2020年2月28日 (金) 10:53
萱野稔人著 幻冬舎新書
タイトルと、哲学者萱野さんの著作だったので手に取りました。タイトルはなかなか衝撃的ですが、これが大変分かり易く読みやすい新書でした。
もし、同性婚が許されるのであれば、重婚も許されるのではないか?という論点から始まるリベラリズムの定義「他人に迷惑や危害をあたえない限りにおいて、たとえその行為が不愉快なものであったとしても、社会は各人の自由を制限してはならない」という大原則の事です。ジョン・スチュワート・ミルの「自由論」の話しなのでかなり古いリベラリズムの話しです。
そしてこのリベラリズムに対決するのがパターナリズムですね。
しかし、ここに権利の問題が発生すると、途端に難しい話しになります。迷惑をかけないから、重婚も同性婚も同じように感じますけれど、それを権利、として認めるのは大変難しい話しです。ここにリベラリズムの限界があるのではないか?というのを探るところから話しが進みます。
結婚制度だと分かりにくいかも知れません。もう1つ例えに出されるのが臓器移植の問題です。臓器移植が必要な4名(必要な臓器は各自別で被らないとする)を助けるために健康な1名を犠牲にして良いのか?というう問題だと、簡単になりますね。
また、人道的処置に対してのリベラリズムの限界については、ある程度予想はしていたものの、結構ヘヴィーな、日本の現状からも、理解出来ます。「パイの縮小に対する危機意識」の先鋭化、とても頷ける話しです。
そこで出されるのが功利主義、ジェレミー・ベンサムの有名な言葉です。功利主義的である上に、リベラリズムのフェア性を組み入れるのが望ましいのではないか?と思いました。最も、ジョン・ロールズの正義の2原論を詳しく、そして分かり易く知れたのは、大変良かったです。かなり難しいので、何となくでしか理解出来てなかったです。2原理よりも無知のヴェールの話しがロールズの特徴だと思ってました。
国家よりも大きな組織が無い以上、正義の履行にはコストがかかるのは当然で、日本のリベラリズム論者はそのコストに対する理解も低いし、優先度も低かったわけです。
その事に自覚的だったロールズは凄いと思います。
少子高齢化は簡単に解決できない問題ですし、リベラリズムはある程度普及したので、相反する問題との齟齬が生まれているんだと思います。
もっとも、1973年にはこれを危惧して既に解決策が示されています。
その解決策の名前がタイトルになっている藤子・F・不二雄先生の「定年退食」です。
藤子・F・不二雄先生の先見性と、その結末、個人的には凄すぎると思います。
本当にこういう世界が起こりうる気がします。だったら、私はリチャード・フライシャー監督作品「ソイレント・グリーン」の方を望みますけれど。また、ソイレント・グリーンの世界ではソルという高齢者がホームへはいっていきますけれど、私は別に今でも構わない気がします。ここに年齢制限があるのはリベラリズムに反しているように感じるのです。
リベラリズムに興味のある方、というか、自由とは何か、社会学に興味のある方にオススメ致します。
2020年2月25日 (火) 08:24
ジョージ・A・ロメロ監督 スティングレイ
大変恥ずかしながら、巨匠ジョージ・A・ロメロ監督、初めて観ます。
日本公開40周年復元版です。
ゾンビ映画、たくさんありますよね。私はホラー作品に詳しくありませんので、ゾンビが出てくる映画をたくさん見ていません、多分エドガー・ライト監督「ショーン・オブ・ザ・デッド」が好き、という以外では、ほぼほぼ見ていないと思います。
そんなゾンビ弱者の私ですが、数人の人たち、それも私よりもたくさん映画を観ている友人から、面白いよ、という事で足を運びました。
宇宙から青い光線が地球に届いたことで、死者が甦り、ゾンビとして街を徘徊するようになったフィラデルフィア。テレビ局に勤めるフラニーは、恋人でパイロットのスティーブンに脱出計画を持ち掛けられます。テレビ局からヘリコプターでの脱出を試みるのですが・・・というのが冒頭です。
ゾンビ映画に詳しくない私でも知っているゾンビとは、
1死者が甦り、
2知能は無いけれど、
3生きた人間を食べ、
4食べられた人や噛まれた人は感染してゾンビになり、
5のろのろとしか動けない
という特徴をこの映画1979年の段階で描き切っていますね。
で、何となく、ですけれど、ゾンビが何かしらの暗喩になっていると感じました。恐らく、弱者の象徴なんだと思います。生きる屍、動いているのに意思を持たずに、本能(?)というか食糧(生きた人)を求めて彷徨う様が、大変グロテスクであるにもかかわらず、何処か物悲しいニュアンスがあると思います。
そういう意味では、現代から見ると、ですけれど、さらに、欲望によってだけ踊らされる悪い意味での民衆、みたいな意味も持たせられる気がします。
主演者の4名、ヘリコプターパイロットのスティーブン、その恋人で唯一の女性フラニー、スティーブンの友人で警察組織の特殊部隊員左利きがカッコイイ男ロジャー、そしてロジャーが誘った大男で冷静沈着なピーターの4名のキャスティングと座組みが素晴らしいと感じました。
カップルもいるけれど、それぞれの思惑、そして連帯感、自然とリーダーになる感じ、この辺の機微が大変上手く描かれていて、面白いです。しかしピーターがカッコイイのと、ロジャーの左利きが、出来る男っぽくて良かったです。
で、さらにこの映画では、ゾンビよりも生きてる人間が恐ろしい、というぐるっと回った回答も出していて、その辺も凄いですし、テレビ番組の解説者とホストの2人の会話が、フィラデルフィアのテレビ局製作番組も、とある立てこもり場所で見るテレビ討論番組でも、同じような話し合いがなされていて、つまり、同胞を、何処までを、我々とするか?という議論です。これがすごくエキサイティングで、まぁ狙っているんでしょうけれど、大変露悪的なんだけれど、面白いですね。
この辺の匙加減は大変上手いと思いました。1979年当時は、アメリカ合衆国でさえ、ある種の連帯感、モラルがあったんだと思います。
しかし、着想といい、場所といい、人物キャラクターといい、上手いですね。
これなら、私も他の作品観てみようかな、という気持ちになりました。
ゾンビ映画を観た事が無い人、あまり興味が無かった人に、オススメ致します。
2020年2月21日 (金) 08:44
バーバラ・シュローダー監督 Netflix
何となく覚えていた事件、その真相や、その後の展開を追いかけたドキュメンタリーテレビシリーズです。
2003年、アメリカ合衆国、ペンシルバニア州、エリー。大胆にも日中に銀行強盗を行った男が出没、もちろんすぐに警察が取り囲むのですが、その首には何かが取り付けられていて、しかも胸に大きな機械が取り付けられています。その男は、私には爆弾が付けられている、と警察に話すのだが・・・というのが事件の冒頭です。
とても悲惨でそして、とても不思議な事件を扱ったドキュメンタリーテレビシリーズです。が、邪悪な天才、というのは少々オーバーだと思いますし、そもそもドキュメンタリーという手法だから=真実とも言えません。いくらでも誘導できますし。しかし、それでも、この事件の、大変特殊で、複雑で、そして何が真実なのか?がある程度分かるまでの時間のかかり方、変な日本語になってしまいますが、謎性というものに、ワカラナイ事だからこそ興味を刺激する、という事を、考えさせる事件だったと思います。
大変特徴のある自己主張の強いある人物と、これまた大変頭脳明晰ではありますが自己顕示欲の強い個性のある人物が出会ったしまった不幸、と私は感じました。
多分、ミステリーというジャンルのフック(人が惹きつけられるチカラ)の強さ、と同じ意味で、この事件の複雑怪奇な部分に興味のある方に、オススメ致します。
2020年2月18日 (火) 09:14
ジョーダン・ピール監督 ユニバーサル・ピクチャーズ
2017年の映画でしたけれど、見逃してしまい、その後なかなか見れなかったのですが、ついにNetflixに登場したので見ました。大変面白かったです。
クリスは付き合っている彼女の実家に、両親へのご挨拶に向かおうとしています。クリス(アフリカンアメリカン、という表記も分かるんですが、しかし黒人しか表記が無いのも、そろそろどうかと思うんですけれど・・・長いけどアフリカ系アメリカ人にします)はアフリカ系アメリカ人で、恋人ローズは白人(という表記もなぁ・・・ホワイト系アメリカ人って言葉はあるんでしょうか?)なので、その事を両親に伝えてあるか?が気になっています。そして2人で車で出かけるのですが・・・というのが冒頭です。
はい、凄くホラーテイストな映画ですけれど、もちろんそれだけではない映画でした。大変ビターな味わいのある、エスプリの効いた、作品です。私は自分の事が、アンフェアでないように、差別的でないように、気をつけているつもりでも、態度で、言葉で、差別的な事をしてしまいます。または、後で考えると、あ!というような事がある人間です。ので、余計に身につまされるような要素を扱っているように感じました。
その集団の中での立ち位置と言いますか、暗黙の了解を犯してしまったかのような、恐ろしさがあります。立場も理解しているつもりであっても、間違えてしまう事、身に覚えがあるので怖いです。特に、これなら大丈夫、と思った矢先に起こる事が多い気がしますし、そういう時ほど重大な失態をしてしまうように感じます。
自分たった1人だけが、異質な空間に入り込んだ時の恐ろしさを感じさせる映画ですし、その点を、その他大勢が、分かっていますよ~理解ありますよ~と言いながらも、そのポイントが妙にずれている、そんな感覚に陥る、そんな映画です。
まず何といっても、アフリカ系アメリカ人の女性の使用人ジョージナを演じている方の演技力、その笑顔がひきつりつつも一筋だけ流す涙の演技は意味が分かると鳥肌モノの演技力です。もう1名、パーティに招かれたアフリカ系アメリカ人の青年の、とある場面で瞬間的に変化する演技の凄さ、に驚かされました。
私は差別に理解ある方、と思っている方(当然少しは思ってた私含む)にオススメ致します。
アテンション・プリーズ!
ここからネタバレありの、個人的な、こうだったらもっと怖かったな、という映画の結末の話しになります。
未見の方はご遠慮ください。
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とても上手い話しでした。
でも、私だったら、ここまで捻りとキックが効いている作品なら、クリスがパーティで会う紳士淑女の中に警察関係者を1名いれて会話を少しはする客の1人として登場させておきます。この周囲の人々もみんな理解ある人ばかりだよ、的な会話を交えつつ、警察関係者である事だけを伝えておいた上で、クリスが家から脱走、ジョージナを車に運んだ上でローズに撃たれて逃げ出した後、友人のロッドは登場させないで、ローズに馬乗りになった後に、パトカーが到着、何も知らない警官がアフリカ系アメリカ人の男が、ホワイト系アメリカ人女の上に馬乗りの状態を見ただけでクリスを犯罪者と断定、クリスが両手を挙げて投降、クリスが説明しようとするのを遮り、暴行して黙らせた上で、警察上層部の1人としてパーティであった人物が登場し「連行しろ!」と怒鳴った上でにやりと笑いつつエンドクレジット、みたいなバッドオープンエンドになってたら、もっと好みでした。
2020年2月15日 (土) 08:54
阿部 謹也 著 講談社現代新書
やはり師匠のオススメだったのと、山本七平著「空気の研究」、河合隼雄著「母性社会日本の病理」と繋がる話しだったので興味があり、手に取りました。
世間という事象に対して研究されている人が居る事も知らなかったのですが、この本は1995年に発行されていまして、割合最近じゃないか!と驚いた次第です。ま、今から25年も前なんですけれど、山本七平著「空気の研究」は1977年、河合隼雄著「母性社会日本の病理」が1976年と比べると、本当に最近という感じがします。
世界、社会という単語と、世間の違いを感じる事は今までもありましたが、この本ほど詳しく考えた事はありませんでしたし、実際には私も世間の中に生きているわけです。つまり世間の掟が個人に優先している、と感じる事は多々あります。自分に責任や非が無かったとしても、世間を騒がせた事をお詫びしたい、というセリフを何度聞いているか?と思うと、2020年の現在でさえ、繰り返されています。それをオカシイと思うと同時に、世間の掟によって守られてもいるわけです、暗黙の了解の上に。
カントの「啓蒙とは何か」を例に挙げて論じている、この非言語系の知について、著者の阿部さんの論旨は大変わかりやすく、そして腑に落ちます。そう、我々は、個人の責任を負っているのではなく、我々が所属する世間の責任を負っているにすぎず、世間に生かされている、とさえ言えるという結論は、かなりショッキングでもあります。
その後、日本における世間の成り立ちを見ていく過程で、大変面白かったのは、世間から離れようとする人物は隠者になるしか道が無く、そういう意味でこの本で扱っている、吉田兼好という人物には、大変興味が湧きました。古文を全く得意としなかったので、特に日本の古典文学については何も知らないに等しい私としては、大変驚きました。かなり好きになれそうな人物です。
また、鎌倉時代辺りの裁判というか審判における神判、いわゆる刑事事件の被疑者が身の潔白を証明するのに起請文を書いて奉納し、その後一定期間の間に、鼻血を出したり、鼠に衣服をかじられたり、病気になったり、食事をむせたりしなければ、嫌疑を払拭できなかったという事実も、大変に驚きました。なおかつ、盟神探湯(くかたち)と呼ばれる、神に誓って熱湯のなかにある小石を拾う者の手は火傷しない、邪悪な者の手は火傷する、という判断にもびっくりします。しかし、世間の掟として、この行為が行われていた、とすると、大変に恐ろしい事だと思います。
また、夏目漱石の個人主義、永井荷風の気質としての厭世、そして、その間を生きたような金子光晴の個人主義には、まさに共感としか言いようのない感覚があります。特に永井荷風は、大変偏屈で、しかもお金があったからこそ出来た非常識人としての矜持やふるまいに、憧憬さえ感じます。断腸亭日乗を読んだ時も思いましたが、個人としての、その生き方には尊敬すら感じます。
個人という主体が存在するのか?という事を、考えた事がある日本人の方に、オススメ致します。