宇野千代 大庭みな子著 小池 真理子選 文藝春秋
小池さんの選なんですが、よく考えてみると私小池さんの著作を読んだことがないですが、猫のエッセイは読んだことがあります。
宇野さんの印象は、最晩年に書かれた「生きてゆく私」が、恐らく最も流布しているのであろうと思いますが、やはりそこは現実とは少し違った部分があるのではないか?エッセイとしての面白く纏まっていますし、恐らく書かれている事その通りの事実なんでしょうけれど、宇野 千代という女性が出来上がって行く過程があったのではないか?とも思うのです。あまりにアランの哲学の実践者として完成度が高いのではないか?と思うのです。もう少し逡巡や当時の周囲からの評価は違ったものであったのではないか?と穿った見方ですが、多少感じてしまったので、もう少し古いモノを読むことが出来たのは良かったです。
中でも面白かったのが、38歳の時点で書かれた既に宇野 千代として完成しつつはあるもののやはり迷いもあったのだなと確認できた「模倣の天才」、最近読んでまたまた唸らされた谷崎作品に言及している「男性と女性」、アランの哲学の実践者としての信じることの重さを理解させる「信じる」、なるほど自分としてはこれ以外になかったのではあるがしかし理解していたんだなという「手押し車」、そしてなるほどこの2人の共通点はココだなと感じさせる「結婚生活には愛情の交通整理が必要である」です。この2人というのが、本書の宇野 千代と大庭 みな子さんのことです。
で、宇野 千代さんの凄さは特筆すべきモノであることを理解した上でも、あまりに上級者であり、ある意味天才であるが為に参考にはならないと感じるのですが、だからこそ、この本で知った大庭 みな子の凄さに驚かされました。全然知らない方だったのですが、とても、とても論理的で尚且つ感情にも素直という両立し難い部分のせめぎあいが見事なんです。どういう方なのか?も名前すら知らなかったので驚きました。女性的ではないのかもしれませんが、こういう人と話したら楽しそうです。
結婚という制度を考える時に、当たり前の前提として論を展開するのではなく、あくまで人が考え出した制度として捉えることから始まる大庭さんの主張は、非常に間口が広く、そして恐ろしい程過激でもあります。しかし、私個人の意見ですが、まさに真実だと感じます。大庭さんの著作を、随筆ではなく、小説を読んでみたくなりましたが、正直言ってその他の作品を読んでみても、恐らくこの「幸福な夫婦」と題された僅か11ページの小品の衝撃を超える作品は無いのではないか?と思わせるくらいでした。一体どんな方であったか?全く不勉強で知らなかったのですが、少し調べてみようと思わせるくらい合理的であって無味乾燥したわけでないエモーショナルな文章は、読んだことがないものでした。宇野 千代の考える実践することの難しい幸福よりも、私には大庭 みな子の言う幸福の方が手触りを感じさせ、理解し、実践することが出来るのではないか?と感じるのです。
それ以外でも面白かったのは、まさに吐露である「ぼやき」、まっとうな意見ではあるが過激な(しかし私は同意します、今はもっと進んでしまってヒドイ状況だと思います)「母性愛」、これは内田 樹のいう呪いの言葉じゃないですか!という「言葉の呪縛」、同じ谷崎でもこういう見方もあると納得してしまう「長い思い出」、こういう体験があるかないかではおそらくモノの見方が変わるであろうという「地獄の配膳」、さすが「幸福な夫婦」を書いた人物だと実感する「とらわれない男と女の関係」です。
しかし何よりも「幸福な夫婦」の衝撃は大きいです。そして私は同意してしまいます。その通りだな、と。
考える事が好きな方に、気が付かされる面白さを知る人にオススメ致します。