井の頭歯科

「紙の月」を見ました

2015年6月12日 (金) 09:48

吉田 大八監督        松竹

吉田監督作品「桐島、部活やめるってよ」が凄い作品だったので見ました。何となく、ですが宣伝の仕方にどうも乗れなかった(女性の銀行の横領事件だとか、不倫だとか、あまり興味の持てない題材だった・・・)ので、劇場には行かなかったのですが、最近邦画を見る機会が増えていたので、つい手に取ってしまった次第です。で、こんな話しでこんな展開でこんな結末なんだろうな、という私の予想の軽く斜め上を超えていってすっごく驚き、新鮮で面白かったです。
平凡な主婦で子供の居ない事から契約社員として銀行で働く梅沢(宮沢りえ)は夫に不満はないものの、何処か空疎な気持ちを抱いているのですが・・・というのが冒頭です。

とにかく丁寧でキャストも良いですし、映像もクリアで奇麗、演出も素晴らしいです。特に宮沢りえの平凡さ、小林聡美の腹に何かを抱えている感じ、とてもリアルだと感じました。
空疎さを感じた事のある方になら誰にでも、オススメ致します。

アテンション・プリーズ!

すいません、思いっきりネタバレの感想になります。ネタバレなしでは何となく言葉に出来ない感じがして。

お金の無名性、そのただの紙切れであるはずでもあり、価値を等価交換出来る利便性、その恐ろしさもさることながら、私は梅沢=宮沢りえの「何をしていてもリアルに感じられないのであれば、とことん突き詰めて自由になってやる」という箍の外れ方が恐ろしかったと同時に理解させられる作りになっていて素晴らしいと感じました。

不倫はたしかにきっかけなんですが、ある意味自分から求めたのではない受動性ですし、それに乗っかっただけのように感じました。だからこそ放蕩に至ったのではないか?と。それもそれほど大学生の子に執着は無く、あくまでかりそめであった事を理解していたと思うのです。

だからこそ、カトリックの学生時代の挿入が意味を持つ訳で。子供の頃から、身の置き所に常に違和感と乗せられている、と感じていたからこその、その反動がこの行動力を生んだのではないか?と。決して馴染めないながらもどこか共犯関係のような相川、同じく自由を捨てる事で自由の範囲を狭めその中でしか動かない隅(小林聡美)とも馴染めず、何処までも自分の力を行使してゆく梅沢=宮沢りえの終末に、隅がその立ち位置から見えた梅沢を語り、あなたはココでおしまい、という台詞で、梅沢ともある種の共犯関係が成り立ったからこそ、梅沢は窓を破壊してこの世界から旅立つ瞬間、隅に向けて「一緒にきますか」と問いかけるのだと思うのです。梅沢だって終点だと思っていた所を、隅に指摘された事でさらに壊していく瞬間(椅子から立ち上がる)に音楽が鳴り始め、疾走していくカタルシスはちょっと久しぶりにクラっときました。
正直登場人物の誰にも共感出来ませんけれど、それでもこの空疎さ『本物』が何処にも無い事をただ知っていただけでなく、もがいて『本物』をが無い事を証明しようとしている様にさえ感じてしまいました。月を消していく際に見せる表情はちょっと忘れられないです。

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