中島 らも著 講談社文庫
たしか高校くらいの時に読んだと思いますが、久しぶりに手に取りました。最近忙しく、私にとってこんなに本を読んでない期間は無かったと思います。なんとなくリハビリのような感覚で読みました。
ライター業を営む小島は35歳。そしてアルコールに依存してしまっています。彼を取り巻く状況は厳しく、もはやこのままでは生きていけないと感じた小島は病院に向かい、そこで今までを振り返るのですが・・・というのが冒頭です。
アルコール、という存在は上手く付き合えばとても楽しいものですし、酒は百薬の長とも言いますが、同時に非常に恐ろしい存在でもあります。私もアルコールが好きですし、お酒を飲みながら誰かと話す、という行為をとても楽しいという実感があります。そしてもちろん二日酔いの経験もあります、二日酔いって苦しいですよね。
お酒を飲んだ事がある人であるなら、誰にでも経験したことがあるアルコールに纏わる話し、そしてアルコールのトリビアルな知識を得られ、小島=中島らもさんの人柄を楽しめる作品になっていると思います。中島らもさんの小説やエッセイはとても楽しい作品が多いですけれど、その中でも1番シリアスで、個人的に1番好きな作品です。
中島さんはかなり変わった方ですし、褒められた人物ではないかも知れませんが、とても興味深く、時に非常に重い現実を言葉に置き換えられる人だと思います。そんな中島さんがアルコールに依存していく物語は、とても切実で、ある意味現実から逃げているのかも知れませんが、しかしこの不条理な世界では何かに依存や中毒を起こさない人はいないとも思わせるのです。
主人公小島(=中島らも)は非常に冷静で客観的に自分を見つめ、アルコールを見つめ、その状況を楽しんでいるかのようです。が、そこにアイロニカルな悲哀とでも申しましょうか、突き放した自分を捕えていて、そこにこの依存という問題の根深さを感じさせますし普遍性を感じてしまいます。
アルコールを飲んだ事がある方に、オススメ致します。
中島らもさんを知らなかったらマンディアルグも読まなかったでしょうし、ギャグな作品としては「西方冗土 カンサイ帝国の栄光と衰退」なんかも面白いですし、「ガダラの豚」の荒唐無稽なSF作品も大好きですが、やはり1番は「今夜、すべてのバーで」です!
モルテン・ティルドゥム監督 ギャガ
以前見たトーマス・アルフレッドソン監督作品の「裏切りのサーカス」(の感想はこちら)のような作品に見えたので、観てきました。とても良い映画です、隅々まで綺麗に見せようとする努力が払われた作品だと思います。キャストも衣装も美術も音楽も良かったです。ただ、少々脚本というか演出にはもう少し練っても良かったかも、とは思いますが基本的に大満足の映画体験でした。
1951年、アラン・チューリング(ベネディクト・カンバーバッチ)教授は自宅を荒らされた事で、警官が家にやってきますが、それを無下に断ります。変えって警官に怪しまれたチューリングの過去を探ろうとする刑事は第二次大戦中にブレッチリーという所に居たことは分かりますが、それ以外が全く不明なチューリングを怪しむ刑事は・・・というのが冒頭です。
3つの時間軸(第2次大戦後の冒頭の自宅を荒らされるシークエンス、第2次大戦直後に軍に協力するシークエンス、寄宿学校の生活になじめないシークエンス)を一緒に扱い、しかも上手く関連付ける事で、とてもスリリングな演出になっていると思います(後述しますが、割合そのうちの一つが上手くハマっていない気もしますが)。ただし、ストレートな見せ方ですので、さほど混乱もなく見やすかったです。
いわゆる「天才モノ」でもありますし、サスペンスの要素もあり、ですが私が最も近いと感じたのが「栄光なき天才たち」作・伊藤智義 画・森田信吾です。中でも島田清次郎の話し(島清ほどキャラクターの破天荒な人じゃありませんが・・・)と似ている気がしましたし、数学者という事でエヴァリスト・ガロアなんかも近い感じがします。もちろんキャストで被っている人やイギリスを舞台にしているのと、スーツというか衣装が素晴らしいのと、チームで挑むという形式で「裏切りのサーカス」にも近い部分もあります。
なんといってもアラン・チューリングのキャラクター、演じるカンバーバッチが魅力的です。カンバーバッチを初めて観たのは「裏切りのサーカス」のギラム役で、そのスーツの着こなし(確か灰色の混じった暗くて暗すぎない青に白っぽいピンストライプ)が素晴らしく印象に残りました。役どころも主役スマイリー(ゲイリー・オールドマン)の助手で、とても小気味良かったです。それが、この天才を演じると、非常にエキセントリックに見えたり、何かに集中していると他に何も見えなくなったり(その眼差しがまた良い意味で変)、そうかと思うと場の空気を読めていない子どもっぽさ、また私にとって特徴的だったのが後ろ姿でして、スーツの上着のポケットに手を突っ込んで歩くと急に子どもっぽさとは違うあどけなさというか、良い意味での不安定感があって良かったです。とにかくスーツ姿が似合うさすが英国人です。
そしてジョーンを演じるキーラ・ナイトレイがまたまた魅力的で、着こなしも笑顔も良いですし、芯のある女性までいかないけれど、ちょっと普通(当時の)じゃない、という微妙なバランスが良かったです。彼女の存在は事実としても、少々演出的なような気がしますが、彼女の着ている服装も素晴らしかったです。
またチームを組むメンバーで、元リーダーのヒュー・アレグザンダー(マシュー・グッド!ウディ・アレン監督作品「マッチ・ポイント」での害のない兄役の存在感の薄さが良かったです)の存在感が良かったです。ある意味リーダーに向いたキャラクターで自信家、しかし仲間を思いやる気持ちもある、それでいてモテる、というのも良かったです。また、仲の良いケアンクロス(アレン・リーチ)も何処にでも居そう感に溢れていて良かったです。で、やはりチームになる、チームとして立ち向かう、という部分は非常に単純に盛り上がります。またその作業が一つの機械を作り上げるというのが良いのです。
何度も繰り返される「僕の機械」というのが最後まで見ると意味が理解出来てそこも良かったです、クリストファーと呼ばれるチューリング・マシーン、カタカタと動いている様がカッコいいです。実物はどのような形なのか?分かりませんが、細かいものが連動して動く様を見ていると、機械が思考しているように感じられて良かったです。
スーツが好きな方に、数学者や哲学者の話しが好きな方に、そしてカンバーバッチが好きな方にオススメ致します。
アテンション・プリーズ!
ここから少しネタバレ含む感想になります。
出来れば鑑賞された方に読んでほしいです。
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ただ、演出上の(脚本の、と言っても良いかも知れませんが)少し端折りがあって、ヒュー・アレグザンダーがまとめるケアンクロスなどのメンバーと、チューリングがジョーンという存在を経て「仲間」になるシーンがあります。ここでリンゴをプレゼントするんですが、皆が可笑しくて笑ってしまう場面です。場面そのものは確かに面白い。でも、ただこの1回だけでチューリングの人嫌いな面を散々見せておいて、このシーンだけで「仲間」になる事に違和感を持ってしまいます。もう少しヒューとの絡み、ケアンクロスとの(仲間になった後のバーのシーンは良いとして)絡みが必要だったと思います。そうでないと何故ヒューたちがチューリングが対立するデニストン中佐から身を持って庇うのか?説得力が無い気がしました。チームの結束を得るまでの障害が多いほど、その結束が出来上がった後は固くなると思うのです。この点が惜しいです。もう少しヒューとぶつかる場面が欲しかったなぁ。
あと、寄宿学校のクリストファーとのシークエンス、もっとさらりとでも良かったと思います。残り2つのシークエンスの間に一気に全部見せてしまった方が、観客のクリストファーへのチューリングの思いの重さがはっきりしたのではないか?と。なんとなくクリストファーと名付ける事の驚きを強調したかったんでしょうけれど、3つを軸にしてもそれほど込み入ってなければ2つの方がよりシンプルでもう少し尺も短く出来たんじゃないか?とも考えたりました。
が、とにかく大変楽しんだ作品、チューリング関連の本や、数学者や哲学者の話しを読んでみたくなりました。
クリント・イーストウッド監督 ワーナーブラザーズ
イーストウッド監督作品、とても高水準な作品が多いですが、今回もとても良かったです。少し前に見た「ローン・サバイバー」ととても良く似た作品だと感じましたが、こちらの方が終盤の重みがより際立った作品と言えると思います。
カウボーイに憧れ、とても保守的でマッチョな父親に育てられたクリス・カイル(ブラッドリー・クーパー)は自分が何をすべきなのか?を見つけられないまま自堕落な生活をしていたのですが、ケニアのアメリカ大使館爆破テロ事件をテレビで見る事で軍隊に入り・・・というのが冒頭です。
予告編でも流されてますが、女性や子供までも銃で撃たねばならない状況に苦悩するクリス。その判断を任されることの重みを、終始一貫考えさせられる作品です。
戦闘行為に従事する、という事が人間にどのような影響を及ぼすのか?を考えさせられる作品、決して単純な戦争翼賛ではないですし、単純な戦闘回避を願う作品でもなく、淡々とした事実を魅せる作品です。
私は観た直後にリドリー・スコット監督作品「ブラックホーク・ダウン」を思い出しました。この作品もアメリカン・スナイパーを観た後のような論争が巻き起こりました。
重いものを引き取る覚悟を持つ方に、オススメ致します。
アテンション・プリーズ!
ある程度ネタバレに触れてしまいます、決定的なネタバレはありませんが出来れば映画を観た方に読んでいただきたいです。
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その決断が良かったのか?悪かったのか?をある程度の理解で自分に納得させる事が出来たクリスでさえ、その納得の中にある種の欺瞞が含まれている事に気が付いているからこそ、悩みが発生するのだと思います。当然戦争、というか戦闘行為を経験するという事が、本当は、どういうことなのか?を「プライベート・ライアン」以上に語ってくれます。
救えなかった仲間を想う事で、4回もの派兵に従軍するクリスを、英雄視するような印象を持つ人もいらっしゃるでしょうけれど、そうであると何もかもを置いて家へ帰る選択をするクリスを考えねばならなくなりますし、何より私は弟の存在も大きいと思うのです。また、単純に戦闘を避ける事を是とする作品では無いのも事実です。どうすれば良かったのか?を深く考えさせる作品だと思います。特にイラクの、一般民である人々の生活と置かれた状況、さらに狂信的にアメリカを敵対視する人々の行動は、どうしてココまで来てしまったのか?を考えないわけには行かなくなります。
サダム・フセインやアルカイダが全面的な善ではないですし、それこそ独裁的な支配だったのでしょうけれど、イラク派兵の正当性が崩れてしまった事を考えると、その責任の一端は間違いなくアメリカとその同盟国にあるでしょうし、まだ誰も責任を取っていない、そして総括もされていないと感じます。
途中に出てくるザルカウイの右腕と称される男(ドリル)の振る舞い、手段、目的があまりに酷くて救いが無いです。同じ人間とは思えないんですが、そこまで人間性を破壊してしまうのがこの現実世界なのか?と思うと非常に恐ろしくなります。だからこのような人間を排除すれば良い、とは思えないのです、それこそ、ある種の選別と殲滅を行う事になるのですから。しかしではどうすれば良いのか?という代案が出せない、考えが及ばないです。
。信長しかり、チェーザレしかり(「君主論」のマキャベリですね)ですけれど、新たな破壊の技術や破壊の発想を持ち出すと、その手段だけ模倣されて、規模を大きくしたり、その結果に熟慮したわけでは無い輩が輩出されるんですよね・・・
実在の人物ですが、この映画すべてが現実のものでは無い、とは思います。特に狙撃者との対決、という部分はとてもエンターテイメントな脚色のような気がしました。またエンドロール前のエピローグにあたる部分の実際の映像のように見えるのも(実際の映像だとしても)なんとなく作品のトーンがズレてしまっているとは思います。ただし、最後のエンドロールのヘヴィさは、ちょっと無い作品だと思います。エンドロールの静寂さは、私には思考する事への催促だと感じられました。
まだ終わってないですし、終わらないんでしょうが、だからこそ考えなければいけないような気になりました。