テリー・ギリアム監督 ショーゲート
テリー・ギリアム監督、好きな監督です、特に「未来世紀ブラジル」は素晴らしい作品だと思ってます。今回はだからこそ観てきました!
近未来の何処か。朽ち果てた教会に籠って生活するコーエン(クリストフ・ヴァルツ)は巨大コングロマット会社に勤める腕利きのコンピューター技師です。そんなコーエンは私の事を複数形の「我々」という呼称を使用している変わり者です。会社のマネージャーである上層部からある「ゼロの定理」を解読する任務を与えられ・・・というのが冒頭です。
かなり未来世紀ブラジルに近いテイストですし、期待値が高すぎた感もありましたが、今回もいつものテリー・ギリアム監督作品でした。ただ、ちょっと難解な部分も多く、1度では細部まで理解出来なかったのかも知れません。
仕事にコンピューターゲームのコントローラーのようなものを使っているのですが、このコントローラーがあまり進化した形に見えなかったのもちょっと残念です、ちゃんとした必要性のある進化を見せて欲しかったです。スマートフォンが登場してからの未来像が結構変わってきているのに、どうしても未来像が古臭く感じるのです。
正直コーエンの過去の描かれ方には違和感を感じましたし、そこを察するだけの情報があまりに少なかったために、どうしても主人公であるコーエンに都合の良い展開に見えてしまいました。
ただ、映像は綺麗ですし、アイロニカルな展開やガジェットも多くて、そこは結構好きです。
また音楽も最後にずしっとくる余韻を与えてくれます。
未来世紀ブラジルが好きな方にオススメ致します。
本日は午後を休診致します、申し訳ありません。
ラジオ番組の書籍化されたものです。
割合どうでも良い、知らなくても困らない事実を知るというトリビアルな楽しみを、とてもエモーショナルに語られると、さも重大な真実を知ったかのような興奮が味わえます。が、冷静になるとそうでもないよな、と考えてしまったりしますが、エンターテイメント性の高い読書体験になります(当たり前ですが、番組を聞いているともっとです)。
私が中でも気に入っているのが、アイドルは全然知らなくても『アイドル性』について理解する事が出来る「アイドルとしての王貞治特集 コンバットREC」、文房具(決してステイショナリーという文脈ではない。)が好きな男子のダメな感じが炸裂しつつも進化の袋小路を感じさせる「ブング・ジャムa.k.a文具ジェダイ評議会が文具の悩みに答える”文具身の上相談”」、これは最早新たな話芸のいちジャンルを築いた「真夏のア(↑)コガレ自慢大会 高橋芳朗」、これほどまでにワカラナイ事を面白がらせた上に女子側の立場をプレゼンテーション出来る人が居るだろうか?否いない!「男子のための初めてのコスメ入門 ジェーン・スー」、そしてこの本における白眉「映画が残酷・野蛮で何が悪い 高橋ヨシキ」です。
基本的にはラジオ放送を文字起こししたものですから、本来は音源で聞くのが最も面白いと思います。
好きなジャンルを気の通じ合う誰かと話す楽しさ、をブーストさせたかのような感じで大変面白いです。話し手の様々なゲストの方の一家言と、その熱意、そしてホストである宇多丸さんが出来るだけ分かり易い言葉でレクチャーしたり、決してゲストにブレーキをかけさせない事もこの熱量溢れる番組の特徴だと思います。
ジェーン・スーさん、本当に切れる方ですし、著作も全部持ってますがイイです。中でも私は「私たちがプロポーズされないのには、101の理由があってだな」が最高傑作だと思いますし、衝撃度でこの本に収められている「男子のための初めてのコスメ入門」が1番です。なんだか頭を鈍器で殴られるかのような衝撃があります。例え方も素晴らしい。
また音楽ジャーナリスト高橋芳朗さんもかなり変な方ですが、とにかく面白いです。些細なシュチエーションを大事にするって事なんだと思うんですが、とにかく芸が細かいですし、ディティールが大事なのは十分承知するんですが、その想像の斜め上を超えていく感じがたまりません。
ただ、本書の中で最も良かったのはやはり高橋ヨシキさんです。そうか、今現在はあのディストピア「1984年」を超えた世界なんだなぁ、とつくづく感じさせてくれましたし、確かにです。Big brother is watching you!怖すぎです。いわゆる昔の「おてんとうさまが見てるぞ」というおためごかしなんですよね。そういう道徳が通用したり刷り込みとして行われている事は構わないですし、子供にはそれでも良いんですが、大人であり、自分で考えるという事とは違うと思います。誰かが見ているから、相互監視が行われているから、ではなく、人に同じことをされるのが嫌なのであれば、とか、ポリシーに反するから、とか、社会に生きる生き物として、とかいわゆる『何かの罰が与えられるから』という考えではなく『こうするべきであるから』という考え方に基づかないままの状況に幼さを感じます。自由である、という事は責任が伴うのだ、という事なんですが。
何かを知る、角度を変えてみる見る、という事に興味のある方にオススメ致します。
雲田 はるこ著 講談社KC
いつもながら友人にオススメしてもらいました。
落語の世界を描いた作品、漫画ではあまり見た事が無い世界です。作者の雲田さんも全然知らない方でしたが、展開の早さ、落語にまつわる様々な話しを知る楽しみがあります。
刑務所の慰問落語で聞いた名人、八代目八雲の「死神」という落語を聞いてから落語に取り憑かれ、出所してすぐ八雲に弟子入りした与太郎は、内弟子として八雲と生活を共にしていくのですが・・・というのが冒頭です。
いや、キャラクターが非常にエッジが効いていて良いです。弟子入りする主人公・与太郎の活発さ、師匠で名人八雲のストイックなまでの自律、その師匠八雲に惹かれながらも親の敵だと思っている八雲と同輩だった落語家助六の娘の小夏、既に亡くなっていますがまるで今でも小夏や八雲師匠をある種の呪縛をかける助六、先代の八雲との繋がりもありながら自由奔放でどこか助六に似ているみよ吉、主要登場人物の関係性の見せ方もとても上手いです。
そしてこの作品の中で(現在7巻以下続刊)どんどん絵が上手くなっているのが分かります。最初は八雲師匠だけでも手に余っていた『名人』を描くのに、助六との過去を語り始めた辺りから如実に絵に迫力が出てきました。
落語、とてもDeepな世界ですよね。話芸のひとつと思っていましたが、1度だけ新宿末廣亭に遊びに行ったことでなんとなく分かったんですが、寄席はおそらく舞台芸術のひとつだとも思います。そして古典があり、新作があり、その時代の空気によって少しずつ形を変えながら生き残ってきた文化です。この手の芸術で少しだけ理解があるバレエの世界にもとても似ているとも感じました。
古典の解釈の幅、ここに様々な要素が入り込んでいますし、新作という新たなジャンルを作り出すいわゆるモダンを作り上げる(しかし今のモダンが、何年後かの古典になっているのです)人もいます。それを『落語』という形で残していく話し、面白いです。
なので、一応キャラクターの成長譚も扱ってはいますが、展開が早い早い!成長譚はあくまで副産物で、もっと大きな物語のうねり、世代をまたぐ醍醐味を主眼に置いた作品だと、7巻までで感じました。もちろん関係性の妙もありますし、見方によってはいかようにも取れる物語です。特に菊比古と初太郎の間にはロマンスさえ感じさせるほどです。
落語をよく知らないけど興味のある方に、オススメ致します。
サンキュー・タツオ著 角川学芸出版
国語辞典マニア、ラジオ東京ポッド許可局のメンバーとして知られるサンキュー・タツオ氏ですが、論文マニアとは知りませんでした。で、この本を手に取った次第ですが、非常に馬鹿馬鹿しくも、愛に溢れ、そのうえ尊敬さえさせられる凄い本でした。一見何を書いているのか?目的も不明で、とても怪しく見えるにも拘らず、丁寧に読み解いていくと、その先には想像しなかった地平が存在していることを知る事が出来る、まさにサンキュー・タツオさんの得意の「メンドクサイ」が有効に機能した紹介本だと思います。
ネタバレは極力避けるのですが、私が中でも気になったのは、世間という形の無いモノを改めて感じさせる「奇人論序説ーあのころは『河原町のジュリー』がいたー」、公園の斜面に座るカップルに関する論文『傾斜面に着座するカップルに求められる他者との距離』、一連の出来事がそのまま教育のある形を示した『コーヒーカップとスプーンの摂食音の音程変化』、ある意味最もバカバカしいと思ってしまった『オリックス・バファローズのスタジアム観戦者の特性に関する研究』、そして珠玉の『湯たんぽの形態成立とその変化に関する考察Ⅰ』です。
私は理系なので、文系論文を読んだことがほとんど無いんですが、本書のタイトル通り、とにかく変な論文がたくさん紹介されています、が、その導入は面白おかしい興味だとしても、そこで終わらせないのがこのサンキュー・タツオ氏の面白い(面白さって時には長い時間や理解を経て差し出されるものであって、水道の蛇口をひねって簡単に出せるものでは無い、というような比喩を村上春樹が使ってたような・・・)所だと思います。この方のラジオ番組のキャッチコピーである「メンドクサイをエンターテイメントに」を地で行く本だと思います。
正直、論文のタイトルを読むだけで、少々シニカルな笑みが溢れてしまいそうですし、いわゆるキャッチーで野次馬的な興味を引くのは間違いないと思いますが、それだけでなく、読ませる紹介に心砕く感じがタツオさんの良いところだと思います。こういう論文を書くに至った流れを想像するだけでも十分に面白くなれますし、そこは分かる場合と分からない場合がありますが、しかし分からないからと言っても想像する自由があるとも言えます。無論、論文ですから非常にアカデミックなものであるのですが、その題材がアカデミックと結びつかない部分に面白さを感じます。当然中身もなんでこんな事(物、事象、事柄、人、などなど)を真面目に研究しているんだろう?というギャップのおかしみがあります。
しかし、良く読むと、その論文は決しておかしなことを真面目に論文にして人を笑わせる事を主題に置いているわけでは当然なく、純粋に好奇心や研究熱心さから、その事象に捉われてしまい「論文」という形にまでなってしまったのだという当たり前の部分を丁寧に説明してくれるのも良かったです。何故ここまで、という疑問に一定の解を与えてくれるのです。
本書の中ではタツオさんが論文を紹介する、という体を取っていますが、その紹介の仕方のスマートさに、メンドクサイをエンターテイメントにする技術があるとも思いました。正直、タツオさんがまずとんでもなくこの論文、そしてその論文の著者を愛しているのだと思います。ときにマニアやファンだからこそ讒言をしてしまうと思いますが(マニアやファンだからこそ、誰からも否定されたくないのは分かりますが)、そうではなく「愛ある言葉」があるのが印象的でした。
またある意味タツオさんの論文とも言えるコラムの4つ目「タイトルの味わい 研究者の矜持」は一読に値するコラムで、常々思う「視聴者(受け手)に対して分かり易い言葉で」的な安易さとは一線を画すある意味の檄文だと感じますし、同意してしまいます。『神は細部に宿る』的な話しですが、本当に深く同意してしまいました。テレビや公共の場で良く目にするマナーやルールを、弱者や守るべきものの基準にするのは理解出来ますが、そうでない場の重要性を感じます。『甘やかされない場所』という大人のスペースが何処に行っても無い、という状況に違和感を感じるのです、守るべき人を守る事と、全員を子ども扱いしかしないのは違う事なはずなのですが。ゾーニングをもう少し上手く出来ないものか?という思いと、このタツオさんの指摘はとても近いと思うのです、高橋ヨシキさんの話しです。
特に最後に扱われている「湯たんぽ」の論文、本当に凄いです。もしかするとこれこそが学問なのかもしれません。何で?という疑問と好奇心から探究が始まり、推理、考察、検証を重ね、ある狭い一分野ではあるにしろその深度はすさまじいモノがあります。この深度を深められる人こそ学者なのだと思います。だって、湯たんぽで室町時代まで検証したり、自国の資料だけでは検証が難しいと理解すると、エドワード・モースとシーボルトのコレクションを検証なんて、どれだけ意欲があるのかちょっと恐ろしくなります。レンブラントまでいっちゃうのも、本当に凄い!!!こういう先生が在野にいる事こそが素晴らしいと思います。そもそも伊藤先生は別の専門の先生なのに、です。そしてそういう人を紹介できる人として、タツオさんは素晴らしいです。
「同一の機能で、多彩なバリエーションがあるところ」
含蓄がありすぎるお言葉です、誰でも言える言葉であるのに、伊藤先生から発せられるとまるで重みが違う言葉になります。
野次馬的な面白さを求める人にも、知とは何かが気になる人にも、オススメ致します。大人の面白いは一味違う!