エリック・シーガル著 広瀬 順弘訳 角川文庫
仕事の上での壁にぶつかったり、プライベートで落ち込んだり(どちらの場合も、もちろん私に非があるわけですが)すると読みたくなる本です。もう一度、医療とは何か?の根本を振り返ることで自分の揺らぎを固めてくれるのに役立ちます。
最近はそれほど読み返していなかったのですが、この本を紹介する機会を得た(このブログではないのですが)ので、読み返してみました。やはり素晴らしい小説だという事を再確認出来ました。
1958年に医学部に入学する学生たちを主人公にした群像劇でして、第2次世界大戦の経験者を父母に持つ世代の医療従事者の物語です。もちろんフィクションなのですが、当時の年代の出来事を丁寧に織り交ぜつつ、医療とは何か?という根源的な問いかけに答えようとする人間ドラマです。歯科と直接繋がりのある場面はほぼありませんが、それでも、歯科という医療の隅に携わる者として、決して少なくない教えを得られました。学生時代の授業、試験やレポート、そして実習などの場面は描写が素晴らしです。そして大学を卒業し、日々の臨床や生活に追われながらも、様々なテーマを扱いながら、医療とは何かについて考えさせられます。
主人公はブルックリン育ちでバスケットに情熱を燃やすスポーツマンのバーニー・リビングストン。その隣家にスペイン内戦から亡命してきた医師を父に持つ同級生のローラ・カステリャーノ。2人はそれぞれ弟や妹と一緒に育ち、カステリャーノの父ルイスに憧れて医師になる道を目指して成長していきます。また、とても複雑な家庭環境に育ち、戦争の荒波に激しく打ち付けられながら紳士であるベネット・ランズマン、神父を目指しながらも医科に転科してくるハンク・ドワイヤー、天才でありながら性格に難ありのピーター・ワイマン、博愛精神の持ち主でちょっとシャイなセス・ラルザス、ミス・オレゴンを獲得しつつ医者を目指すグレタ・アンダーソン、文筆の才能もありながら医師への道を志すモーリー・イーストマン、かなり屈折した精神の持ち主でシニカルなだけでなくお金持ちのランス・モーティマー、神経質ながらも頭脳明晰なアリソン・レッドモンド・・・様々なタイプの同級生たちと繰り広げられる修行時代、大学生活はとても瑞々しく描かれていて楽しめます。
幼馴染や、育ちの違う様々な人間が、医師になり、親になり、歯科よりは遥かに多く接するであろう死についても考えさせられる物語を、エリック・シーガルの時に重々しく、時にユーモアを交え、そして少々シニカルでありながらも真実に目を向けた語り口は、とても読みやすく、それでいてリアリティを感じさせるに十分です。差別の問題、尊厳死、親子関係の難しさ、医学会の狭さと権威主義、現代にも通じる種々のテーマをこんなにも様々に扱いながら、読みやすさは少しも削がれないのも特筆に値すると思ってます。
この様々な登場人物たちの中でも、特に私が気になるのがベネット・ランズマンです。とても複雑な出自を、努力やバイタリティ、そして時にはユーモアで乗り越えてきた紳士です。彼の歩んできた道はとてつもなく複雑で厳しい道であっただけに、そのキャラクターにとてもリアルさを感じます。憧れを抱く、と言えるような人物です、もちろん、バーニーもとても興味惹かれる人物ですけれど。
読み返してみて良かったです、医療に携わる方に、医療だけでなく生きてる人に、医療にかかる人に、オススメ致します。
鴻巣 友季子著 文藝春秋
「恥辱」の訳者である鴻巣さんのエッセイ集です。文学、翻訳、ワインなどに思索をめぐらせて行くエッセイです、雑誌「文学界」に掲載されていたものですので、続きの感覚も面白いです。
訳者という仕事には結構興味があります。私は母語以外は全く(より正確に言葉にするなら母語でさえ操れるという言葉を使うのに躊躇いを覚えますが・・・)ダメですが、他言語を違う言語に変換する場合、特に文学の場合は、訳者の感覚、センスが問われると思います。映画の字幕の難しさとはまた違った感覚が求められると思います。作者の代弁者のような感覚が私にはあります。
鴻巣さんの翻訳がどの程度原文に沿ったものであるのか?とか意訳はどうなのか?などについては原文を読んでもいないですし、そもそも読めないわけで、私には理解できませんが、鴻巣さんの文章を読んで、とても読みやすく簡潔でいいな、と感じました。それは少し前に読んだ「恥辱」(の感想はこちら)とこのエッセイを読んで特に強く感じられました。本人の言葉と翻訳という違った道筋を経た言葉ではあるのですが、好印象を持っています。
そんな鴻巣さんのエッセイ、本と、翻訳と、ワインに非常に造詣の深い事が理解出来ました。
ワインは私も飲みますし、しかし正直割合何でもおいしくいただけるのですが、より深い理解には知識が必要ですし、とても広くて深い海なのだという事は知っています。そして翻訳についても、様々なタイプのものがあり、読み比べも楽しそうです。
特に気になったのは、いわゆる古典の新訳、どちらかというと重訳と呼びたくなる部分についての考察は新鮮でした。既に読まれている古典の新たな一面をどんな切り口で訳すのか?大いなる誤読や脆弱だが性格な翻訳なのか?それこそグラデーションの世界でもありうると思います、こういった部分に代弁者のようなところを私は感じてしまいます。
ワインや翻訳に興味のある方にオススメ致します。
ジョン・クッツェー著 鴻巣 友季子訳 早川書房
親しい友人からお借りしました。訳者の鴻巣さんのエッセイ「カーヴの隅の本棚」と一緒に借りて今はエッセイの方も読んでいますが、なかなかの切れる方だとお見受けしました。とくにワインへの情熱と造詣の深さと、それだけでない愛情を感じさせる文章です。
52歳になるデヴィッド・ラウリーは大学でかつては文学部の教授であったのですが大学の大規模な再編に伴って、やりたくもないコミュニケーション学部の准教授です。生活の糧をこの職から得ていますが、望んだ仕事ではなく、学生を教える事にやりがいを感じる事もなく、向いてもいないと感じています。ラウリーは2度の結婚と、2度の離婚を経験して今は独り身なのですが・・・というのが冒頭です。
とても読みやすい文体です。しかも1人称と3人称を上手く分けて書かれています。ある物語の転換点でその視点を変える行為が行われていて、とても面白く感じました。タイトルの通り「恥辱」を扱った作品ですので、ダークで、アンモラルなストーリィですが、身につまされるモノがありました。ある意味どこにも逃げ場のない感覚であり、因果応報ともいうべき物語です。その突き落とされる感覚をリアルに感じさせてくれます。
人間にはリビドーが存在するように、同じく理性も持ち合わせています。そのせめぎあいの中での葛藤が起こるわけです。その葛藤を、とある男デヴィッド・ラウリー(個人的にラウリーと言ったらもう「未来世紀ブラジル」のラウリーしか思い浮かべられないです!)が不条理な世界を、社会を、そして生命与奪の権限を、味わう事でとてもカタストロフィ溢れる物語になっています。
ネタバレは無しでの感想ですので、あまり細かく言及できないのですが、冒頭は私はよくあるドラマの展開だと感じていましたが、その後ある事件が起こりラウリーの立場が逆転することで、両方からの視点を得る事でのより深い葛藤を覚えるところが際立っていると感じました。さらに、そこに娘であるルーシーとの対比も素晴らしかったです、理解はできないけれど、素晴らしいと感じさせてくれました。
文明社会と、あえて選択する未分化社会と言うか田舎の生活の対比、男女の差、親子の意向の差異、かなり様々な事柄を扱いながらも、大筋としてはタイトルの通り「恥」を扱ったストーリィです。恥をかかない事を望みながらも、生きていく、生活していく事はまさに恥の連続行為とも言えるのではないか?考えさせられる作品だと思います。
人間の根源的な欲望と、それに伴った世界の不条理が気になる方にオススメ致します。
アテンション・プリーズ!
とはいいつつ、どうしてもネタバレありで考えてみたい(ということは私には文章にしてみたい、ということなんですが)のと、誰かの感想も聞いてみたく、未読の方はご遠慮くださいませ。
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ラウリーの、性生活の破たんのきっかけは、相手が娼婦ソラヤであった事で、まさにどうにもならないわけですが、そこからゆっくりとぬかるみに捉われていくのが非常にリアルに感じられました。娼婦であるソラヤとの関係を「都合よい」と考えているのと同時に、さらに「都合よく」もっと深い関係を望み、揚句関係を切られてからのラウリーの泥沼にはまっていく様は、とてもリアルな(どこにでもありそうな話にリアリティを持たせるのは技術だと思います)エスカレーションだと感じました。そこから自身の欲望を理解しつつ、言い訳や止めておけ、という自身の理性の声を聴きつつ、それでも止められなくなっていく様は、何かに拘泥している時の心の動きとして理解出来ます。
教え子と関係を持つ、ということの道徳性の問題やリスクなどの問題は当然承知の上での泥沼に足を踏み入れてゆく破滅的な行動を、分かるとは申しませんが、理解しやすいとは思えます。
何故なら対象的な人物として描かれる娘のルーシーの行動が、未発達で暴力と自然の田舎社会への適合としてあらゆる(私には、ですが)事を受け入れる事で生活を成り立たせる道を選択するのです・・・これが私には文明や文化を、発達や進化を拒むくらいの衝撃がありました。全然理解できないけれど、そういう選択をあえて(でもないように見えるんですが・・・)する人がいる事を知ってはいましたが、こういう見せ方をされるととてもショックを受けました。
最後の足の悪い子犬の避けられぬ運命を早めるラウリーは、この先自死を選択することはないにしても、『死』を『救い』と扱っているように感じられてしまいました。
バイロンを諳んじられようと、大学教授の職を得られるほどの学識を持っていようとも、暴力と理不尽な世界ではおよそ何の役にも立たないのではないか?という恐怖も感じられました。
教え子で被害者の父親の寛容さにも、どこかしら鼻白むものを覚えましたし、しかしだからと言ってどのような態度が望ましかったのか?も分からないんですが、その理解不能さに、リアリティを感じました。
先週に中学校の健診に参加しました。虫歯の数そのものはかなり少なくなっているのを実感しました。
ただ、そうは言っても虫歯がゼロではないので気になりますし、虫歯のあるお子さんには1本ではなく数本ある、という状況も気になります。
そして汚れや歯肉の腫れも認められてその部分が気になりますね。
またジジを連れていきました~
校医をされている先生に伺うと、昔は午後までかかったそうですが、今は無事に午前中には終了してしまいます。
昨日、長く勤めていただいた衛生士さんがお昼休みに娘さんと一緒に遊びに来てくれました!
10年も勤めていただき、今は旦那さんのお仕事の関係で茨木の方にお住まいです。娘さんは2歳!カワイイお子さんです。
お母さんとして頑張っています、この後スタッフも一緒に昼食をしましたが、お子さんに食べさせながら、自分もごはんを食べるのってとても大変ですね。
また遊びに来てくださいませ!