森巣 博著 講談社現代新書
何気なく書店で見かけた新書のコーナー。最近は原発もの、それも反原発ものが非常に多いのですが、その中で「世間」という言葉が気になって数ページ読んでみたのですが、その中に出てきた言葉「無知というのは知識がないことではない。疑問を発せられない状態を指す」というフランツ・ファノンという方の引用にグッときて購入しました。新書なので数日で読めます。
いちいちデータを出して話されるのでとても良いのですが、結論が結構過激でして、この情報を鵜呑みにして良いのか判断がつかないのですが、しかも煽りのように感じる部分もあります。しかし語り口は非常にスマートで響き易いと思いました、だからこそ、危ないとも感じますけれど。
メディア批判の鋭さはなかなかキワドい部分があると思いますが、納得もします。特に警察関係の発表を鵜呑みにすることの恐ろしさについての言及に、『叩いてよいもののお墨付きを貰う』という表現を使っているのですが、この部分は納得してしまいました。「世間」という情動の、感情にのみ依存した懲罰を蔓延させる機関としてのメディア批判は、それが「国鉄民営化」であれ、「郵政民営化」であれ、「のりピー覚醒剤事件」であれ、「原子力利権」であれ、同じ問題を孕んでいると思うのです。「社会」として「法治国家」としての切り口があまりに少なく、感情にのみ特化したメディアに対するリテラシーの警鐘として、ある程度納得してしまいました。
経済関係の話しもあるのですが、いかに日本が危険水域にあり、しかもアイルランドやギリシャの経済危機問題よりもキャパシティが大きい日本の問題の方が危険である、という説を唱えています。この際に使用されている資料が各国の負債額とその対GDP比で比べているのですが、2011年4月発表の国際通貨基金のもので表されると、日本の229パーセントはギリシャやアイルランド、そしてイタリアなんかよりも圧倒的に大きい数字ですね。そしてやはり財務関係の収支のバランスの著しい悪さ感じます。そして指摘されているのが国債の安全性について、です。
赤字国債の安全性について、果たして何処までがこの著者の言い分が正しいのか?という判断を下せないのですが、経済的な問題の疑問は多々あります。とにかく結果が決まってしまっているかのような語り口には多少の違和感あります。が、なにしろ経済的なことの単純な事も分からないので、なんとも言えませんが、なかなか恐ろしくも感じられました。このままこの人だけの意見では判断つきかねますし、そもそも経済問題はモノが大きすぎてどうにも把握し難い部分もありますし、他の問題と違って(いや、本当はどんな問題もそうかも知れませんが)やってみないと分からない部分も大きいですしね。所詮庶民の一人である私達レベルには関係ない、と言いたい気持ちにもなります、言えないところが本当に難しいんですけれど。
ただ、この人自説が正しいかどうかを自分でも考えろよ、というリテラシーの問題に踏み込んでくるところは好感持ちます。そう、あくまで著者は自分の書きたい事を書くべきですし、信じるも信じないも受け手に委ねられている、というのが正しいと私も思います。そう考えていればもう少し公共性高いメディアのレベルが変わると思うんですけれどね。
少々気がかりなのは、あくまで日本に住む人ではない、だからこその視点の新鮮さはあっても、居住することを既に止めてしまった、言い方は悪いですが『逃げて』しまった方、と言う意味でズルい感じ(あくまで感情として)はします。外から言いたいことだけ言うのか?ということです。
それでも考えてみたい方にオススメ致します。