この写真は雑誌「ヴォーグ」に掲載された写真で女性がバランシンの妻のタナキル・ル・クラーク。その右側に座る男性がジョージ・バランシンです。とてもいい写真だと思います。
バーナード・テイパー著 長野 由紀訳 新書館
コリオグラファー(振付士)として有名なジョージ・バランシンの伝記です。実際、私にはまだまだ奥深い世界である舞踏、それもバレエの世界の偉人の伝記です。ですが、非常に面白かったです。
たくさん見ているわけでは無いのですし、理解出来ているわけでもない世界の事ですが、それでも、好みがある、というくらいには観ているバレエの世界。好きな振付士で最初に思い浮かぶのは、私にとってはローラン・プティです。特に「失われた時を求めて」、「アルルの女」の2作品は、今まで見てきた中でも1,2を争うほど好きな作品ですし、また誰が踊るのか?によっても印象変わりますし、振付そのものの評価が出来るほどでは無いのですが、観ていて心に迫るものがあります。言語でもなく、音楽でもなく、その踊りで何かが伝わるって、日常生活に「踊る」という行為が無い(そもそも今まで小学生の組体操かフォークダンスしか、私は経験ありません)ので理解出来ないかと思っていたのですが、少しずつこの世界の魅力に惹きつけられます。何かしら言語化できない感覚があり、それでも、私にとって最も互換性が高く、不完全ながらも意思疎通の大部分を占める言語で、この心の動きを他者と共感出来たら?そんな言語には可能性があるんじゃないか?とか思ったりするのです。で、この考え方をこの評伝のジョージ・バランシンは気持ちよく否定してくれます。彼はおよそダンスを伝えるのにはダンスでしか出来ない、と考えているのだと思います。批評とか感想といった物事をすべて遠ざける人物だったようです。
ジョージ・バランシンは1904年生まれで、帝政ロシア出身(正確にはグルジア、今のジョージアですね)のバレエダンサーであり振付士です。子供の頃から音楽に親しみ、勉強し、ピアノ演奏や作曲にも興味を示しながらも、結局はダンサーとしての表現者になりますが、帝政ロシアの混乱からフランスに亡命、そこであのバレエ・リュスのディアギレフに見いだされて、膝の怪我もあって、振付士として雇われます。バレエ・リュスの最期の4年間をディアギレフと共に支え、芸術家としての勉強にもなったと言っています。当時のバレエ・リュスは恐らくヨーロッパで最も有名なバレエ団というより、興行するを芸術家集団でありカンパニーだと思います。そんな有名なカンパニーの振付家として抜擢されるのも凄いです。
そのバレエ・リュス時代に振付家として、作曲家プロコフィエフに著作権の何割かを配当のお願いに出向いてこっぴどく断られ(当時は振付士に対する理解もなかったんでしょうけれど)以後プロコフィエフの音楽を生涯使わなかった逸話や、正反対に当時最も有名な作曲家であり同胞であるストラビンスキーのは快く著作権の配当を快諾された話しなど、とても歴史的にも面白いと思います。
しかしディアギレフが急死し、カンパニーが解散してから、生活も、表現の場も厳しくなり、新天地であるアメリカを目指すのですが、その道先案内人になるアメリカ人、リンカーン・カースティンという人物がバランシンと同じくらい気になる人物でした。この2人の出会いも衝撃的で不思議です。この2人が出会わなかったら、アメリカにバレエが根付くのにもっと多大な時間がかかったと思いますし、何処かに本拠地を構えたとしても(実際にバレエ・リュスの同胞であったセルジュ・リファールはあのパリオペラ座の芸術監督にもなってますし、その代役を任されてもいるのですが・・・この辺のもし・・・はいろいろ想像してしまいます)今のような影響力があったか疑問です。私財をなげうつカースティンの情熱はちょっと異常で、滑稽にさえ見えると思います。が、この情熱がバランシンを口説き、結果的にバレエ芸術がアメリカに根付く事になるなんて、本当に凄いです。
当時のアメリカにはバレエダンサーはほとんどいなかったと思いますし、まさに舞踏の世界では未開地とも言える地での活動、困難を極めるのですが、その世界で認められていく話しもとても盛り上がります。劇場を手にする話しはとてもスリリングですし、観客を育てる、という意味でも教育者だったんだと思います。
苦楽を共にするカースティン、その他様々な人との関わりの中でも、バランシンの変わらぬ信念の貫き方は本当に凄いです。そして教育者としても(もちろんバレエだけでない部分も!)かなりストイックです。舞台芸術である事へのこだわりとアイディアの豊富さ、常に新作を作り続け、評価され続ける事の難しさを考えると、本当に凄い。バレエといえばどうしたってクラッシックな、古典的な演目を想像しがちですけれど、毎年新作を振付して、しかもその作品が古典化していく事の凄さはちょっと異常だと思いました。あまりまだ見れてないのですが、多大な作品を残しています。しかも自分の作品を作る事にはとても強い信念があるのに、その作品が後世に残るかどうか?という事には全く関心が無いのもクールです。常に、今、にしか興味が無いのです。
例えば同じロシアからの亡命者であり、最高のダンサーと誰もが認めるミハエル・バリシニコフにしても、後のパリオペラ座芸術監督になるルドルフ・ヌレエフにしても、王子しか踊れない人間には私のカンパニーでは出番がない、とまで言い切るのが凄い。この2人はおそらく当時誰しもが最高級のダンサーだと誰もが認めているのに、です。
よくバランシンのバレエは物語性を排除した、と表現されますけれど、その説明には違和感があります。確かにクラッシックバレエとは違いますが、それでも物語はあると思います、多分、受け手である観客にすべての判断を任せているのだと思いますけれど。
言葉にとても重みを付与できる、かなり変わった人物です。伝記物に、舞踏に興味のある方にオススメ致します。