高橋 昌一郎著 講談社現代新書
待っていた高橋先生の最新著書は限界シリーズ(「理性の限界」の感想はこちら、続編の「知性の限界」の感想はこちら)でした!相変わらずとても面白くて読みやすく、その上知的刺激に満ちた本です。これまでの限界シリーズと同じように、様々な登場人物が司会に促されたり、止められたりしながら、ディスカッション形式で語られる「感性」の限界を知る事ができるそんな本です。また、序章では前回の「知性の限界」からの流れが何となく分かるような仕組みになっていて、その辺りの配慮(この本からでも読めます)も素晴らしいです。
まず最初が「行為の限界」のシンポジウムです。よく言われる「感性」という、知性や理性とは異なった何かを美しいと感じたり、心地よいと感じたりする部分に纏わる行為についてです。これが結構刺激的でして、まず「感性」という言葉を定義しようとするところから始まるのですが、これ、かなり難しいです。そこから大脳生理学の話しを経てたどり着く心理学の話しもかなり刺激的でした。心を大脳生理学と心理学から解析しようとする試みそのものが既に何か可笑しい感じがしますけれど、科学的に、再現性ある検証、となると仕方が無いのかもしれません。さらに話しが広がって、広告、バイアス、アンカリング、刷り込み、そして何より大きなこの本の隠れた主題とも言える『二重過程モデル』など、比較的知られていない部分の話しが印象的でした。 しかも、認知的不協和なる、なんと言いますか、不条理で無理解で勝手な思い込みでしかも自己納得を得るための思考とも言うべきものなのですが、これ、かなり恐ろしいですね。ここに「空気の支配」が絡むことでの「世間」という厄介なシロモノが幅を利かせるのが『社会』というものなのかもしれません。また、「フレーミング効果」という「得をするフレームではリスクを避け、損をするフエームではリスクを冒そうとする」傾向には、ただただ納得してしまいました。
続いてが「意志の限界」でして、これまた衝撃的な事実が出てきます。「意志」とは何か?から「自由意志」は存在しえるのか?という問いになるのですが、ミルグラムが行った「アイヒマン実験」の結果は衝撃的過ぎるくらいに衝撃的です。これは有名な実験ですので私も結果は知っていましたが、より詳しく書かれています。まさに服従されやすい、社会性を持った生き物である人の判断という「意志」がいかに不自由であるのか?を示す好例だと考えます。賢いのに愚かな行動をとる、そういう存在としての人間を見るなかなか恐ろしい結果です。さらにここでは話を進め、ドーキンスの「利己的な遺伝子の話しにつながります。こういった賢いのに愚かな行動のように見える、というのは実際のところ遺伝子から見ると(個体そのもののレベルでは利他的に見える行為が、遺伝子という『生き物の 乗り手』として捕らえるとまさに利己的なふるまいになる)利己的なふるまいでしかないことが、理解を深めます。このことが先ほど出てきた「二重過程モデル」をより理解しやすくさせます。また、利己的な遺伝子への反乱ともなりかねない様々な事柄から、より「自由意志」が進化している、とも言える部分は非常にエキサイティングな部分でした。この問題はより大きな疑問である「決定論」か「非決定論」か(もっと言うと「運命論者」か?「自己決定論者」か?ということだと思います)、という問題に繋がっていますが、ここではさらりとだけでした。もう少し高橋先生にこの部分を本にしてもらいたいです、これだけでかなり面白い本になる題材だと思います。
そして最後が「存在の限界」です。まさに死をどう捉えるのか?から始まる章なのですが、ここも刺激的です。よくいわれるビッグバンを1月1日午前零時にたとえ、今現在を12月31日11時59分にするカレンダーの話は何回何処で呼んでも感慨深い話しです。そして「ミーム」と言われる非遺伝子的知的伝達はかなり興奮できる話しです!何か非常に重要な考え方に繋がる何かがあるように感じました、ミームは知ることが出来て良かったです。また、カミュの「シーシュポスの神話」の「生きる意味」の話しは結構頷けてしまいました。不条理に対抗する3つの策の最後で最善の策である「反抗」には個人的にかなり親和性高いと感じました。もちろん毎日ずっと、というわけではありませんし、感情的に流されることだって多いんですが、しかしそれでも、という部分が確かにあると思います。「異邦人」は読まないといけない気になりました。そして最も衝撃的な事実は、大脳生理学者が話した1983年にカリフォルニア大学で行われたベンジャミン・リベットが行った意志が随意運動野に伝わる350~500ミリ秒前に随意運動野の電位が上がる、という実験結果です。つまり意志よりも先に指が動く準備がなされている、ということです。まさに驚愕、意志すら自らのものではない可能性があるということですから。また、バナールという科学者の書いた未来「宇宙・肉体・悪魔」はかなり興味惹かれるものですね。SFの世界に見えますが、ある程度根拠があって、しかも大胆な予測が当たっている部分も大きく、脳とネットを繋ぐという発想がここにある事に驚かされます。
しかし、このシンポジウム全体で言えることは、急進的フェミニストとカント主義者が出てくると話がややこしく、不毛になる、ということですね。それでも、私個人は急進的フェミニストとは話をしたくありませんが、カント主義者とは話しがしてみたい、と感じさせます。そして何より特別な存在として感じられる、覚悟を持った人物「方法論的虚無主義者」の話しが最も先鋭化されていて、極端なはずなのに説得力があり、何処かで見たような気になっていたのですが、やっと思い出せました。映画「ダークナイト」のジョーカーがまさに「方法論的虚無主義者」ですね。
あとがきで交わされる本書の主題、賢いのに愚かな行動をとる人間の、空気に支配されてしまう人間の、限界を考え知ることでの知的刺激と共に得られる俯瞰するチカラが、愚かな行動や空気に僅かながらも抵抗できる『何か』なのではないか?と感じました。あいかわらず高橋先生は非常に考えさせるのが上手いと感じました。
考えることが好きな方に、ダークナイトのジョーカーが気になる男の人に、オススメ致します。