春日 武彦著 朝日新聞出版
常々、若々しいことは良いこと、という風潮に疑問を抱いてます。そんなに若いことに価値があるのか?確かに若い頃にしかない『何か』はいろいろあるけれど、見た目だけが若く見えることは正直に言って気持ち悪い(実年齢と見た目の差が開けば開くほど何か恐ろしいものを感じます)です。外見 だけ綺麗であったとして何か意味があるんだろうか?人は年をとるものではないでしょう。なので個人的に感じられる『良い年の取り方』の参考になる人を見るといいな、と思います。が、それはその人にとってのスタンスで人によって違って良いですし、当然私が簡単に真似できる物ではないのだからこそ「いいな」と感じるわけです。私が男だからそうなのかも知れないですが、魅力的な男性でも女性でも『若く見える』事が魅力なのではなく「歳相応」であって「崩れていない」ことに魅力を感じるのではないかと思います。ただ、それも今私が40歳だからこそ同世代から50代辺りの方々の中での評価であって、仮に80歳の魅力的な人物は「崩れている」可能性の自覚はあります。
春日先生も、日頃からどうやら「老い」に対する理想を具現化出来ていないようです、あれほどの人でも迷うのか?と思うと私なんか醜態を晒していくより仕方が無いのではないか?とも思いましたが、かなり多角的にかつ、いつもの春日先生節が炸裂しています。本書では「果たして老いを個人として落としこむことが出来うるのか?」ということに挑戦しているように感じました。そしてその手段としての今までの経験や関わった人物の他に、文学からの引用が多く、とても楽しめましたし、考えさせられました。
何歳からが老人なのか?を考えると、なかなか恐ろしいのですが、仮に60歳とすると(春日先生は60歳を初老と感じております)、私も僅か20年未満で初老、果たしてそれまでに「老人」にふさわしい「老人らしさ」を身につけることができるのであろうか?貫禄や落ち着きや深み、自分の欲望への枯渇具合はどうなっているのであろうか?・・・というようなことを春日先生も感じており、私よりも切迫感があるようです。だからこそ、老いの見本帳(ダークサイド版)としての意味もあると記されています。
スマートに歳をとっている目指すべき老人、というものをほとんど知らないゆえ(というのは、若く見える溌剌とした老人という存在にアンチエイジングというような欺瞞を感じるからであり、老人だからこその老人ぽさを感じさせる人が少ない、ということです)、なかなか現実味が薄いのですが「こうはなりたくない!」という老人は見かけることが多い(春日先生の遭遇したパンを落す老人には私も怒りを覚えました、その歳になってそれか!という対処の仕方なんです・・・)ということを考えると、恐らく「老人」というものに対する理想化と刷り込みがあってしかもハードルを高く設定してしまっているのでしょうけれど、老人にしか出来ない物事の収め方や生きた裏づけある知恵のようなものを期待してしまいますし、映画や本やマンガの世界ではよくいるタイプの老人像であるのに現実ではなかなかお目にかかれません。
春日先生も老人に期待するものが大きいようで、だからこそに失望も大きく、そのギャップに苦しみつつも自分が理想とする老人からも遠い存在であることに不安を感じていらっしゃるようです。なので、「老人」ではなく「年寄り」と呼ばれたい、という吐露も何だか分かる気がします。
春日先生が好む作家の中でも藤枝 静男に最も会ってみたかったという話しに納得。非常に腑に落ちる話しでした。だからこそ、春日先生とキリンジの堀込 高樹さんが対談したらすごく面白いんじゃないか?と想像します。普通の感覚からは離れた、それでいて化学反応が起きそうな気がします、お二人の好きなモノが似ていそうな感じがするのです。
誰もが今この瞬間も、1秒毎に歳をとっているという事実に向き合ってみたい方にオススメ致します、辛気臭いようでいて、そうではない認識があります。