増田 俊也著 新潮社文庫
40を超えて知り合った年下の友人が、プロレス弱者(プロレスについて詳しくない事を指す言葉です)の私に、どういう感想を持つか知りたい、とオススメされたので手に取りました。
著者の増田さんの文章はとても上手いですし、読みやすいです。しかもエモーショナルでいて、しかしノンフィクションライターとしての矜持からか、冷静になろうとする部分を隠さずに見せる方です。そんな人の文章が面白くないわけないです。
アテンション・プリーズ!
今回は前置きも長い上、本書のある程度のネタバレがあります!しかも私のプロレスへの熱量は低いですので、プロレスファンの方からすれば不快に感じられる可能性も高いと思われます。興味のある方だけに読んでいただけたらありがたいです。もちろん、読んだうえでの批判はお受けするつもりです。
私の小学校くらいまでは、たしかタイガーマスクが流行っていて、1回プロレス観戦にも出かけたのですが、うん、なんか興味が続かなかったので、そこでほぼプロレスについては観なくなってしまいました。多分子供心にも、なんか嘘っぽい、という感覚もあったのを覚えています。
その後ほぼプロレスには触る事ない生活でしたが、大学生の頃、友人の知り合いとお酒を飲むことになり、どういったいきさつか?は忘れてしまったのですが、プロレスの話しになり、何気ない私の、しかし心無い「何となく全部が真剣勝負じゃないですよね?」という一言で非常に怒らせてしまったという事件ががあってから、一層プロレスに対して興味が無くなりました。でも私だって自分の好きなモノを否定的に言われたら嫌な気持ちになると思いますが、その熱量や感情の表出に際してプロレスファンの方は振れ幅が大きいような気になってしまったのです。きっとお互い酔っぱらっていただけなんでしょうけれど、その時はそうは思えなかったんですね、ただ単に幼稚だな、と感じてしまったんだと思います、私も同じように幼稚ですね・・・
それでも、その後にも格闘漫画「修羅の門」を面白く読んだり、ふと目にしたパンクラスという格闘技の中継で観た舟木選手が腕を決めて勝った試合は単純に凄いな、と思った記憶があります。でもパンクラスをもっとちゃんと観ようとは思わなかったのですが。格闘技とか武道とかにあまり関心が続かなかったのです。
なのでこの本に出てくるプロレス用語の意味が間違って読んでいる可能性もありますし、イマヒトツ理解出来ない単語もありました、注釈が付いているんですけど(例えばアングルというプロレス用語はなんとなく文脈からするとブラフという意味だとも思うのですが、アングルって角度の事なので、根拠はあるけど大げさにしている、という事なのか、全くのウソなのか?が分からなかったり・・・)。
非常にセンセーショナルなタイトルですよね。
木村政彦の弟子である岩釣氏とプロレス側との交渉を冒頭に置いていて、この先どうなるんだろう?と思わせつつ、次に木村と力道山の世紀の対決の結末を書いておいて、結末を知っているのに、本当のところがどうだったのか?を知りたくなるフックが非常に強い、読ませる導入だと思います。円環構造になっているのもいいです。プロレスに詳しくなくても、柔道に詳しくなくても、木村と力道山の試合の結果ではなく、何があったのか?がとても知りたくなります。
これは相当に、力道山を代表とするプロレスという視点、それも勝者の視点が流布されて、木村という柔道家側でも、プロ柔道側(柔道で興行を行う寝技を含んだ、技の上での1本ではなく、参ったというか、意識が無くなる事で、負けの判定が下るシステムの事:私の認識)からも評価されず、1個人木村政彦という柔道家の側面を、見事に削られているのが現状だったんだと思います。負けた側の視点立つ著者の増田さんの激しい怒りと共に、時系列を追いながら、柔道だけでない、世界レベルの格闘技や武道や護身術の興亡を描いたノンフィクション作品です。
柔道という武道の流れや、講道館というスポーツに特化した柔道の形、サンボとか、バーリトゥードとか、MMA(総合格闘技)とか、ブラジリアン柔術とか、とにかくたくさんの格闘技の話しが出てきますし、セメント(真剣勝負、多分あらかじめ勝敗を決めない、しかし何をもって勝ち負けの判定をするのか?はルールによる)とか、口に出してみたくなるカタカナ語が多く出てきます。その詳しい違いについては分からないものの、何となく、プロレスとは違うんだな、という文脈でのニュアンスだけは理解出来ました。
さらに昭和史における石原莞爾や頭山満などの右翼の大物政治家などの交流も描かれています。
多分著者の増田さんの立ち位置は完全に木村政彦サイドだからなんだだと思います、プロレスを軽視するわけでは無いが、武道ではないから、というスタンスは理解出来ました。もっとも私はプロレスにどのくらい筋書き(ブックというらしいです、この辺の単語のトリビアルな面白さがあります)があるドラマなのか?が全然分からないのですが、まぁワカラナイまま楽しめる人と、物語としては全部を受け入れる人や、たった一つの真実として受け止める人では結構見え方や熱量が違うと思いますし、これってリテラシーの問題だと思います。
その辺はこの本の最後はまさに白眉の展開で、木村側に立ち、擁護し、検証し、インタビューし、様々な角度から考えに考え、18年に渡って取材してきた著者増田さんの、木村政彦の尊厳を取り戻そうとして始めたこのノンフィクションの最後に、それでもなある地点に到達するのが、個人的には最も素晴らしいと感じました。言い方として変なんですが、この本を書く動機としては、かなりのルサンチマンから生じたはずなのに、そのルサンチマンを乗り越えるところが、素晴らしいと思います。そのきっかけを作った太田章氏とのインタビューの記述が、そのクライマックスだと思いました。
私は木村政彦の存在も知らなかったですし、力道山という人物も、空手家大山倍達という人物も名前は聞いたことがある、くらいの認識でしたが、それぞれの事情の一面として、著者が検証した範囲の真実として、昭和の時代の流れとして理解出来ました。
知られなていなかった人物の生涯を追う物語として、とても面白かったです。まさに鬼と呼ばれるのも理解出来る人物です。また師弟という物語でも、とても面白いと思います、ある意味3代に渡って続く、武道を追及する男の話しです。
と、大変面白く読んだのですが、冷静になると気になる部分もあって、確かに、木村、力道山戦の視聴率は100%だったでしょうけれど、それは全国民の興味が集中したとは言えないとも思ったりしますし(少々大袈裟に、風呂敷を広げ過ぎているような・・・)、タイトルのセンセーショナル過ぎる部分にプロレス的なアングルを感じたりもします。私は木村政彦が、興行という意味で(観客なんか入れないで関係者だけで果し合いをする選択肢だってあると思うのです)力道山との闘いのマットに上がった以上、どんな結果であっても受け入れるべきなんだろうと思います。そして、力道山への怨嗟を乗り越えた後半生を、凄いと思います。多分簡単には認められなかったでしょうし、それこそずっと重い心の蟠りだったと思います。それでも、生活していった木村政彦の方が、強さだけを求め、師匠には異を唱えない、鬼の木村政彦より、ずっと強さを感じます。
本当は、木村政彦の事を、噂でなく自分から知ろうとすれば、プロレスで力道山に負けたことなどたいした事ではないと思います。事実木村政彦の周囲にいた親しい人々は、その素晴らしさを知っていたわけです。だいたい世間的な評価なんて、本当の鬼の柔道家『木村の前に木村無し、木村の後に木村無し』とまで言われている事実を知っている親しかった人たちからすれば気にする必要は無かったのかも知れないとも思います。
どんな分野だって、有名だから凄いわけじゃない。本当に凄い事に気が付くためにはその世界そのものを理解するだけの自分の『好きさ』が必要で、だからこそ知りたくなるし、関連する物事を知ろうと能動的になると思います。受動的に見ての判断ではあくまで表層的なものでしかないと思いますね。
その上で、著者の増田さんがここまでルサンチマンをため込んだのには、それだけの理由、あくまでプロレス側の、勝者の側の理屈でしか判断評価されなかった事への不満があったのだと思うのです、それも世間的な・・・。本書を書いてくれた動機にはイマヒトツ乗れなかったけど、書いてくれたことで木村政彦を知る事が出来て良かったです。熱量も高いけど、それだけではなく、物書きとしてのクールさを同時の持てる増田さんの文章を読むのはとてもエキサイティングな体験でした。
読み終わってから、動画でいろいろ見ましたが、力道山戦の木村政彦の倒れ方、そして足先で頭部を蹴る行為は、ちょっとリラルで恐ろしいです。この試合の結果、プロレスはフェイクじゃなく真剣勝負なんだ、という勢力を後押ししてしまったのだとしたら、増田さんのように柔道を愛する人からするとルサンチマンをため込むこ事になるだろうと理解出来ます。映像を見なければ分からなかったです、かなり衝撃的ですね・・・
個人的に印象残った人物は阿部謙四郎という方です。非常に愚直で組織の中では生き残れなかったであろう融通の利かなさと共に、ある種の爽快感さえある人物だと思います。かなりキツイ道を歩まれると共に、木村と再会するシーンはとても印象に残りました。
あと、表紙に使われている写真、とても素敵な顔してます。かなり優しい顔に見えますが、筋肉は凄いですね。そのギャップが印象的でした。本も凄かったけど、人物木村政彦が凄くて、さらに評伝を書く増田さんの文章がエキサイティングなんだから面白いわけです。
格闘技に興味のある方に、プロレスに興味のある方に、オススメ致します。