谷崎 潤一郎著 新潮文庫
沖縄に旅行した際に親しくしていただいた先生からオススメされた本です。谷崎作品は少し読んでおりますが、中でも好きな作品は「細雪」と「猫と正造とふたりの女」です。別に谷崎フリークではありませんが、確かに上手いとは思いますけど、立ち位置としても、目指す方向としても、人柄としても、個人的には永井 荷風の方が惹かれます、小説じゃなく人柄と日記文学で、ですが。
作者(谷崎と思われる)が手に入れた「鵙屋春琴伝」なる大阪の薬屋の娘「琴」の生涯を綴った本を読み、「琴」に纏わる話しを調べ上げ、その門下である佐助との関係性を語った物語です。「琴」は9歳で盲目となり、その美しさと音楽の才能が飛びぬけて素晴らしく、琴と三味線の師となって「春琴」と名乗り、その身の回りを世話する丁稚の佐助も、その門下として丁稚の身でありながらも三味線を習うのですが・・・というのが冒頭です。
特殊な関係、傍目には受け入れがたい関係の中にも美しく光る何かがある、という事を表した小説だと思います。
男女間の深い河ではなく、結びつきのあり方に興味がある方に(いや、もしかすると深い河の方かも・・・)オススメ致します。
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とても短い、しかし濃密な話しであり、しかも実験的な手法をいくつも積み込んだ小説でして、なかなかびっくりしました。
作者が手にした「鵙屋春琴伝」なるものから紐解かれ、関係者の証言をまとめ、作者の想像を交えながらの物語なので、作中作という入れ子構造になっています。しかも、墓参りまでしておきながら、どこまでがフィクションでどこからが事実であるのかが、極めて曖昧になっています。そして、句読点を極端に減らし、改行を少なくし、なにやら一息継げ難いスタイルにすることで、より一層物語内への吸引力が増す作りになっています。こういう仕掛けが見事です。当然調べようがないんですが「鵙屋春琴伝」の存在そのものが疑わしくも思えますし、いわゆる信用ならざる語り手でもあると思うのです。無論、これは受け手の問題で、そうとも読める、ということですし、もっと言えば全部ありのロマンティックな恋愛劇とも言えるんですが、私はいろいろ気になってしまいました。
物語も非常に突き詰めた内容の話しでして、まるで登場人物が役割を演じているかのようなキャラクターの徹底ぶりです。だからこそ、フィクションなのか事実なのかが余計にわかり難いのです。まるで迫真の演技を行っている役者さんのように感じさせるのです。
非常に高圧的な態度を取り続ける春琴、そして盲目的に額ずく佐助の関係性を、ある事件を起こす場面をピークに引っ張りクレッシェンドをかけ、謎を付け加えることでのフックの強さもあって、どんどん引き込まれます。また一見高圧的な春琴と従う佐助という構造が繰り返されつつも、よくよく読んでいると、その漏れ伝わってくる様々な逸話からは表面的な関係性だけが表されているだけのような印象を与え、事実佐助も春琴も認めないのですが子供を身籠った事や、最終的には夫婦に近い関係である墓の場面を最初に明らかにしています。
つまり、まるで書かれている文章の字面だけで判断していると、ただの高圧的な女性と、それに従う男という関係性しか見えませんが、文脈的に、文章から想像する関係性を持った男女間を想像するに、ただ単純な関係でないように感じさせ、想像させるのです。文脈的に、もっと奥深い当人同士でしか分かり合えない関係だったのではないか?と思わせるのです。当然ただ単に冷酷な女師匠と従順な男弟子ではない関係性の妙が描かれていると思いますし、個人的には全部が創作であると感じます。
最後まで残る謎ですが、あえて解決しない部分も、上手い作りになっていて、それぞれ受け手が勝手に想像し、その人にとっての犯人を挙げられるところが、また非常に掴みが上手いと思いました。
肝はやはり自ら閉ざすことで見えるようになる、という部分でしょうけれど、なんとなく私は人間の業のひとつのようにも感じられ、畏怖を覚えました。それほどまでに求めるものがあるというのが、善き事なのか分からないという事です。