いつも参加している吹奏楽バンドの本番に参加してきました!
この日のために楽器ケースも新調しました!演奏にはまるで関係ないんですが、やはり持ち運びやすい!
天気にも恵まれて(会場は野外)良かったです。
総勢40人近くのバンド、今日初めて全員が揃うというオトナの事情バンドです(笑)しかし、演奏は今までで1番良かったと指揮する先生にも褒められました。このバンドの凄いところはやはりラッパ(トランペット)が充実していることです!凄く上手い人が3人もいて、本当に凄いんですから。もちろん我がサックスパートもかなり頑張りました!
楽器が揃うとやはりいいものですね!本番直前のヒトトキです。
あっという間の本番でしたが、楽しかったです、来年も頑張ろう、と毎年思ってますが、なかなか上手くなれないです。練習もっと頑張らねば。
本日、病院長が午前中は休診いたします。
また、健太郎は11時から障害者(児)巡廻歯科相談に参加するため、井の頭歯科そのものが11時から16時まで休診いたします。
病院長は16時から、健太郎の16時から診療を再開致します。
突然の休診で、もうしわけありません。
横田 増生著 朝日新聞出版
テレビウォッチャーで批評家、そして消しゴム版画家。文章と消しゴム版画の組み合わせてひとつのスタイルとして批評する書き手で、いわゆるコラムニストという範疇に入るのかもしれません。が、この方の物事に芯を射抜く言葉と、当然降りかかってくる自身への批評性にまで波及して、なお曲がらないモノを持った方でした。が、没後10年という区切りに出ていたので読みました。そうか、もう10年になってしまうんだ、というのが読む前の実感です。
私はかなり後期の読者でしたが、特に東京ローカルの「TVチャンピオン 元祖大食い王決定戦」にまつわる大食いものへのコラムで非常に惹きつけられました。本当に物事の本質を鋭い言葉で射抜くセンスは後にも先にもこの人以上の方はいないと思ってます。
著者は生前のナンシーさんにはお会いしたことが無い、畑の違う人であるのですが、だからこそ、冷静なアプローチが出来ていると感じました。ナンシー関の出自に迫り、親しかった人々やコラムという世界の同業の人に話しを聞いたりしたものを、まとめたものです。
ナンシー関さんの文章の鋭さと、なんと言いますか、自分を客観視しつつ、対象にツッコミながらも、返す刀で自分もツッコむ、というスタイルが、私にはとても心地よく、カッコよく見えたことをとてもよく覚えています。割合早い時期にこのスタイルが出来上がっていることを知れたのは良かったです。当然ながら誰しもある若くて青い時期がナンシーさんにもあったののも知れて良かった。ただ、無論知らなくてもナンシー関のコラムの面白さは微塵も揺るぎませんが。
そしてもちろん代名詞である消しゴム版画の面白さ、本質を一言で表せる鋭さ、それも特にテレビ画面から滲み出る文章になってない自意識過剰な部分を、版画と一言で纏めるというのが、素晴らしすぎる。特にキライであろう人物への遠慮ない一言は切れ味が増していると思う。例えば本書でも扱われている(私もキライな人物であるので余計に心地よいわけですが)前忠、小倉、うの辺りへの誠に辛辣で、しかも一言で表せる感覚はちょっと怖くさえ感じさせます。しかし本当に残念ですね。
実際、タイトルの付け方も非常にキャッチーですね「小耳にはさもう」とかほんとタマラナイ感覚だと思います。香港旅行の話しも秀逸でしたし、これはナンシー関のコラムではわからなかったことなので、しかもよりナンシー関っぽい感じが伺えて面白かったです。また自動車免許を取得に3年かける辺りの話しも知れてよかった話題です。ムーンライダースやたけしのオールナイト・ニッポンなど、関連するもの、関連する人の話しを丁寧に扱っているのも良かったですし、好きなコラムニスト小田嶋のナンシー関への言及も聞けて良かったですし、バンド活動していた、というのも知らない情報でした。またカラオケを恥ずかしい、しかし歌う心地よさは認める、というところから、カラオケ飲み会を開催するにいたるまでの呑み込みの時間のかかり方がまた良かったです、納得してしまいました。
ナンシー関が好きだった方、テレビのテレビ的な胡散臭さを一言で切れる、そしてテレビがちゃんと好きな方に、オススメ致します。
ボブキャット・ゴールドスウェイト監督 トランスフォーマー
シネマライズで公開まだ2週間なのに既に夜1回レイトショーだけになってしまってます・・・人気ないんでしょうね~でも私はそれなりに好感度高い作品でした。いろんな意味で考えてしまった作品。最近の流行りのモチーフではないか?と思う「市井の一般人である人物が『正義』を問う」に括られている作品でした。ただ、過激でご都合主義ではありますが、しかし共感してしまう作品です。現実に於いてこういう事件はいたたまれないでしょうし、許せませんが、映画だからこそ出来うる表現だと思います。
妻と離婚したサエナイ男フランク(ジョエル・マーレイ)は妻になんとか子供に会わせてくれるように頼むものの、娘からケンモホロロに断られてしまいます。会社ではふとしたことからセクシャル・ハラスメントの疑いを受けて解雇!しかも頭痛が酷いために医者に向かって検査結果を聞けば末期の脳腫瘍の為余命は少ないとの宣告!!まさにどん底中のどん底に陥ったフランクは自暴自棄になって自殺を試みようと思って何気なく見ていたテレビに・・・というのが冒頭です。
社会という世界、テレビで映し出される世界に、異常な違和感を感じ、安易で浅薄でインフレーションを起こしているモノに対して素直な怒りと嫌悪感を抱いていた市井の人フランクが、余命も少なく生きる希望を失ったことで、安易に引き金を引けることに気がつき、しかし実行するまでの葛藤、また実行してからの葛藤を描いたストーリィです。
単純なストーリィではあるものの、結構細かく気をつけて作られていますし、過激な表現や描写は行われていますけれど、ただ単に過激なだけでない、見せたいものやストーリィ上避けて通れない部分の為の配慮はされている作品だと感じました。なのでこの映画で単純な感情の爆発を求めている方にも、やや醒めさせる描写や構図を示していますし、考えるとなるほどと頷けるつくりになっていて、私は好感持ちました。が、あまりに単純な作りに、単純にみえる手段を用いるという部分で興醒めされてしまう方がいても不思議ではない作品です。それでも、こういう映画が作られてしまう現状というものを考えさせられる作品だと思います。
非常に口汚くわめくセレブレティ気取りの女子高生をドキュメンタリーで追う番組、短絡な政治主張を繰り返し反論を与えない討論番組、差別発言を繰り返し煽る宗教家の番組、目立ちたいだけの少年が弱者であるホームレスに火を放った映像を放送するニュース番組、知的障害であろうと思われる弱者を笑いものにする番組・・・何かしら何処かで見たかのような既視感がありますよね。そんな番組に嫌気が差していたフランクの行動の顛末、そして関わってくる女子高生ロキシー(タラ・リン・バー)との関係性を描いた作品です。
映像はなかなかクリアで綺麗なんですが、時々ハッとさせられるかのような絵として、構図として、明かりとして、素晴らしい絵(ニューヨークの夕暮れから夜にかけての背景をバックに2人が並ぶシーンとラストシーン)があって、ここも見所だと思います。
何かしらの、社会に対する不満を抱えている方に、テレビが嫌いな方にオススメ致します。
ただ、ロキシーには共感出来なかったです、というかワカラナカッタというのが実感です。あくまでフランクに感情移入させやすくするために出てきたのか?それとも女子の方々にはある程度共感出来うる思春期の呪縛的な何かがあるのか?動機が見えなかったのでちょっと。最後もちょっと都合良過ぎないか?と思いました。ラストシーンにかかる曲も良かったです。
リドリー・スコット監督 20世紀フォクス