辻田 真佐憲著 幻冬舎新書
辻田さんは近現代史研究者でありますが、とても楽しく、できるだけフラットに語ってくれる語り口が素晴らしく、それでいて丁寧です。データや参考資料や文献も事細かに記載されていますし、だからこそ原典を当たろうとすると簡単に当たれます。さらに、その資料の成り立ちから、どの程度の信憑性があるのか?または両論併記した方が望ましいものは両論併記で記載されていますし、至れり尽くせりです。それなのに、語り口がさわやかで、イデオロギーを感じさせません。あくまで、事象に対して、の判断の積み重ねた結果の結論はなかなかすさまじい説得力があります。
しかし、私にとって天皇陛下のお言葉を理解するのは、なかなか難しい作業だと思います。何故なら、それぞれが勝手に解釈して『私が天皇陛下のお言葉を最も理解している』として取り入ろうとする人がたくさん居そうだからです。しかも非常に重い使命や責任や文化、そしてある種の幻想さえも背負う、日常が非日常な方のお言葉は、大変重みもありますし、理解しようとするハードルが高い感じがします。また理系の為にいわゆる歴史の知識が乏しい上に、興味がある部分は知っているけれど、それ以外へのヒロガリに欠ける部分が多いので、さらに難しく感じます。その上、明治・大正・昭和・平成と近現代史となると、さらに難しい解釈や取り方が出来るますし、本当の意味で細かな事実さえ知らない部分も多いです。
しかしそんな不安も、最初からほぐしてくれるのが辻田先生です。近現代史に詳しくなくとも、また、ある程度知っている人にとっては、さらに詳しく、様々な事象について解説してくれている上で、陛下のお言葉の意味を考えよう、という書籍です。
明治天皇の、話し言葉では当たり前なのかも知れませんが、京都弁を、文章で読む事で、少し可笑しみが、そして親しみさえ感じられます。また、とても外交に、決して武力を好んで用いようとは思っていなかった部分を知れたのも良かったと思います。たとえ苦難の道だとしても、その苦しみを共に味わう気概の持ち主であった事も、新鮮で懐の広さを感じさせてくれます。何よりも教育問題にこれほどまで心砕いて、西洋一辺倒にならない工夫を、儒教的な側面を残しつつ、良い部分の西洋を取り入れようとした、そのバランス感覚は、素晴らしいと感じました。そして、すっごくお酒が好きな点も、個人的には共感できるところです。そして国家元首としての人物評価の高さ、その深度にも、感服します。
また、非常に人間的な部分、日露戦争時の、あくまで私の意図では無かった、と思えるような宣戦の詔勅の部分や、大津事件におけるニコライ皇太子へのお見舞いの件は、まさに人間的な、と言える様々な感情のゆらぎを感じる事が出来ました。
そして有名な、教育勅語についても、詳しく書かれていたのは、大変面白く読みました。あくまで、天皇と臣民の上下関係であり、天皇陛下自らこれを守るのであって臣民もこれを守って欲しい、という意向のものであった事実は知れて良かったです。補論として、愛国コスプレとしての教育勅語、という短い論があるのですが(P62~65)、この部分は大変切れ味鋭い論評になっていて、全く同感です。中身を知らない(知ろうとしていない)で、とりあえず「教育勅語」を肯定しておく、その事が戦後民主主義の否定=反左翼=保守派である事の信仰告白、という図式は、とても明快です。ぐうの音も出ないほどの正論でした。それをもって愛国コスプレと名指す言葉の選び方も、ウィットが効いていて良かったです。あくまで、保守派でいる事が大事なのであって、保守が何なのか?を突き詰めようという訳では無い輩を見分けるリトマス試験紙のようです。
そんな明治天皇が好んだのが和歌であったのに対して、大正天皇は漢詩を好まれていた、というのも不思議な感じがします。
ご病気のために事実上の在位は10年なのですが、フランス語をある程度話せたり、和歌よりも漢詩をたしなまれた事実も知れて良かったです。漢詩の方がかなり複雑なルールや韻もあって特殊性は高いと思いますが、ご病気になる前はかなり明晰な方であった事が偲ばれます。
そして昭和天皇についての記載が最もボリュームあります、在位も長いので当然だと思いますが。著者の辻田さんの言うリアリストという言葉はとてもしっくりと感じられました。あくまで当時の、リアリストなのですが。
かなり潔癖な態度を取られる1928年の関東軍高級参謀・河本大作による張作霖爆殺事件に対して、軍法会議にかけるとの約束を反故にした当時の内閣総理大臣・田中義一に対しての失跡は、非常に冷静な判断だと思います。しかし、その為に内閣総辞職になってしまうのですが、この辺の政治的な役割と言いますか、大権も、それでも天皇陛下お1人の判断ではなく、側近や元老など様々な人の意見を取り入れての結果なのだと思います。しかし、だとしても、大変大きな権力だと思うのです。
また、昭和天皇陛下の感情が露わになった2.26事件についても、武装蜂起した青年将校を庇う事無く、それよりも、打たれた老臣を気遣うお言葉は、大変重く感じます。あくまで私見ですが、この祭り上げられ、権力者を任命する役割、としての天皇という立ち位置の難しさを感じずにはいられない事件だと思います。
また陸軍への不信感、特に独断専行をする関東軍への不信感は強かったようで、特に、杉山元参謀総長に対して、『汝は志那事変の陸相なり、その時、陸相として「事変は1箇月位にて片づく」と申したことを記憶す。しかるに4箇月の長きに亙り、未だ片づかんではないか』というお言葉は大変最もだと思います。人物評にも長けていて、石原莞爾を『満州事変の張本人』、板垣征四郎を『完全に軍の「ロボット」』、松岡洋右を『ヒトラーに買収されたのではないか』とまで言われています。最も、海軍軍人への言及の少ない本だったので、海軍への評価は不明ですが・・・
そして英米に対する宣戦の詔書に、英国への配慮があった事を知れたのは良かったです。英国にも渡英されているのもありますし、明治天皇も親しくされていたからなのだと思います。さらに終戦(と言いますか、敗戦ですよね)に至るまでの、三種の神器の取り扱いや、ご聖断の苦しみを考えると、当時の昭和天皇陛下のご年齢は僅か43歳・・・あまりに重い責任だと感じます。
明治天皇は大変お酒を好まれたのに対して、昭和天皇はお酒にトラウマまであって、ほとんど飲まれなかったのも、意外な感じがします。
そして、戦後に入って、「勅語」という言葉は「お言葉」に改められるのですが、そのお言葉には、本当に様々なモノがあって、やはり生きていらっしゃる人間なんだな、と強く感じました。特に、私が微笑ましいと感じたのは、テレビ小説「さかなちゃん」の録画を侍従に頼まれる事です。また、靖国参拝についての言及があった事、事にA級戦犯合祀が御意に召さず、とされているのも知れて良かったです。
続いて平成の時代。平成天皇の、即位にあたって「憲法に定められた天皇の在り方を念頭に置き、天皇の務めを果たしたいと思っております。国民の幸福を念じられた昭和天皇を始めとする古くからの天皇のことに思いを致すとともに、現代にふさわしい皇室の在り方を求めていきたいと思っております。」という言葉の重み、そして、その事を実現するに至る、『旅』される公務の数々を見るにあたり、本当に、象徴としての天皇とはどういうことか?を考え抜いたのだな、と思います。本当に大変な重責を担わなければならない存在であるのだ、と認識を新たにしました。
日韓ワールドカップ共催におけるご発言の、続日本書紀における皇室の韓国とのゆかりをご紹介する懐の深さ、東京都教育委員米永邦雄への強制になるということではないことが望ましい、とのご発言にも、優しさが溢れていると思います。そして、何度も繰り返される『先の大戦(中には『満州事変に始まるこの戦争』という明記もある)に対する深い反省』というお言葉、この言葉の重みにも思いを馳せる事になります。
最後に、ビデオメッセージ。このとてつもなく幾重にも意味の含まれたメッセージを読み解くのに、今までの天皇陛下のお言葉、それも明治から大正、昭和、平成、とみてきたからこそ、の読み解きはスリリングでさえありました。象徴的行為と国事行為、中でも象徴としての『祈り』と『旅』についての言及は、様々な発言を見てきたからこその、重みを感じました。天皇は高齢化する、という避けられない事態をどのようにするのか?についての強いメッセージだと思います。しかも、この内容を有識者会議で批判された事についてのお言葉もあり、やはり大変重いと思います。
読後、最初に思った事は、このような重責を1人の人間に任せる事で成り立つ社会のままで良いのか?という疑問でした。もちろん尊い存在ですし、極端な廃止論ではなく、負担の軽減、あるいは役目の分担、という事です。しかも現状、大変厳しい状況に置かれていると思います。男系男子に限る方の意見も聞いてみないとよくわからないのですが、このまま男系男子にこだわると、繋いでいけない事態になりかねないと思いますし。
とにかく、大変スリリングで面白い本でした。天皇陛下のお言葉が気になる方に、近現代史の天皇陛下のお言葉で振り返る事に興味のある方に、オススメ致します。
ミキ・デザキ監督 東風
ドキュメンタリー映画ってそもそも、いいように編集で出来るので、事実を捕えているかどうか?も不明な上に、印象操作する事の出来る形態の映画、という事が出来ると思います。そうでないドキュメンタリー映画監督は私はフレデリック・ワイズマンしか知りません(フレデリック・ワイズマンの処女作で傑作の「チチカット・フォーリーズ」の感想は こちら )。主張に沿った部分を切り取って使う事が出来る、という部分を理解出来ていないと、事実と見誤る事に繋がってしまうと思います。そもそも主張があって製作している事も多いですし。しかし、そう思って観ていると、なるほど、こういう考え方の人もいるのだな、と知らない世界を知る事が出来る楽しい部分も大いにあると思います。
主題に挙げられている従軍慰安婦問題について、私は全然知識がありません。特に調べようと思った事もない事象について扱った映画です。が、論争が起こっているという意味で興味が湧きました。
中学生の頃、何故人間にはしっぽがないのか?を友人と話し合ってた事があります。私はしっぽがあったら便利だな、というだけでしっぽ擁護派になったのですが、その後立場を入れ替えて話しをする機会があり、議論がより面白くなった事を経験して以来、こういう議論に興味があります。ただ、あくまで面白い事と、議論が深まる事は別ですし、さらに、結論が出るかどうか?も不明だと思っています。人は結局見たい現実しか見ない生き物なのかもしれませんし。
この映画の中では、様々な立場の人のインタビューを、かなり切り取って、都合の良い様に編集、されている映画です。ある意味監督の主張を補強するように作られている映画、と言い切って良いと思ます。
また、その主張を完全に正しい、と決める事も出来ているとは思えませんでした。
ただ、この映画の中で、唯一、転向している方の言葉の重み、については説得力があると思います。個人的な意見ですが、転向したことが無い、という人はあまりいないのでは?と思っています。その事に気付かせてくれた名著『戦後日本の精神史 1931-1945』の感想は こちら です。
他者に対しての節度、言葉使い、その場にいない議論相手への敬意が感じられない口調で話しをする人たちの主張は、薄っぺらく、感情的で、不快な気持ちにさせられます。
端的に美しくないのです。
個人的には、一堂に会して議論の場を与えればよかったのに、と思いますけれど、議論する相手への敬意が払えない人は、議論のルールさえ守る事の出来ない人間なので、まぁ無理なのかな?とも感じました。もう少し言い負かすのではない議論のやり方があっても良いのに、といつも思います。
ただ、大変重いトピックを扱っているので、体感時間がかなり長く感じました。もう少し短く出来たんじゃないかな?
よく知りませんが、在特会、という集団には嫌悪しか感じられません。はっきりとレイシストですし、不特定多数の殺害を表明しており、警察組織は何をしているんだろう?という疑問を持ちました。
ドキュメンタリー映画が好きな方に、オススメ致します。
渡辺 歩監督 東宝アニメーション
まず、原作既読です。そして、五十嵐大介さんの漫画の中では、個人的な評価は、普通な作品、と思っています。おそらくほぼすべての既刊されている漫画単行本については目を通しています。その中でも、かなり作品内のリアリティラインがぶれる作品だと思います。個人的傑作は「魔女」だと思いますし、その中の1つの短編を題材にした映画なら、もっと素晴らしい作品になっていたと思います。
ただ、五十嵐さんの絵柄(私は個人的には、宮崎駿先生の直系と、漫画では、感じております)、この余白を基本的には嫌うかのような書き込みの多さと豊かさに満ちた、この絵柄こそ、五十嵐さんの最も特徴的な部分で、自然に対する憧れと畏怖が入り混じった描写が最高だと思うので、映画化していただけて、大変喜ばしく、嬉しく感じました。その絵が動いている、それも自然に感じられる、という1点において、この映画は素晴らしいと思います。
しかし、ストーリィは大変飲み込みにくい作品であるのも事実だと思います。果たして海と空をどう捉えたら良いのか?は考えても分からないです。けれど、まるで曼荼羅のような映像体験としての素晴らしさ、トリッピーな体験としての、サイケデリックをさらに進めた、言い方は少し雑であまり使いたくない単語ではありますが、スピリチュアル 的 な映画としては、かなり突出していると思います。ただ、私はあまりスピリチュアルなモノを評価したくない感覚があります。辞書によると、霊的な、魂、とかそう訳されていますが、使っている人の感覚を考えると、いわゆるニューエイジ的な神秘主義的なモノと考えているような気がします。まぁ名探偵ホームズの原作者で有名なコナン・ドイル先生を考えて頂けると、分かり易いと思います。
冒頭の主人公視点でのZ軸に進んでいくアニメーションもあまり見た事がなかったシークエンスで良かったです。
ただ、少々話しを飛ばしていますし、本当は5巻完結漫画を2時間でやるのは無理があると思いますし、デデという大変特徴的なキャラクターを非常に都合良く使っている、という点も気にはなりますけれど。
隕石の意味、海と空の存在の意味、ラストの意味、そういう事を考えたらだめで、そのまま受け取れる人には最高の映画(映像?)体験になろうかと思います。
精密でそしてグロテスクで、そして美しくてどこか儚いモノを描かせたら画力で言えば日本のトップクラスの絵を、動かしてくれているだけで感謝すべきなのかもしれません。
自然、に興味のある方、原作を読んでいる方にオススメ致します。
アメリカ映画でも、日本映画でも、最上級に善き事とされている『家族』について、『負け犬の遠吠え』の著者酒井順子さんが綴ったエッセイです。いつものごとく、大変面白かったです。
かなりショッキングな内容でした。まずとても驚いたのが、昭和28年(1954年)の平均世帯人員は5.0人、まだ3世代家族も普通にあり得た時代です。が、平成28年(2016年)の平均世帯人員は2.47人・・・なかなか衝撃の数字です。前年の2015年の『単独世帯』の全体に占める割合は34.5%で、これは『夫婦』や『夫婦+子供』世帯の割合よりも大きい、というか最も多い割合なのです。
つまり、2015年の国民生活基礎調査、つまり厚生労働省の調査なので、どこまで信用して良いのか問題もありますし、そもそも調査なので誤差もあるとは思いますが、大胆に言い換えると、
『日本で最も多い家族形態は、1名』
と言えてしまいます。
私は結構衝撃的でした。よく調べると、1番新しい国民生活基礎調査ではこんな感じです。
平成29年度調査
単独世帯 27.0%
夫婦のみ世帯のみ 24.0%
夫婦と未婚の子世帯のみ 29.5%
ひとり親と未婚の子世帯のみ 7.2%
3世代世帯 5.8%
その他の世帯 6.5%
という事になっています。
(厚生労働省HP 国民生活基礎調査 平成29年度 国民生活基礎調査の概要より https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa17/index.html )
1位ではなくなっているとはいえ、やはり単独の世帯は27%を占めているわけです。
家族、を辞書で調べてみると(本当は新解さんこと「新明解国語辞典」で調べたかったのですが、今手元に無いので広辞苑より)、『夫婦の配偶関係や親子・兄弟などの血縁関係によって結ばれた親族関係を基礎にして成立する小集団。社会構成の基本単位。』という事になっています。ですが、このまま少子高齢化が進むと、恐らく、社会構成の基本単位、という定義部分は変更せざるを得なくなるのではないか?と思います、何しろ1/3が単身世帯になるのですから・・・
著者の酒井さんも指摘されていますけれど{家族」という形態が変わりつつある、という事だと思います。例に出されているのが、サザエ+フク田家と、ちびまる子ちゃん家族です。どちらも3世帯家族で構成されていますけれど、実は1割に満たない家族形態、と言えるわけです。
では、なんで?核家族化が進んだのか?と考えると、どう考えても、便利になったから(コンビニとか)、そしてわがままになったから、だと思います。家族という軋轢もある集団を組まなくても生きていける世界になったからこそ、家族というか、もっと言うと婚姻関係の意味を見出すのが難しくなったからだと思います。嫁姑問題もそうですけれど。
私は嫁姑問題は運動部の部活での意味のないシゴキ問題と似ていると思うんですね。怪我の可能性のある、大変厳しい練習を潜り抜けたからこそ、同期の結束が強くなった、と感じている人は多いです、そのシゴキを受ける当事者の時は、無意味で危険と怒っていたにも拘らず、自分が指導する側に回ると、喜んで同じことをしてしまうんですね。男性は嫁姑問題に関係ない、と思いがちですけれど、さざえさんにおけるフク田マスオさんの立場になってみれば結構大変だという事が(それでも婿養子ではない)理解できると思います。磯野家におけるプライベートスペースは、ほとんどないんじゃないでしょうか?
少し前に、自民党所属の議員が子供の数について言及して、問題発言になっていましたけれど、昔の感覚、しかも井戸端会議的なモノであれば、そう騒ぐ問題ではなかったかも知れませんけれど、衆院議員の発言としては、基本的にアウトだと思います。というか国家が個人に対して、何人の子を産め、というのは無理な注文です。国家を構成するのが個人なのでどちらが主体であるか?は明確だと思います、個人的には。もちろん違う考え方の人もいると思いますけれど、どのように考えるのか?の自由も保証されているし、人生の選択は個人の自由であると思います。もし日本が子育てしやすい国であるなら、少子化になってないはずで、何処かに(贅沢だ、という人もいるかも知れませんけれど、結果として同じ)問題があると思います。
子供を産む前に結婚しなければならないとなると、まずその結婚が難しいと思います。誰の例えか失念してしまいましたが『車や冷蔵庫を購入するのと違って、簡単に変える事が出来ないから』というのは、とても個人的には納得してしまいます。誰だって失敗したくないし、失敗例の方が成功例を上回るほど、語られる場面も多い上に、成功例として多いのがたいていドラマや映画などのフィクションであるように感じてしまいます。
家族の形態、それは徐々に変わっていくものだと思います。今も、昔も、未来も、ずっと過渡期なんだと思います。戦後に3世代家族を止め、核家族化が普及したように。
テクノロジーが進化すれば、当然、生活が変わるわけで、知ってしまった利便性を無い事にするのは大変難しい事だと思います。恐らく、昔ながらの家族形態を維持するのが難しくなっているので、制度を変えていくしかないと思います。というか、個人が婚姻関係という制度を、どう捉えるのか?という事に尽きると思うのです。婚姻関係を結ぶ事に意味を見出す人がいてもいいし、そうでない形に拘りたい人がいてもいい。ただ、本人が望む形が望ましいので、あまり形に拘り続けると、では、単独でいい、という風潮になりかねないと思います。
家族、というモノについて考えてみたい方に、オススメ致します。