの難しさと限界を改めて感じさせられました。
また、この戦闘面での評価から浮かび上がってくるアレクサンドロス像から、東方政策への様々な今までの記述まで、違った色を見せはじめ、その意味においてもがらっと意味合いを変えられます。
アレクサンドロスに興味を持って某かの知識がある方に、オススメ致します。