ギャスパー・ノエ監督 キノフィルムス
ギャスパー・ノエ作品をブログで書いて大丈夫なのか?というくらい衝撃的な作品ばかり撮られている監督です。局地的な人気がある方ですし、ある意味とてもフランスな方でもあります、いろいろな意味で。私が最初に観たのは「カルネ」と「カノン」の2部作でして、とても衝撃的なんですけれど、わざわざなんで映画にするの?と思う人がいる一方、こういう作品を観たかった!という人もいて、大変賛否両論な方でもあります。私は、個人的にどんな映画でも、まず観てみないとワカラナイし、監督は作る自由もあるけれど、観客は自由に受け取る権利があると思います、誤解を含めて。作品は作り終わるまで監督のモノだと思いますけれど、観客が観た瞬間に、観客のモノでもある、と思っています。そういう意味で、ギャスパー・ノエ監督作品は観てみないとワカラナイな、という印象ですし、何が起こるのか?を期待していく人がいる一方、明らかに、ヒドイものを観に着ました、というスタンスの、非常にトンがったファッションの方もいらしていて、不思議な映画体験になりました。でも、どんな映画でも作る自由は保障されて欲しいです、人の命とか権利とか尊厳とかに損害を与えないのであれば。何といっても映画って作り物である訳で、銃で撃たれて死ぬ人が居るように見えて、本当には撃たれてもいないし死んでもいないわけで、そういう意味でいろいろな映画があって欲しいです。
でも、ちょっとギャスパー・ノエは露悪的だと思いますし、処女作の「カルネ」からずっと性的で衝撃的で露悪的で、そして字幕で観客に向けたメッセージを入れる、比較的分かり易い監督だと思ってます。
とある興行的なダンスカンパニーの新作の公演の練習の為に集まったダンサーたち。各地各国の様々な方々が、この興行の為に、そして自分の為に、参加しています。そんな練習の最終日に通し稽古が行われ・・・というのが冒頭です。
作り方も、非常にクライマックスでカタルシスが起こるように、設定されていますし、その作り込みはなかなか徹底されています。まぁギャスパー・ノエ作品ですから当然なのかも知れません。ただ、ドラッギーさで言えば、私は今年だと「海獣の子供」(の感想は こちら )の方が純度が高い上にクオリティも高いと感じました。そして、露悪的、という意味では初期2部作の「カルネ」と「カノン」を超えていないと思うのです。
私がそう感じる理由として、ダンサーとコリオグラファー(振付師)の好みの問題があると思います。ダンサーの方の、大変申し訳ないのだけれど、体形、そして華が圧倒的に好みでなかった。また群舞(コールド)の動きも、少々荒いな、もう少し煮詰められるのでは?とも感じました。ダンサーのクオリティの部分についても、確かに一芸に秀でているとは思える動きもあるのですが、それ以外を引き出せていない、画面の端に映っている場合も、センターで光が当たっている場合も、得意な動きを連発していて、もう少し引き出しがあると思いますし、もっと多彩な動きを振付師は引き出して欲しかったです。物語の無いダンスですと、バランシンをはじめとして、たくさんの方が既にコンテンポラリーダンスとして踊られていますし、そのクオリティは非常に高いと思います。まぁ音楽のクオリティに負けてしまっている、とも思えました。
そういう意味で、このダンスシーンのアゲが感じられないと、後半のオチが落ちなくなってしまうと感じたわけです。
カメラワークとしても、斬新で面白いですし、そこへの翻訳字幕のアイディアも含めて頑張っています。とても面白い。ですが、その為に非常に見にくくもなっています。つまり、見えない、事と、見せない、事は全然別なのではないか?と感じたわけです。会話シーンは大変幼児的な会話が続きますし、まぁお酒に酔ってしまった場合は大抵そういうモノかも知れませんけれど、いくら何でも幼稚ですし、衝撃的の度合いも低いのに、それが見えない、というのは少々鼻白むと感じました。何かが起こっていて見えそう、という作りは観客の目を引き込む手法として分かりますけれど、それが観客に分かってしまうようでは作り込みが甘いと感じられると共に、ある程度は見せてくれないと、とも思うのです。
また、ギャスパー・ノエ作品の定番である、監督が画面いっぱいの字幕を使って語りかけ、ツッコミを入れてくる感じが、少々古い、とも感じてしまいました。でもこれがギャスパー・ノエ作品の面白味でもあってここをどう捉えるのか?によっても評価は分かれると思います。
ショッキングな映画体験、を求めている方に、オススメ致します。