マイケル・ムーア監督 ギャガ
マイケル・ムーアの監督作品ですし、気になっていたので、足を運びました。
何で119なのかな?と思ってたんですけれど、これは2016年11月9日にドナルド・トランプが当選した日の事でした。まぁ前に『華氏911』という作品を撮ってますし。
マイケル・ムーア氏の主張は結構大胆な部分もありますし、全部が全部肯定できるわけではありませんけれども、1番尊敬出来るのは『現場に出かけるという行動を起こし、カメラに収めて、何が起こっているのか、よく知ろう』という部分です。どういう主張になるにしろ、この現状を知ってからだ!という気概を感じますし、その点は全面的に同意致します、これが映画になるとちょっと説教臭くなる事もありますけどね。
ドナルド・トランプっていう人がどういう人なのか、まずそれを知る事からこの映画は始まります。ドキュメンタリーっていつも思うんですけれど、結構都合良く編集出来る、という点を忘れないようにしなくちゃって思うんです。ドキュメンタリーで言えば最近見た「肉」フレデリック・ワイズマン監督作品(の感想は こちら )くらい、起こったままを出す方もいますけど、多分少数派でしょうし。もちろんマイケル・ムーアは編集しまくりです。だからマイケル・ムーアにとって、都合の良い部分を編集して、そう見せている可能性がある。前後の文脈は正直分からない、もしかして冗談めいた発言を切り取って、意地悪く編集しているのかも、って可能性を捨てる事は出来ないと思うんです。
それでも。それでも、です。ドナルド・トランプの言動は、ちょっと常軌を逸していると思います。冗談で言っている場面も多分含まれていると思います。でもこれが冗談になるとは思えません。たとえば、娘をどれくらい愛しているか、好きでいるか?を表現する為に、娘じゃなかったら〇〇〇だ、とは普通の感覚では絶対に言葉に、映像に残る場面で、人前で、言えません、私の感覚の常識、普通で言えば。それを軽々と、超えてきます。言葉を使う人間の1人として、あんまり使いたくない表現に『生理的に受け付けない』というのが私にはあって、それって拒絶じゃないですか。話し合いにさえしない、と断言して切り捨てる事には、かなり抵抗があります。でも、生理的に受け付けない事ってあるとは思いますけど、反射的に頭に浮かんだ言葉ですね。うん、確かに常軌を逸している。
トランプ政権がこれから向かう先が、先駆的に表れた場所として、マイケル・ムーアの生地であるフリントを挙げて説明してくれます。マイケル・ムーアの初期作品の「ロジャー&ミー」という作品でもフリントが舞台でした。そのフリントの、ミシガン州知事に、トランプの知り合いで大富豪のリック・スナイダー氏が就任した事で起こった水道水鉛混入問題で、今後の予想をしてくれます。あくまでマイケル・ムーア側の主張でしかない、とは言え・・・本当に酷い実態でした・・・しかも時の大統領バラク・オバマの対応の酷さが、期待が高まった上でのことだったので・・・
そして、ココが肝なんですけれど、こういう事で、有権者が選挙へ、政治への興味が無くなった、と言っています。その他の例もヒドイものでした。民主党のヒラリーの対抗馬であったバーニー・サンダース候補の事もそうです。いわゆる流行りの『忖度』が、権力者に向かって発動している状態、いや、それではちょっと生易しく、明らかな数値改変、もっとはっきり言うなら騙しと虚飾が行われていた事です。フリントの鉛汚染問題も、民主党の大統領候補者予備選でも、です。
しかし、良い部分にもマイケル・ムーアが目を向けています。高校で起こった銃乱射事件の後、高校生の、SNSを使った、選挙権の無い人の政治活動です。いわゆる政党の枠を超えて、その機能不全を、機能不全に陥ってるぞ、と声に出しています。確かに幼い、非常に簡潔であるからこその危うい部分も感じますけれど、でもそれ以上に、今の政治への不備を痛烈に刺激し、不当な言動を行った立候補者への落選運動が成り立っているのは、驚愕でした。日本では、起こりにくい現象かも知れません。
その、日本では起こりにくい現象かも、とか思ってる私の頭を殴りつけるような、最後のシークエンスは、かなり説得力がありました。結構な恐怖体験でした。下手なホラー映画よりも怖い作品です。
「帰ってきたヒトラー」デビッド・ヴェント監督(の感想は こちら )をご覧なかった方に、民主主義のようなまだるっこしい手続き重視の政治形態よりも、優秀なリーダーの基の独裁主義が眩しく見える方に、オススメ致します。