ジェイン・オースティン著 小尾 芙佐訳 光文社古典新訳文庫
患者さんからオススメ頂いた本です。新潮文庫と岩波文庫に河出文庫やちくま文庫からも出ていますし、中でも名訳とされている新潮文庫の中野 好夫訳も出だしを読んだのですが、どうもしっくりしなかったので、最も新しい小尾さんの訳で読みました。英国古典の傑作、と言われていますし、大絶賛されている作品です。簡単に面白かった、素晴らしいとは表現出来ない、様々な感情がありました。しかし、それは物語としての、ストーリィとして評価であって、人物描写や技巧的なその伏線の貼り方、回収の仕方は素晴らしいと思いました。古典的な作品のひとつなんでしょうけれど、私には今(40代)読んで良かったような気がします。もし20代なら読みきれなかったかも。
非常に有名な書き出しである(そういう意味において、トルストイの名作「アンナ・カレーニナ」やユゴーの「レ・ミゼラブル」と同じくらい素晴らしい出だしだと思います!)「独身の青年で莫大な財産があるといえば、これはもうぜひとも妻が必要だというのが、おしなべて世間の認める真実である。」というくだりから始まる、18世紀のイギリスを舞台にした、田舎町ロングボーンに住む中流階級の一家とその近くに引っ越してきた独身貴族たちとの、閉じられた世界のメロドラマです。
ベネット家の次女である20歳のエリザベスは非常に思慮深く聡明であり、その父親であるミスタ・ベネット(ドライな感情の持ち主であり、極めてウィットなユーモアある人物)との結びつきが強くて、美貌にも恵まれていますが愛嬌はあまりありません。長女であるジェーンは有名な美人で奥ゆかしい好人物で2人は仲がたいへん良いのですが、しかしこのベネット一家にはジェーンを筆頭に5人の子供全てが女性であって、当主であるミスタ・ベネットが没すると、その財産すべてがミスタ・ベネットの甥でいまだ会ったことが無い独身のウィリアム・コリンズに引き継がれます。そして、そのことが一家に暗い影を落としている中、そんなベネット一家の近所に引っ越してきたのが、青年資産家で鷹揚なミスタ・ビングリーであり、またその友人で気難し屋のミスタ・ダーシーです。ジェーンやエリザベスの母であるミセス・ベネットはなんとかして娘たちと青年資産家を引き合わせたいと願うのですが・・・というのが冒頭のシーンです。
端的な感想としては、中流だろうが、上級だろうが階級社会というのは非常に生活するのに大変な世界だなぁ、です。で、恋愛小説として、結婚小説として、瑞々しく描かれています。また技巧的に素晴らしい小説だと感じました。ロマンス溢れる王道の女性の為の小説であり、しかし男性にも示唆に富む小説だと感じます。読み継がれるべき名作であり、新訳が出されるのも充分頷けました。
個人的にはミスタ・ベネット(主人公エリザベスの父)が非常に興味惹かれる人物であり、物語に重みを与える素晴らしいキャラクターであって面白いです。こういう人物が描け、扱えることはジェーン・オースティンの凄いところだと思いますし、実際出版されたのが36歳の時の作品ですし、そのこと一つ取ってみても稀有な作家であったと思います。そしてなんと言いますか、世界の動きや時代背景をあまり感じさせない普遍性があり、そのこと以上にリアルな『人間の生活』に焦点を当ててある意味扇情的に扱っていることも普遍性を感じさせます。
古典的で、しかも王道の小説に興味のある方、あるいは女性である全ての方々にオススメ致します。
アテンション・プリーズ!
ここからネタバレありの感想です。古典の名作とはいえ、ストーリィを、結末を知ってしまうことは物語の初回性を著しく損なうと考えますので、もう読まれた方は構いませんが、未読の方はご遠慮くださいませ。
とても面白いのですが、ゴールという結末が『結婚』である以上、ダーシーは魅力的であれば問題ないのです。その魅力の中身の大半は、青年資産家であること、そしてミステリアスであること、またダーシーの方からのアプローチがあること、です。しかし、このことがダーシーを結婚するということで魅力的に見えても、人物として魅力的に写るわけではない、ということです。
この物語ですと、ダーシーがエリザベスを選んだ理由(特に最初のプロポーズまで)は基本的には、綺麗だったから、が大きく感じます。ダーシーがエリザベスをこれほど(非常に強く、エリザベスを求めているわけです、かなりの手間隙をかけ、リディアに対してかなりの金額【そうはいいながらも、ダーシー自身が努力によって稼ぎ出したものではない】を使い、しかし自身の介入を隠蔽するという『手間』までかける)強くエリザベスを惹きつけるのに『外見』が大きいということは、ちょっと不安定です。確かに聡明なエリザベスですが、ダーシーとの接触のある時間においてはそれほどその言動に聡明さや、ダーシーとエリザベスだけの行動ややりとりがあまり無かったように感じます。エリザベスの方からの感情が好意に変わってゆく過程は非常にドラマチックに、そして説得力あるのに対して、ダーシーは一貫性ある好意であり、その源が『外見』であるのがどうも不安定な感じになるのではないか?と感じました。
ダーシーとのコミュニケーションを重ねることでの誤解や自身の偏見が解かれてゆく部分は、これまでの伏線が回収されていく部分であり、盛り上がります。しかし、ダーシーの、エリザベスとのコミュニケーションへ至るまでの長さに、リアルを感じられないわけです。が、やはりこの小説こそ、女子のための女子の小説だからなんでしょうね。このリアルでない感じがまさにダーシーのミステリアスさと、選ばれているエリザベス、という構図になるわけでしょうね。
結婚が生活の手段であった時代に、女性であることの難しさを非常に克明に描いていると感じました。そして、だからこそ、私は今現在の日本で生活できる幸せを感じます。
『外見』から選ばれしエリザベスがその器量を減じるころ、日常になったダーシーとの「生活(というある意味退屈な面を)」がもたらすエリザベスの変化を、ミスタ・ベネットではなくミセス・ベネットを反面教師となりえるのか?という部分が非常に気になりました。そういう意味でも金井 美恵子著の「噂の娘」は読んで面白かったなぁ、と改めて思いました。