鈴木 多聞著 東京大学出版会
最近気になって調べていた先の戦争関連の本、いろいろありますけれど、海軍側、陸軍側、そして戦後に証人として言葉を残された人々、本当に触り程度しか読んでないですし、知らない事実や証言があるでしょうし、かなり深く広い話しですが、恐らく決着がつくことは無い、個々人の納得出来るポイントを見つけられるか否か?という問題だと(恐らく歴史の問題ってそういうものだと思ってます)感じています。
しかし、友人がオススメしてくれた本書は濃密かつ公平であり、個人的にはある納得出来るポイントを示してくれました。これだけの資料を読み込み、文献に当たりやすく注釈を入れ、纏め上げた著者には、頭が下がります、素晴らしい仕事です。客観性についても、この著者のものであるならある程度信頼して良いのではないか?と思わせるほどの綿密性があると感じました。オススメしてくれた友人は同級生なんですが、さすがです、ありがとう。こういう本を読んで勧めてくれる友人がいるって貴重だと思います。
内容は読んでいただくしかないんですが、素晴らしい構成、文章力、そして資料のあたり方も客観的で見事です、またその当時の人と現代の読み手であることの違いにきちんと言及して、視点を当時のものに改めてくれるのも特筆して素晴らしいと感じました。
もの凄く大雑把に勝手な個人的に纏めますと、1943年当時の日本の状況、絶対国防圏の設定とその由来と統帥権の問題を経て、東条内閣の崩壊の実際の原因である様々な政治勢力の舵取り役である内大臣木戸の存在、そして内大臣木戸の働きがあったからこその中間内閣である小磯内閣の成立、その当初からの含みを経ての鈴木内閣の役割、そして残念ながら最初から目がなかったであろうソ連介入の勝手な願望の為の継戦、そしてその時である1945年8月の広島への原爆投下、ソ連参戦、長崎への原爆投下、天皇陛下の2度の「ご聖断」、無条件という「条件」のある降伏である『ポツダム宣言受諾』という流れを、非常に分かり易く、そして何が意味があったのか?、もしくは結果を知っている私たち読者に向かって、その当時の降伏するということの理解が予想であることの恐ろしさを伴った想像という立場からの考察など、素晴らしい着眼点であり、緻密な文献の読み込みであり、素晴らしい仕事だと感じました。
私のようにその当時のことをあまり知らない、知識の無い者が読んでも誤解の少ない文脈で書かれていることも評価すべきだと思います。
どのようにして「終戦(という言い方に、しつこいようですが私個人は欺瞞を感じますが、本書では【終戦】となっているためにこの言葉をあえて)」を受け入れたのか?というポイントに絞って、それも政治的にどのような経過があったのか?という部分に焦点を当てて、かなり克明に明かされていきます。
当然、天皇陛下の「政治的役割」についても、『意思なき君主』であるのか『意思ある大元帥』なのか、もしくはその中間に存在するのか?という問題にある一定の答えを出していると思います。そして、陸海軍の乖離に於ける問題、政治勢力の移ろい、内大臣木戸の存在、等様々な問題をひとつずつ検証、その1次資料を当たり、読み解き、出来うる限り客観的な立場から、戦争を終わらせることの難しさを克明に炙り出しています。
どんな立場の人であっても、戦後を生きる人であるならオススメ致します。
知っておくべき事柄がたくさん書かれた名著だと思います。
あと、1次資料だろうが、日記だろうが、どうしても書いた人の目を通した現実でしかなく、省かれたり、足されたりしている事あると思います、1番「そうであったであろう」という枠から外れるものではない、1つしかない現実ではない可能性は当然あると考えています。
江川 達也著 PHPコミックス
ちょうど先の戦争の話しをいくつか読んでいるのですが、その中でも個人的に気になったのが、何故負けることを理解しつつ戦火を拡大させてしまった人々がいたのか?そして、戦争を始めるに際してその目的や到達点を計画していなかったのか?(もしくは私の無理解で、設定してあったにも関わらず無条件降伏にまで、城下の盟になってしまったのか)が知りたいと思い、いくつかの書籍を手に取っているのですが、海軍の「山本 五十六」(阿川弘之著)を読んでいたので、その逆側からの検証というかアウトラインだけでもと思い手に取ったのがこのマンガです。もちろん本当は石原莞爾の「最終戦争論」を読むのが正しいんでしょうけれど、私の好きな江川太郎左衛門英龍が描かれていると知り、こちらを手にとりました。
海軍側の立ち位置からすると、陸軍の暴走という気が致しますし、未読なんですがその存在は知ってる「昭和16年の敗戦」(猪瀬直樹著)に詳しい「総力戦研究所」の存在があったにも関わらず、しかもかなり濃厚な敗戦結果が出ていたにも関わらず、戦端を拡げる、という部分に恐ろしさを感じるのです。なので陸軍側の見解に近かったのが、というよりも指導的な立場の中でもとりわけ名を馳せているのが石原莞爾だったので、手を取ってみた次第です。
もの凄く大雑把な話しですが、つまり陸軍の方が精神論に組していて、海軍の方が論理に組しているような感覚があるのです。もちろん両方が必要なわけですが、おそらく順番があるように私は感じます。基本的には論理が主であり、最後の決め手として精神論が必要なのではないか?と思うのです。
このマンガは石原莞爾と宮沢賢治を主人公にしている体をなしていますが、圧倒的に石原莞爾にその分量を割いています。そしてその思想の背後にある法華経の視点から、もしくは石原の先見性の正しさから、石原が偉大であり、正しく、歪められた考えや知識を正すことが出来るように割合扇動的に描かれています。
石原の考えに乗っ取っていれば、彼の考えを充分に周りが理解出来ていれば、日本は戦争に負けることも無かったですし、江戸時代は素晴らしい楽園のような時代であり、日本は最も素晴らしく世界を征服するに値する国家である(しかし凄い意見だと私は考えますけれど・・・)、という主張を、江川 達也氏が言っているように聞こえます。
そして、その素晴らしい日本であることを誇りに感じる人に、日本人であるということでアプリオリに素晴らしいという考えの方に、とても喜ばれそうな内容になっています。
主義主張が違うとこんなにも違って見えるのだなぁ、というのが実感です。
江戸時代は良い人にとっては良い時代だったかもしれませんが、辛い人には辛い時代だったと思います。その当事の世界の中では比較的まともだったかもしれませんけれど、下々の人にとって見れば相当にキツイ世界だったと思います。無論科学や医学は進歩していなかった(知識の共有が許されないというか手段が無いわけです、無論多少の進歩はあったでしょうけれど)でしょうし、蘭学者たちも必要なかったと言いたいのでしょうか?西洋の知識は西洋で起こったから西洋知識なのであって東洋の、しかも日本ではないわけで、その辺が非常に都合よく描かれているように感じました。鎖国や幕府に逆らった方々にとっては(逆らわざるを得ない人々だったでしょうね、高野 長英も、渡辺 崋山も、大黒屋光太夫も、林 子平も、大塩平八郎も、高山 彦九郎も、高田屋嘉兵衛も、小関 三英も、その他いろいろいらっしゃいますね、逆らいたくて逆らったのではない方も含まれますでしょうけれど)非常に苦労の多い時代だったと思いますね。隣組制度もある、階級社会であり、かなり厳しい身分制度を敷いていますし、少なくとも楽園ではなかったと私個人は感じますけれど。
石原が指摘すると別格に都合良く聞こえますけれど、やはり陸軍の中での規律が乱れていた事、そしてそれを石原も充分理解し、自分も満州国にてそのことを利用していたことを『大義のため』と称して戦乱を起こしていたことは知れて良かったです。後輩である武藤章に全く同じ行動を起こされて結局困る石原は他者の考えも理解するつもりもなく、「正しい」から良い、と言う拡大解釈に、同じ轍を踏む自分に、負けるのが哀れとも言えます。
近現代史をある視点から(石原莞爾・法華経・江川達也史観)コンパクトに纏められていて面白いと思いました。そういう意味では江川さんのマンガは面白いですし、本当にタイトに出来上がっていて面白いです。それに江川太郎左衛門英龍が出てくるのは個人的に嬉しかったです。もっと脚光浴びたり、大河ドラマの主人公になれる存在だとおもうんですけれどねぇ。
敗戦当時のことや、近現代史に興味のある方に(ただし陸軍史観というよりは法華経・石原莞爾・江川達也史観だと思います)オススメ致します。
12校会という全国の歯科大学の中でも割合新設された学校を中心とした組織の時局講演会に行ってきました。日曜日ですが、お仕事ですし、久しぶりにスーツ着ました。
患者さんが受けられている日本の皆保険制度のありがたみを、改めて感じてきましたし、TPP問題にも触れられるなかなか面白い講演でした、さすが日本歯科医師会会長のお言葉ですね。
その後は出身校である松本歯科大学の先輩方とお話ししながら最近の情報を交換しました。楽しくも為になる話しや、同窓ならではの話題も楽しめました。
今回の改定についても、なかなか難しい判断があったようです。また、武蔵野市歯科医師会もそうなのですが、広域指定法人としての体制を整えることがなかなか難しくも大変な作業です。
4月15日には松本歯科大学東京都支部の総会もありますし、私も会計の役員として仕事をまっとうしなければいけません。
写真は休日ではなかったのですが、昼休みに散歩した井の頭公園です、寒かったですが、水面が綺麗に撮れましたので。
今週は、本日3月26日、武蔵野歯科医師会での講習があり、7時までの診療になります。
また、3月28日の水曜日にも武蔵野市歯科医師会中部ブロック会議がありまして、学校医における検診の分担を決めますので、7時までの診療となります、ご了承くださいませ。
阿川 弘之著 新潮社文庫
私は全く知らなかった山本 五十六海軍連合艦隊海軍大将の評伝です。名前を聞いたことがある、くらいでして、先入観を持つことも無く、普通に知らなかったです。
先の戦争について少し興味が沸き、何故負けると理解していながら、しかも終着点をゴールを考えないままに泥沼化したのか?が知りたくて本を手に取っているのですが、中でもこの本については特に、「負けると理解していながら開戦の火ぶたを切った男」という宣伝コピーに興味が湧き、尚且つ著者が阿川さんであったので読みました。阿川」さんの言葉はなかなか鋭い部分ありますし、処女作であった「春の城」(の感想はこちら)は素晴らしい小説でしたから。
私はどちらかというと海軍史観の立場で先の戦争を見ているとは思いますが、それは物事を知らないだけで、事実を知れば変わる可能性あります。ただ、なんにしろ、どのような立場にしろ、現実に日本は戦争に負けた(無条件降伏し、ポツダム宣言を受諾し、サンフランシスコ講和条約に調印した)わけで、その結果このような事態に陥っていることがリアルであり、そこは変わりようが無いと思います。無条件降伏に陥った過程を、知ることは開戦に至った過程をも含んで考えなければいけない大きな問題であり、多分一生結論は出ないでしょうし、人によって違っても良いとは思いますが、客観的事実に基づくものであって欲しいです。また、その辺の未だ知らない事実を、あるいは歴史の中に埋もれてしまっている重要な何かが存在したかも知れない、という中腰力(精神科医春日 武彦先生の名言で、判断の保留をしたまま思考停止ではない状態を耐え忍ぶこと)を持って考え続け、何処かで納得できたらなぁ、と漠然と考えています。
結構ぶ厚い上下巻で海軍の将であった山本 五十六を描いていますが、私の全く知らない様々なことを前提で話されるのでなかなか理解するのに苦しみましたが、かなり山本を好意的に見ているというのはよく分かりました。また、並行して読んだ漫画「最終戦争論 石原莞爾と宮沢賢治」(江川達也著)と個人的には対で読んで良かったと思ってます(次回はこの漫画の感想です)。
海軍に所属し、軍縮会議にも参加、海外での評価も高い人物で論理的な部分も大きく先見性も高いが、とことん嫌った相手を許さずに、女性関係にも甘い男であるというイメージを本書を読んで持ちました。私が最も知りたかった「負けると理解していながらも何故開戦の火ぶたを切ったのか?」が今ひとつ理解出来ませんでした。言葉としてはやはり何とか三国同盟を阻止し、講和を早めにしたかった、というのは理解できますけれど、それが突然言葉は悪いんですが「どうしても開戦するなら、開戦と同時にやるだけやりますよ、ただし、1年後はわかりませんけれどね・・・」という、およそ先の予測があまりない言葉にびっくりでした。先見性を持つ男の、責任ある立場がそこまで追い込まれていた、と見るべきか?はたまたどちらかと言えば自暴自棄になっての発言なのか?その点が著者の阿川さんも想像に頼っていて、阿川さんの推察では、今まで散々慎重過ぎる、あるいは弱腰の、親米派的な立場を取っていたところへ、いわゆる右翼的な立場の人々からの讒言に反発して「やってやろうじゃないか」と考えたのではないか?と考えているようです。私はこの本を読んだ限りに於いては、その阿川さんの説にもうひとつ納得出来ませんでした。かなり論理的思考の持ち主であり、いわゆる国家の行く末を考えていたであろう山本がそんなに簡単に考えを180度変換するとは考え難いと感じました。もちろん緒戦に叩けるだけ叩いて講和、という考えを持ったのかもしれませんが、米国民や英国民の考え方や、その指導者の徹底性を知っている山本からすると、個人的には信じがたい部分を感じます。やはりまだ個人的には分からない、という事ですね。
また、何故戦死する際の視察にあれだけの拘りをみせたのか?という事です。そんなに重要な感じもしないのですが、視察はやはり重要な任務なのでしょうか?また早期決戦の後の講和を有利に、というのは分からないでもないのですが、それを実行できる政治的勢力との承諾なり契約について全く行動を起こしていないところも気になりました。そして真珠湾攻撃時に自身は艦隊に同行していなかったのは何故なんでしょうかね?現場に近い方がより的確な指示を出せたような気がします。また、航空勢力の充実をこれだけ訴えつつも、艦隊戦による早期決着を考える、ということに矛盾があるようにも感じますが、しかしこれらは全て私が後から勝手な疑問を抱いているだけなのかも知れません。当時の中ではコレが精一杯の抵抗だったのかも、とも思います。
海軍大将山本 五十六の人物像が気になる方にオススメ致します。なんとなく、もうひとつ興味惹かれる人物ではなかった感じがしました。