マイケル・サンデル著 鬼澤 忍訳 早川書房
あの、マイケル・サンデル教授の新しい本です。以前読んだマイケル・サンデル教授の本「これからの『正義』の話をしよう」(の感想はこちら)があまりに面白かったですし、NHKのテレビ番組「ハーバード白熱教室」もとても面白かったので、この本も期待して読みました。その期待を裏切らない読み応えある本でした。もちろん、内容は講義を受けるのが最も望ましいでしょうが、私は英語がほとんど分からない上、ハーバードに入学はもっと無理なので、書籍化や、NHKでの放送は本当にありがたかったです。その次の手段として本ですが、今回の内容も、もし講義になっているのであるなら、映像を見てみたいです。あくまで、マイケル・サンデル個人が素晴らしく凄いのではなく、導入として、考える、ということについての 公平さ という軸が面白いのであって、現実に於いてはどうなのか?はまた別も問題であるのを理解した上でも、とても面白い本です。
政治哲学を専攻しているマイケル・サンデル教授が、もちろん政治哲学だけでない、そこから波及するモノへの考察を、特にこの市場勝利時代を背景に、その突き進む先に何があるのか?もしくは問題はないのか?という素朴な疑問を追ったのが本書です。お金を介在させることで何でも売買することが出来うる利便性が、本当に何も失うものがないのか?という根源的問いかけを考察するのですが、これがとても面白い思考実験でもあり、また身につまされる問題でもあり、非常に考えさせられます。
ラッシュアワー時に特別レーンに割り込む料金、代理母による妊娠代行サービス、主治医の携帯番号サービス、という需要に対する価格や、自分の額に広告を刺青する、製薬会社の安全性臨床実験で人間モルモットとなる、ロビイストの為の行列並び係、という価格を付けられる収入、世界は今現在市場勝利時代(何もかもが価格を付けられる世界、高度資本主義社会、という名称でも良いと私個人は考えます)を生きているのですが、僅か2~30年ほど前であるならば、およそ価格が付かなかった、市場主義とはある程度距離があった分野へ、すさまじい勢いで市場価値判断が入り込み、まさに需要と供給のバランスシートという単純なことのみで某かに価格をつけて流通させる、という事が行われてきていることを、実際の驚愕させられる出来事の価格例を見せながら、まずは理解させられます。そのあまりに、あまりな、例を読むにつれ、徐々に何かしら上手く言葉に出来ない居心地の悪さを覚えさせられた後で、その居心地の悪さを言葉にしてくれます。2つの不正義である『不平等』と『腐敗』です。このことを感じるからこそ、何処か居心地の悪さを(勝手に)覚えるのです。
『不平等』の意味よりも『腐敗』の意味はとても大きく、またダメージも後から出てくるものになりがちで、そのタイムラグが問題なのかもしれません。もしかするとこれは「常識」を変える話しでもあると思うのです。序章を読んでいただければ、この本が言おうとしているアウトラインと結末が飲み込めると思います。もし、その大半を面白くないと考えられる方であるならば、この本は面白くないものでしょうが、考える事がお好きな方であるならば、様々な事へ波及することの、考えの及ぶ範囲の広さに、愕かされると思います。
また、インセンティブという考え方や方式、これからどんどん広まりそうな気がします、結構諸刃の剣のような部分を感じます。市場はどんな価値も歪めないし決め付けることはない、あなたが判断しているにすぎない、という面を強調されてきていますが、そんなことが無いことを理解でき、そうすると、いかにインセンティブという考え方そのものがその鋭さによってより強い動機にもなり、また凶器にもなりうるとも感じました。どのような価値判断を推奨しているのか、あるいは無意識にだろうが貶めているのか?という価値判断を、実は私たちが考え、そして問わなければならない、かなり個人的問題に直結していると感じました。別にサンデル教授もある1つの(市場にそぐわない)価値判断があるのではなく、善という道徳的価値判断基準はそれこそ様々に存在し、その中から選ぶことが出来うるのだが、市場勝利時代では、特に市場価値判断を慣例的に用いてこなかった部分に用いることで、ある善を貶め、腐敗させているのではなか?という事に鈍感過ぎてはいないか?という主張です。そこにインセンティブという奨励が効率化を求めて入ることでの怖さも充分感じさせます、が、きっと日本でもこれから何かにつけ流行ってくるような予感がします。
生と死を扱う市場 という章におけるスピンライフ型証券というからくりは非常に恐ろしいものだと感じます。誰も損をしないのにも関わらず、です。そして命名権 で扱われる公共という概念の消失に繋がりかねないほどの行き過ぎた世界が既にアメリカで実際に起こっていることの滑稽さも、印象に残ります。
というわけで、大変面白かったですし、思考実験の数々を、考える事の楽しさを体感したわけですが、結局のところ、リーマンショックのいような大きな出来事が起こってもあまり変わらない市場原理主義(もはやこれは市場勝利主義ではない、高度資本主義社会さえを通り越した世界に見えます)がもっと広まっているというように感じます。高度資本主義社会はどのようにしてお金を回すのか?というところにポイントがあるように思いますし、ということははっきりと言えるのが『無駄は美徳』という考え方ですし(村上春樹氏の小説に出てきてたと思います『ダンス、ダンス、ダンス』辺りだったような・・・)、さらに『楽』をするために資本を投入して、回収する、というシステムですから、坂道があればエスカレーターを付けて料金を取る、ということなわけです。それを考えなくても済む、と言うところまで押し広げているのではないか?と感じられます。だからこそ、非市場的な分野への市場主義の侵入が起こっているのではないか?と。市場勝利主義は終わった、新たな善と市場との関係を考えるべき時期に来ている、とサンデル教授は申しておりますが、私はもっと市場勝利主義が進み、市場原理主義に向かっているように感じました。細かいこといちいち考えるのがメンドクサイ、という人に向けて市場主義を広げている感じがするのです。政府よりも、つまり国よりも市場の方がずっと大きく、早く、そして躊躇無く、物事を決めて利益最優先で動くのですから。そこを規制することに私は同意しますし、様々な形の『善』というよりも『文化』を残す為にも必要であると思いますが、この大きな流れを変えられるか?ということに不安を感じます。
結局、規制を受ける人の利益が阻害される、という部分を説得出来ない限り変わらないような気がしますし、その規制を受ける人は今の市場主義で言う勝者なわけで、そこも難しい感じになる一因です。市場主義の限界は人によって異なることは理解出来ましたが、だからと言って一人一人の都合に合わせられない、コストが高すぎるということに於いて私はもっと市場主義が蔓延するような気になりました。市場原理主義的な世界に。生と死を扱う市場が出来上がっていることは、既にその世界に入り込んでいる、と個人的には感じました。
物事を単純化することの心地よさの裏に潜む危険に興味のある方に、考えることが好きな方にオススメ致します。