金井 美恵子著 文藝春秋
雑誌『文藝春秋』に2006年9月号から2010年11月号まで連載していたエッセイ集です。時期的にも、このエッセイの対象にフットボール(サッカーではなく、ここはやはりフットボール)に、そして(孤高の天才)ヒデさんにかなりの割合を割いていますが、やはりその切り口は鋭く、頷かされます。その対象がなんであったとしても、金井さんの切り口の鋭さは変わらないと思いますし、だからこそ中毒性が高いわけです。姉である金井 久美子さんの挿絵も素晴らしく(個展もこの時期に開催されていました、見に行けてよかったです!実物は素晴らしいですし、特に『十年ひと昔』P193の、トラーが振り返ってこちらを見ている作品は、様々なこちらの思いを託せる作品で見飽きませんでした)、綺麗な装丁ですし(カバーを外した背表紙の色合いも素敵です)、何しろ久し振りの新刊ですから興奮しました。大事に読もうと思っていたのですが、割合一気に読んでしまいました。
ちょうど2006ドイツワールドカップから2010南アフリカワールドカップまでの時期が重なり、しかもあのヒデさんの引退を含んだ時期であったので、フットボールの話しが多いです。が、これはフットボールの世界を例にしているだけで、基本的には言葉を扱う方であれば誰にとっても重要な話しであり、リテラシーある方であるなら(持とうとするならば)ちゃんと笑える話しです。言葉を使ってコミュニケーションをとるならば誰であっても役に立ち、考えさせられ、笑える、そんなエッセイです。
フットボールを見る人にとっては、至極当然な話しなんでしょうが、基本的に日本代表の試合よりもヨーロッパチャンピオンズリーグの試合の方が(A代表よりクラブチームの方が練習時間も、ポジションの人選も、連携の成熟度も、戦術精度も、よりシビアなわけです)その面白味は多いでしょうし、むやみやたらと精神論や大げさな表現やただの願望を並べ立て冷静な判断が出来ない報道(というか報道ですらない部分に 大本営は生きている という錯覚すら感じます)に閉口している方に、普通の切り口でフットボールにまつわる話しをしています。
「孤高の天才」ヒデさんの、ドイツワールドカップ前の、プレミアリーグ中堅クラスであるボルトンのレギュラーからも外されていた状況を、そして引退について大々的にジダン(正直ジダンだって衰えを隠せなかったですし、だからこその引退なわけですが)と並べ立てる欺瞞を端的に言葉で表現してくれます。特にヒデさんやフットボールに興味の無い方にとっては普通の話しではありますが、これだけ過剰な報道ですと、その落差や(過剰になってしまう)書き手たちの心理が、それだけで可笑しいですし、その可笑しさを金井さんの言葉で共有できます。
ドイツ大会前の異常な、『予選突破は確実』という雰囲気(ネガティブな情報そのものを隠蔽、空気を乱すな、という空気の支配)から全敗という結末から、結局たいして学ばなかったことが分かる南アフリカ大会でのグループリーグ突破を奇跡のように扱い持ち上げるだけ持ち上げ、退屈な試合のあげくPK戦で敗れた、という結末(どうして『報道』は結果を出せ、と言い続けるのでしょうか?『結果』は負けても結果として出てます)も、もはや良い『結果』と受け止められていますが、目標をベスト4に置いているなら惨敗なわけですし、とにかく負けたくない、という守備的な消耗戦、としか見えなかった『結果』を考えると、やはりただのお祭り騒ぎに参加したかっただけで特にフットボールになんの興味はない、という大多数の人を相手にするメディアの商売の仕方としてはまっとうな手段であり、方法なんでしょうけれど、それならばこそ、より金井さんのようなスタンスのフットボールの書き手がもう少し(雑誌「footballista」くらいしか知りません)増えて欲しいですし、需要もあると思うのですが。
フットボール以外にも、やはり愛猫トラーについての数々のエピソ-ド(中でもトラーの鳴き声の話しは、非常に心を撃ちます)、映画への徒然なる想い、そして武田 百合子の老猫の話し、さらに漫画家高野 文子の作品について触れるなんてかなり驚きましたし、面白かったです。エコバックにまつわるまともな、あまりにまとも過ぎる意見も、やはり金井さんに語られると説得力ありますね。
ただ、あとがきでも書かれていますが、ヒデさんにかまい過ぎた感じも否めませんが、あまりに酷いからでしょう。それに笑えるので(お菓子メーカーの袋をレアル色にしてもオファーは来ないですよね)良いと思いますが、是非また小説を書いて欲しいです。早く目のご病気が完治して欲しいです。辛口エッセイ、という括り方をされる金井さんのエッセイですが、口調はキツく感じる人がいても感じ方ですからそれぞれですが、特に毒舌や辛口である、と私はあまり感じませんでした、とても「まっとう」で「まっすぐ」な意見だと個人的には思います。
言葉が、気になる方に、まっとうな感覚に興味がある方に、オススメ致します。
数日前にアメリカにいる患者さんから電話で問い合わせがあったのです。それは「歯を抜かなければならなくなったが、どうしたら良いか?」というものいでした。
その患者さんは生活の拠点が海外にあり、しかし海外はとても医療費が高いので、日本に帰ってきた時にクリーニングと治療を行っている患者さんのうちの1人でした。最近、こういう方がとても増えています。今回の方も、歯に痛みがあってアメリカの歯科医に受診したところ、問題の歯を特定した後に『治療した結果抜歯になる可能性が高いがそれでも良いか?』と聞かれたので、その他の可能性も含めてご相談のお電話をいただいたのでした。
たしかに、海外の治療費はとても高い場合が多いですし(アメリカもイギリスも高いですよね)、母国語ではないための意思疎通の困難もあって、なかなか受診する足は遠のくと思いますが、激しい痛みや噛めないといった問題があると、そうも言っていられません。ただ、現在の状況が分からなかったので、多少質問をさせていただくと、まず専門医ではなかった(アメリカでは、一般医と専門医に分かれています)、とのこと。歯を抜くというのはもう元に戻せない不可逆性の治療法です。どうしてもな場合であれば仕方がありませんが、その可能性を専門医(この場合、歯内療法専門医 ENDODONTIST )に診断していただくのが必要と思われました。どんな状況であっても、歯は抜かないで済むにこしたことはありません。今回は歯の中に感染が起こっている根尖性歯周炎の可能性と、歯の根が割れている歯根破折である可能性の大きく2つが考えられたのですが、この診断は難しいケースも多いですし、多少コストがかかっても、新しい歯が生えない以上(私はインプラント治療を行いますが、できればインプラント治療を選択しないで済む方が望ましいと考えます)、歯を抜かないで済むのであればより良いとお伝えしました。
AIR MAILはそのお返事でした。専門医の先生ではなかったようですが、とりあえず歯を抜かなくて済んだ、とのことでした。多少は役立つことが出来て良かったです。が、これから私はもっと気をつけなければいけません。海外に生活拠点を移す方はこれからも増えるでしょうし、その移住先の歯科事情は様々なことが考えられます。私に出来ることも限られているでしょうが、注意すべき問題であると考えさせられました。とにかく抜かないで済んでよかったです。
黒澤 明監督 大映
芥川龍之介の原作「藪の中」は短い短編で、読んだことは憶えていますが、詳しい内容は忘れていました。が、非常に面白い作りの映画、そしてスタイリッシュな作品だと思いました。
時は平安時代、朽ちかけた大きな門(羅生門)に激しい雨が降る中、農夫と僧侶が不思議な顔をして雨宿りをしながらも、放心状態でいます。そこへ新たに雨宿りに来た1人の男が、ちょうど良い退屈しのぎとばかりに、2人に放心状態に陥った顛末を話して聞かせろ、とせっつきます。2人が体験した、その不思議な事件とは・・・というのが冒頭です。
とても有名な作品ですが、ネタバレ少しありますので、未見の方はご注意くださいませ。
映像として、演出として、もの凄く斬新な手法が取られて、それは『ある決定的な出来事をめぐる、3人の視点によってそれぞれ捕らえ方が異なる』ということです。それを(もしかすると現実、という世界はすべからくそうである、という認識もできますし、哲学者廣松 渉の本でも読んだように思いますし、私の「現実」は私の「脳内妄想」かもしれないという疑念を完全に払拭することは出来ないという映画『マトリックス』と同じです)、それぞれの視点から繰り返し受け手に見せて、しかも最後は・・・という展開、斬新です。なるほど、これを1950年にやる黒澤監督はスゴイです、納得。今まで見たどの作品も完成度が高かったですが、この作品の斬新さと緻密さにはとてもびっくりしました。衝撃度で言えばなんとなく面白そうだからと事前情報を全く無しで見た「ユージュアル・サスペクツ」の衝撃と似てます。
ストーリィも非常に練りこまれている、と思いました。誰の視点で見るかで、同じ『事実』であっても『真実』が違ってくる、というその差異の妙を、受け手にとっては『何を信じれば良いのか分からなくなる』という効果が多層的になって面白いです。盗賊の、武士の妻の、武士が乗り移った巫女の、それぞれの証言が揃ったときの、そしてその上での新たな証言と、その新たな証言者にもある隠された嘘を暴くもう1人の聞き手、構造としても面白すぎます。
役者さんもまた素晴らしいです。かなり難しい演技だと思うのですが、特に不可思議な体験を消化する志村 喬さんと千秋 実さんは凄かったです。また、雨宿りをする、という設定とその雨の激しさが、とてもリアルに感じられました。
映画的手法に興味のある方にオススメ致します。
永井 荷風著 角川文庫
作家であり、著者永井を思い起こさせる大江(は実は父親の姓、まあ本人と捉えて間違いないのではないでしょうか?)の1人称で語られる余韻の深い、空白を生かした短編小説です。大江が書き出そうとしている小説内小説「失踪」の取材のために、その結末にリアリティを出すためにも、現実の世界を知ることが、その界隈の空気を、人通りを、匂いを作品に滲ませることが重要だと考え、散歩を繰り返すうちに出会った女「お雪」との関係を記した作品です。単純に言ってしまえばそれまでのものなのですが、非常にどの場面、どの記述、描写、心情の吐露している部分にまで、余白を残し、余韻を感じさせるつくりになっていて、受け手の想像や考えをめぐらせる作品です。
その当時の世界を描き出し、その中での窮屈さを感じ取っている大江の、永井の、その認識が面白かったです。非常に繊細かつ粋な物語。ただ、私は40歳になってしまっているのに、いわゆる日本の文化的側面を全く捉えられていない、という自分にも気が付かされます。およそ明治の人々とは遠い未来に来てしまっているのだ、という実感でもあります。
情緒、という言葉を改めて考えさせられました。
しかし、よく考えると、この永井さんも相当に偏屈で、頑固とも言えるとも思いますが。
スタイルある生活、というものに興味のある方にオススメ致します。