江川 達也著 PHPコミックス
ちょうど先の戦争の話しをいくつか読んでいるのですが、その中でも個人的に気になったのが、何故負けることを理解しつつ戦火を拡大させてしまった人々がいたのか?そして、戦争を始めるに際してその目的や到達点を計画していなかったのか?(もしくは私の無理解で、設定してあったにも関わらず無条件降伏にまで、城下の盟になってしまったのか)が知りたいと思い、いくつかの書籍を手に取っているのですが、海軍の「山本 五十六」(阿川弘之著)を読んでいたので、その逆側からの検証というかアウトラインだけでもと思い手に取ったのがこのマンガです。もちろん本当は石原莞爾の「最終戦争論」を読むのが正しいんでしょうけれど、私の好きな江川太郎左衛門英龍が描かれていると知り、こちらを手にとりました。
海軍側の立ち位置からすると、陸軍の暴走という気が致しますし、未読なんですがその存在は知ってる「昭和16年の敗戦」(猪瀬直樹著)に詳しい「総力戦研究所」の存在があったにも関わらず、しかもかなり濃厚な敗戦結果が出ていたにも関わらず、戦端を拡げる、という部分に恐ろしさを感じるのです。なので陸軍側の見解に近かったのが、というよりも指導的な立場の中でもとりわけ名を馳せているのが石原莞爾だったので、手を取ってみた次第です。
もの凄く大雑把な話しですが、つまり陸軍の方が精神論に組していて、海軍の方が論理に組しているような感覚があるのです。もちろん両方が必要なわけですが、おそらく順番があるように私は感じます。基本的には論理が主であり、最後の決め手として精神論が必要なのではないか?と思うのです。
このマンガは石原莞爾と宮沢賢治を主人公にしている体をなしていますが、圧倒的に石原莞爾にその分量を割いています。そしてその思想の背後にある法華経の視点から、もしくは石原の先見性の正しさから、石原が偉大であり、正しく、歪められた考えや知識を正すことが出来るように割合扇動的に描かれています。
石原の考えに乗っ取っていれば、彼の考えを充分に周りが理解出来ていれば、日本は戦争に負けることも無かったですし、江戸時代は素晴らしい楽園のような時代であり、日本は最も素晴らしく世界を征服するに値する国家である(しかし凄い意見だと私は考えますけれど・・・)、という主張を、江川 達也氏が言っているように聞こえます。
そして、その素晴らしい日本であることを誇りに感じる人に、日本人であるということでアプリオリに素晴らしいという考えの方に、とても喜ばれそうな内容になっています。
主義主張が違うとこんなにも違って見えるのだなぁ、というのが実感です。
江戸時代は良い人にとっては良い時代だったかもしれませんが、辛い人には辛い時代だったと思います。その当事の世界の中では比較的まともだったかもしれませんけれど、下々の人にとって見れば相当にキツイ世界だったと思います。無論科学や医学は進歩していなかった(知識の共有が許されないというか手段が無いわけです、無論多少の進歩はあったでしょうけれど)でしょうし、蘭学者たちも必要なかったと言いたいのでしょうか?西洋の知識は西洋で起こったから西洋知識なのであって東洋の、しかも日本ではないわけで、その辺が非常に都合よく描かれているように感じました。鎖国や幕府に逆らった方々にとっては(逆らわざるを得ない人々だったでしょうね、高野 長英も、渡辺 崋山も、大黒屋光太夫も、林 子平も、大塩平八郎も、高山 彦九郎も、高田屋嘉兵衛も、小関 三英も、その他いろいろいらっしゃいますね、逆らいたくて逆らったのではない方も含まれますでしょうけれど)非常に苦労の多い時代だったと思いますね。隣組制度もある、階級社会であり、かなり厳しい身分制度を敷いていますし、少なくとも楽園ではなかったと私個人は感じますけれど。
石原が指摘すると別格に都合良く聞こえますけれど、やはり陸軍の中での規律が乱れていた事、そしてそれを石原も充分理解し、自分も満州国にてそのことを利用していたことを『大義のため』と称して戦乱を起こしていたことは知れて良かったです。後輩である武藤章に全く同じ行動を起こされて結局困る石原は他者の考えも理解するつもりもなく、「正しい」から良い、と言う拡大解釈に、同じ轍を踏む自分に、負けるのが哀れとも言えます。
近現代史をある視点から(石原莞爾・法華経・江川達也史観)コンパクトに纏められていて面白いと思いました。そういう意味では江川さんのマンガは面白いですし、本当にタイトに出来上がっていて面白いです。それに江川太郎左衛門英龍が出てくるのは個人的に嬉しかったです。もっと脚光浴びたり、大河ドラマの主人公になれる存在だとおもうんですけれどねぇ。
敗戦当時のことや、近現代史に興味のある方に(ただし陸軍史観というよりは法華経・石原莞爾・江川達也史観だと思います)オススメ致します。