井の頭歯科

紳士的な、怒り

2011年7月30日 (土) 13:47

YouTubeで見たのですが、衝撃的な映像でした。

2011年7月27日の衆議院厚生労働委員会

「放射線の健康への影響」 児玉 龍彦先生の参考人説明

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激しく、しかし理路整然とした、紳士的な怒りの表明です。私は放射線の知識が歯科医療レベルしかありませんので児玉先生のご説明が正確なものなのか?が分かりません。しかし、怒りの表明の仕方、説明のやり方、現状を訴えた後の改善策、その手法に心撃たれました。

疫学的有意差の説明も非常に分かりやすかったですし、人の心を動かす演説でした。一刻も早い福島原子力発電所の事故の収束の道筋を立てて欲しいです。

私は原子力発電の恩恵を電力として受けていた利用者です。ですので、某かの(事故が起こる前に原子力発電に対しての何の意見も持たずに恩恵を享受していた)責任もあると考えます。今すぐ原子力発電を全て停止しなければならない、とは考えていませんし、考える判断材料があまりに少なすぎますし専門的過ぎますし、専門家の中でも意見が分かれているのだと思います。

が、少なくとも、これだけの被害が出ている状況の全体像さえ未だに把握し切れていない、放射能汚染の程度や期間さえはっきりしないのであるなら、まず安全ではないし、コストパフォーマンスは悪いと言い切っても良いのではないでしょうか?震災前の状況に戻すだけのコストを含めて考えれば当然なのではないでしょうか?だからと言ってすぐに全てを停止するのではなく、代替案を用意してから徐々に切り替えるのが常識的なのではないか?と考えます。

様々な情報がありますけれど、いろいろな角度からの検討を、こういう時こそ気をつけたいです。私は何も知らないと言っていいレベルの一市民ですから。

「東大生の理論-「理性」をめぐる教室」を読みました

2011年7月26日 (火) 15:39

高橋 昌一郎著      ちくま新書

「理性の限界」の高橋先生の著作なので大変楽しみにしておりましたし、とても面白く読みました。しかし、タイトルにはちょっと問題があるのではないか?というのが正直なところです。東大生の理論を表した本ではなく、結果として、東大生の傾向が分かった、というのが正確なのではないか?と思います。高橋先生が東大で講義をしないか?と誘われ、論理学の講義を行ったことで分かった傾向のようなものをまとめたエッセイです。

論理学、と聞くとなかなかよく分からないことがたくさんありますし、なんだか難しい話しのような気が致しますが、決して難しくなく読ませます。特に私はこの本を読む前に高橋先生の著作の「理性の限界」講談社現代新書、「哲学ディベート」NHKブックスを読んでいたのも理解しやすかったのだと思います。「理性の限界」や「哲学ディベート」で扱った答えのない、立場や指針によって変わる一致し得ない問題について講義を行い、ディスカッションを行う(あのサンデルの講義のように!)ことによって高橋先生が感じたことを、講義に沿い、論理学を学びながら、先生の東大生に関する感触と主観での感想が読める様になっています。なので、高橋先生の講義を受けるような感覚に陥りますし、そこが凄く楽しいです。「哲学ディベート」では文学部Aさん、法学部Bさん、などといった感じの語り手が、実際の学生(しかも東大生)になっている為余計に臨場感は増しますし、想像もしなかった角度からの追求が面白いです。

東大生というカテゴライズが果たして面白いのか?という疑問は確かに感じますし、だからこそ、この本を手に取るのに少し時間がかかったのですが、東大生に限った話しではないとも言える内容で個人的には面白かったです。特に私は理系専門学部であったので、単位を取るのに選択科目がある、ということそのものが面白く、シラバスという講義内容の説明を読んで、さらに先輩方がどの講義が単位が取りやすく、試験が簡単か?などガイダンスめいたサイトまであることの事実を知らなかったので、余計に面白かったです。

論理学で示される「イエスかイエスでないかのどちらかである」と「ノーかノーでないかのどちらかである」という真理は認められるが、「イエスかノーかどちらかである」という単純な2分法は存在しないことは、やはり何度読んでも目を開かされます。つまり「イエスでもノーでもある」という状態と「イエスでもノーでもない」状態を意識させない、いわゆる「詐欺の理論」であるというのは、理解していてもすぐには出てこない場合もありえますし、普段から考え方の1つとして取り入れていきたいです。

また、講義の中で東大生にはお互いに話し合いはさせずに、一万円か千円のどちらかを選ばせ、一万円と書いた人数が全体の20%以内であれば書いてある金額をすべての学生に払う、ただし、一万円と書いた人数が20%を超えた場合はプレゼントはナシという挑戦もしたり(これも立派な論理学に関連します!「ナッシュ均衡」という不思議なある比率に関するものです)とても面白い講義です!私もできれば参加したかったです、東大生と一緒には無理でしょうけれど、やはり大学で勉強する、というのは面白いことなんでしょうね。職業的、あるいは生活の糧を持った上での、あるいは余生を送る状況での大学生活ってかなり惹かれます。

もちろん、他にも6次関連で世界のすべての人と繋がれるというスモール・ワールド仮説(以前に読んだ「複雑な世界、単純な法則 ネットワーク科学の最前線」マーク・ブキャナン著ですね!)の話しも出てきますし、進学振り分けという特殊な環境に最しての功利主義(サンデル教授でも出てきたジェレミー・ベンサムの話し)の話しも割り切ることの出来ない話しとして面白いですし、そこから自力で最大多数の最小不幸というロールズの未知のベール的な概念が出てくるのも凄かったです、さすが東大生、というか頭の回転が早くて独創的!しかもアロウの不完全性定理から個人の合理性の否定に繋がる話しもびっくりでしたし、ホントにさすがです。

でもそんな東大生ばかりでなく、高橋先生に「宗教的問題」を相談に来る東大生の、実は「宗教的問題」でもなんでもないただの色恋の話しの相談も、非常にリアルで、しかしちょっと周りの見えない状況が面白くも納得してしまいました。やはり、東大生であろうとも、色恋における客観性の欠如はあるんですね。

論理学に興味のある方に、一連の高橋先生の本を読まれた方に、思考的訓練が好きな方にオススメ致します。

7月27日の水曜日は

2011年7月25日 (月) 17:50

7月27日水曜日の午後7時以降は武蔵野市歯科医師会の会合があるために、医院長も健太郎共々、休診とさせていただきます。大変申し訳ありませんが、よろしくお願い致します。

「クラス」を読みました

2011年7月21日 (木) 15:14

エリック・シーガル著       扶桑社エンターテイメント

読みかけの本を仕事場に忘れてきてしまって、読む本を探していたら目に留まったのでつい、自分をアッパーにしたい時に読むこのエリック・シーガルの著作2つのうちの1つ(もう一つは「ドクターズ」角川文庫です)を手を出しました。久しぶりに読み返しましたが、今読んでもとても面白く、気持ちもアガります。

1954年にハーバードに入学した5人の、立場は異なる学生の学生時代と、その25年後にハーバードでの同窓会までの間のそれぞれの成功と、苦難と、転向と、挫折と、幸せと、その他人生に起こるであろう様々な事柄を描いたドラマです。

名門エリオット家の子孫であり、心優しいが体力は無く優柔不断でプレッピーなアンドリュー・エリオット、天才ピアニストでありながら屈折した親子関係と女性視を持つダニエル・ロッシ、何もかもに恵まれ皆に愛されるスポーツマンで人気者ではあるがユダヤ人であることを消されてアメリカ人として育ったジェイソン・ギルバート、ハーバードの近くに生活圏があったために羨望も大きかったギリシャ移民の努力家で内省的なテッド・ランブロス、そしてハンガリーからの亡命者でありアメリカ人に意図的になった冷静沈着な利己主義のジョージ・ケラーの5人のそれぞれのあまり交わらない学生時代と、もっと交わらない卒後の生活を主眼に置きながらも、誰しもが経験せざるを得ないドラマを醒めた視線で楽しめます。

大学生という、多感な時期であり、大人でありながらしかし未だ生活の手段を親という庇護者に頼らねばならない曖昧な時代の特殊性と、アメリカという日本とは違った積極的チャレンジ精神に裏付けされた裕福で恵まれた環境の中での生活は、かなり私が体験した世界とは異なりますが、時代設定も50年代ということを考えると、それもまたリアルであろうと理解出来ます。結婚や仕事や政治に対しても真摯であれた世代から、徐々に世界そのものが複雑になって行き、ベトナム戦争を介して常識が崩れていく時代性を、ヒッピー世代を親に持つことになる彼らの様々な葛藤が、ある意味極端な事例ではあろうけれど、十分乗せられてしまいます。キャラクターが非常に立っている、それも世代的リアルに裏づけされて、といえます。

疑似体験するかのような50年代から70年代への流れとその中でもがく個々人の生活と密着した停まることのない時間の流れをリリカルに描いた、しかしエネルギッシュな作品です。

アメリカの大学に、ドラマティックな小説(とは言いつつも単純ではない)が好きな方にオススメ致します。

ジェイソンの人生の転機の突然さと価値観の転換の大きさに、ロッシの全てを手に入れた男の手の届かないモノ、テッドの払った代償、ケラーに訪れるカタルシス、そしてエリオットの凡庸さの重み、それぞれに説得力があります。素晴らしい物語だと思います。

「メタルヘッド」を観ました

2011年7月19日 (火) 08:36

スペンサー・サッサー監督      ポニーキャニオン

映画「(500)日のサマー」、「インセプション」を見てとても気になった俳優さんジョセフ・ゴードン=レヴィットが出ているので、全くヘヴィメタルロックに詳しくないのですが観に行ってきました。ちなみにメタリカ初めて聞きました(笑)

母親を突然失った中学生くらいの少年TJ。その父親でやはり妻を失った現実にどうして良いか分からず、ただただ途方に暮れているポール。TJは母親と最後に一緒だった事故車をスクラップにすることに耐えられずに解体業者を説得するものの、子供扱いで話にならないうえ、その解体工事屋の息子はTJを目の敵にしていじめられています。そんな2人の前に、突然現れた20代とおぼしき、身体に刺青をした長髪の男が、ヘッシャーです。TJとヘッシャーの出会いも凄いんですが、このヘッシャーが沈んだ親子、そしてTJとふとしたキッカケで親しくなったやはり20代くらいのスーパーのレジ係の生活に先の見えないニコールを巻き込んで行くのですが・・・というのが冒頭です。

ヘッシャーを演じるジョセフ・ゴードン=レヴィット目当てで行ったのですが、この役者さんの印象が全然違っていて、それも嫌な方向じゃなく、良かったです。そしてパンツだけなのにかっこいい!意味不明な行動を取り、巻き込んだ上で置いてきぼりを喰らわせたり、ハチャメチャなんですが、何処か憎めない、というある意味使い古された古典的な異端者ヒーローなんですが、しかし、現代性を感じさせる部分もあり、笑わせる面を持っているのを良い緊張感と違和感で演技してくれていて良かったです。こういうキャラクターが出てくると物語が動きやすいですし、ノリがいいです。

対するTJを演じた子役デヴィン・ブロシューもなかなかでした。が、それよりもニコール演じるナタリー・ポートマン、ダメ女子っぷりといい、ダサい格好と、イケテないメガネ姿といい、ハマってる!ブラックスワンのニナ役なんかよりよっぽど個人的には好感持ちました。イタイ感じの女子を演じさせたら、今この人のリアル感と雰囲気は別格だと思います。

ヘッシャーの最後の最後のスピーチ、なかなか説得力あって良かったです、まるで勝麟太郎の話しです(笑)けれど、すごく良かった。

ちょっと気分をアゲたいという方にオススメ致します。

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