井の頭歯科

「吉里吉里人」を読みました

2015年7月31日 (金) 09:46

井上 ひさし著     新潮社文庫

井上ひさし、初めて読むと思います。こんなに凄い小説とは思いもよらなかったです。

東北の村である吉里吉里村が突如日本国に対して独立を宣言する騒動の僅か2日間を描いた作品。

といえば聞こえは良いですが文庫で3冊分、1冊500ページくらいあります。読み終わるのにかなりの時間を要しました、もっと時間があればもう1度読み返したくなるくらいの充実した内容です。

ネタバレなしの感想としては、とにかく面白い思考実験みたいな小説ですが、その細やかな資料集めと知識の膨大さを考えると相当な下準備をされたのではないか?と思います。ここで終わって良かったのか?まだ続ける事も出来たのではないか?とも思います。

何と言いますか、総合小説というジャンルを作りたくなります(そういえば、村上春樹さんがティム・オブライエン著の「ニュークリア・エイジ」を評して総合小説っていう言葉を使ってましたね・・・)。SFであり、コメディであり、国家論であり、医学哲学人間論でもある小説、ちょっと類似した小説を読んだことが無いと思います。

井上ひさしを読んだことが無い方、ビクトル・ユゴーの小説が好きな方(一見軽めに見えて重い要素を含んでます)にオススメ致します。

アテンション・プリーズ!

ここからネタバレありの感想になります。未読の方はご遠慮くださいませ。読書会に参加される方、された方に読んでいただけたら嬉しいです!

まず、構想として、分離独立運動を描く、というのは劇的なものだと思いますが、そこにエロも、SFも、ギャグも、国際法も、医療も、哲学も、入れてしまうのが独特で凄いですね。構図てして記録係なる「わたし」という人物と作家古橋健二という数奇な運命をたどる三流作家の立ち位置からして入れ子構造になっていて面白くも示唆に富んでいると思います。何故ならこの長い様々なものを扱った小説は二項対立を主軸とした小説だと感じたからです。日本国と吉里吉里、標準語と方言、憲法と国際法、農業と工業、健忘症と記憶増進症、古橋と佐藤、国籍の血統主義と出生地主義、免許医と無免許医、きりがないくらいこの二項対立を軸にして、その越境の部分で面白さを出していると思います。

少々古橋健二に捉われ過ぎてしまっている感はありますし、上巻では割合引っ張り過ぎな感じ(古橋の生い立ち)もしましたが、やがて吉里吉里国の大統領になるわけですし、人柄を描いておく事は重要だったのかも知れませんね。しかもこの人柄の部分がナンセンスギャグに起因にていますし、恐らく、井上ひさしさんの自虐的な分身として描かれているのでしょうから、余計に描くのが楽しかったのかも。

私は少し古橋に同情的でして、イサム安部にまでバカ扱いですし、やること全てが裏目に出てしまうのも同情を誘います。物語が転がっていくにはこういうおっちょこちょいなキャラクターが必要なのだとしても、ちょっと人間としての良い部分をもう少し出してくれないとツライなぁ、と感じました。これだけ資料を読み込まないと作り出せない作品を書いている井上ひさしの(私の勝手な想像ですが)分身なわけですから、小市民的で、遅筆であるのは仕方ないにしても、何か良い部分を出して欲しかったです。あ、文学賞の受賞の中の「わ、わたしは午後に死にたくない」は唯一良かった作品でした!

またこの古橋の付き人編集者佐藤の人物像がなかなか面白いです。編集者とは、こういう人なのかも、と思わせるに十分な説得力があります。ある意味実務に於いては権力にでも寄り添う変わり身の素早さもありますし、説得力も行動力もあります。もちろんだからこそ信用出来ない男でもあるんですが。古橋と佐藤の掛け合いは毎回重要な場面で起こりますし、なかなか見応えありました。

医学立国、タックス・ヘイブン、自給自足、国際卓球ワールドカップ、金本位制度、思いつくだけでも凄い事ですし、国際法の勉強までしないと言えない部分も多々ありますし、その辺が全てを検証出来る知識も無いんですが、自分の専門分野への発言もありまして、この部分は非常によく調べてあって素晴らしいと感じました。おそらく、国際法の部分もかなり正確に調べ尽くしたのではないか?と十分に想像出来ると思います。だからこそ、隣村である家とのやっかいな国籍問題も出したのだと思います。この部分のロミオとジュリエットのような部分の解決を見ても相当詳しく勉強されたんだろうと思います。本当に凄い。

医学関係も今では日本でも脳死判定からの臓器移植が可能になりましたが、当時はそういう知識を得ようとするのはなかなか大変だったと思います。それに実際の心停止と脳死関係も分かりやすく、しかもパワフルタローなる人物とゼンタザエモン沼袋の討論場面の説得力(医療は公的であるべきとか、ファミリードクター制度のような連携のなさとか、予防へのおろそかさとか)はとても強く同意せざる得ないです。ちょっと勉強した、という程度ではなく、ブレーンになった方がいるのだとしても、これほどまでに核心的な部分への言及は本当に凄いと思います。

医学面で唯一飲み込みにくかったのは、ゼンタザエモン沼袋氏の息子のくだりですね。自死権を認めるとしても、ちょっと動機としても飲み込みにくいですし、ここまでいろいろ調べて納得出来るレベルまで制度化している吉里吉里国でありながら、この部分だけはルールでさえ無かったのは当然としても、もう少し飲み込みやすい理屈があっても良かったと思います。

で、他にもいろいろ感想はありますし、あまりに広いトピックを扱っていますし、それは読書会みたいにみんなで話し合えば面白いだろうな~と思います。でちょっとあさはかではありますがまとめのような大きな話しになりますが、主題は「理想」と「現実」だったのではないか?と愚考しました。

輝かしい理想を掲げないといけない、が、苦い現実を知る事からしか始まらない。と言われているように読後は感じました。分離独立の、それも用意周到な計画性のある展開を描く事で、面白可笑しく現実を知る事が出来ます。農政の、医療制度の、経済政策の、それぞれの不備や志の低さなどを知る事で、現在置かれている見えにくい状況を知る事でもっと理想に近づける努力を、国という単位では難しいかも知れないけれど、もう少し努力しようよ、と言われているような。もちろん面白可笑しく読めて、それで良い部分もあるでしょう。でも、たとえば、本当に困った事が起こったときに、こういう道もあるんだよ、と冗談めいてはいるけれど、理想的な一面を見せる事が出来たら、それは力強く輝いて見えると思います。

東日本大震災という大きな出来事が起こった後だからこそこの本が読まれるんだと思います。私は今すぐ原発を止めろとは思いませんが、なくす方向を探るのがコストパフォーマンス的にも、どう考えても現状日本では無理なんだと思いますけれど、ここが日本的で動かしたモノを止める事が出来ない「空気」に支配されやすい国民性なんだと思います。感情的に吹き上がる事が合っても最後まで達成する事が出来ない事が多いと思うのです。なんだかんだ言っても政治的に、結果原発も動いてしまう気がします。

この本を読むと、吉里吉里人たちがいかに先を見越して、知識を得て、最終目的を達成する為の努力を惜しまなかったか?を学ぶ事が出来るんだと思うんです。だから今読まれる本ですし、読まれるべき本だと感じました。別に分離独立しなくとも、主権者である国民が国家をコントロールする努力を払え、という風にも読めますし。

私は吉里吉里人になりたいと思いますね、日本人よりも論理的で努力を払える、現状よりも理想を掲げる。でも現状を知って落胆しないで変えようとするチカラを継続する。なんだか変な話しですがユゴーの「レ・ミゼラブル」のアンジョーラ(もしくはアンジョルラスと表記される事も。革命を起こそうとする大学生グループabcの友のリーダー)を彷彿とさせる人物が多いのが、フランスにいて日本にはあまりいないタイプの人物だと思いますし、もう少しこういう人物がいたら良いのに、と思います。革命を起こすというと反権力的な人物に見えるかもしれませんが、結局アンジョーラの試みは失敗しますし、無惨な最後が待っているんですが、それも善し、この経験を、行動をする事が新たな同じような人物を生み出す事に繋がる、という信念を持っているのが潔いと思うのです。

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