伊藤 計劃著 ハヤカワ文庫
あの名作「虐殺器官」(の感想はこちら)の伊藤 計劃さんの本です。作者の伊藤さんが死去されているので新作は出ませんし、完成された作品は数少ないので気持ちが高まった時に読もうと思っていたのですが、円城 塔さんが未完の原稿を完成させるべく(ご遺族の了解を得ている)執筆している、というニュースを聞いて気分が高揚したので読みました。全くもって惜しい才能、人物がこの世にいなくなってしまったのだなぁ、とつくづく思わされました。処女作であり代表作である「虐殺器官」も素晴らしかったですが本書「ハーモニー」もまた素晴らしい小説で、「虐殺器官」の世界からさらに進んだユートピア≒ディストピアという世界を扱った小説です。
近未来、21世紀初頭に起きた「大災禍」という未曾有の大災害を経て、人々は「健康」を「管理」するようになった世界。健康を害するものをすべて除去したある意味理想郷を手に入れた人類。しかしその世界を生きる日本人、霧彗(きりえ)トァンは非常に違和感を感じ、出来うる限り世界の周辺で生きようとしています。過去に御冷(みひえ)ミャハ、そして零下堂(れいかどう)キアンと3人で起こした出来事がその考え方に影を落としているのですが・・・というのが冒頭です。
「虐殺器官」の世界観をさらに推し進めた舞台の上で魅せる伊藤さんの『生』への姿勢が貫かれた作品と言えると思います。なので、基本的にはまず「虐殺器官」を読まれた方にオススメすることになります。が、読んでいなくとも読める構造にはなっています。
近未来モノというジャンルは存在していると思いますし、SF作品の中のジャンルの中でも個人的には最も面白い作品が多い、または個人的に好きな作品が多いと思っています。スターウォーズやスタートレックの世界は近未来とは呼べませんし、だからこそその世界観を飲み込ませるのに時間がかかったり、もしくは受け付けない方には絶対に受け入れ難いという世界になってしまいがちですが、近未来モノには、ある程度今の現実と地続きな感覚が残っているのでリアルに感じさせ易い、とも言えますし、逆に言えばあまりに現実離れすることは出来ないという不自由さもあると思います。しかし、だからこそ、ハードルが上がっている分、より面白い作品が多いと思っています。個人的には「未来世紀ブラジル」(テリー・ギリアム監督)しかり、「ブレードランナー」(リドリー・スコット監督)しかり、「デリカテッセン」(ジャン=ピエール・ジュネとマイク・キャロ監督)しかり、「ストーカー」(アンドレイ・タルコフスキー監督)しかり、「汚れた血」(レオン・カラックス監督)しかりです。もちろん本の世界でも同じだと思うのです。「夏への扉」(ロバート・A・ハインライン著)とか、「1984」(ジョージ・オーウェル著)とか、「わたしを時離さないで」(イシグロ・カズオ著)とか、「猫のゆりかご」(カート・ヴォネガット・ジュニア著)とか、「あ・じゃ・ぱん」(矢作俊彦著)とかです。
その系譜の中に「虐殺器官」と「ハーモニー」とも入るモノであると思いますし、非常にレベルの高い作品であること間違いないです。世界観を受け手に飲み込ませるプロセスもデリケートに扱われていて、飲み込ませるという目的はあるものの、説明過多であったり、全てを語らせるのではなく、少しづつ理解させることでフックが強くなり、ミステリアスな部分を残して説明し尽くさない部分が秀逸です。また造語についても素晴らしく霧冷ミャハという語感の素晴らしさ、生府(ヴァイガメント)という政府に変わる医療的監視下における共同体という設定、WatchMeと呼ばれるナノマシンとその機能と監視するという設定を結びつける発想の素晴らしさ、これはやはりユートピア≒ディストピアものの中で個人的に最も評価している「レダ」栗本 薫著に近い世界観を、SFではなく近未来に設定することが出来る仕掛けで感銘受けました。
ネタバレなしですが、大変素晴らしい作品であることは間違いないですし、キャラクターも、ストーリィも、扱う主題も、どれも伊藤 計劃さんにしかありえないエッジが効いていてオススメです。が、あくまで個人的意見ですが「虐殺器官」の、カタルシスを乗り越え、まさに屍を超えていくあの独特のエピローグを超えるものではなかったと感じました。たしかに素晴らしい結末であろうとは思いますが、もっと先を見据えていたのではないか?と想像しますし、書かれるべくした3作目が存在したのではないか?という想像をせずにはいられません。ブリッジ的な役割に置かれる作品になっているのではないか?と勝手に想像するのです『ああ、これがあったからこそのあれか!』というような。
円城 塔さんが書かれている伊藤 計劃さんの3作目が気になる方に、オススメ致します。