「毒のあるカタルシスが好き」、「避けられない運命」、「僕のキャラクターが希望の持てない不運な境遇にいるのは、僕自身の事をほのめかしているのかもね」、「我々は両親を選ぶ事は出来ない、遺伝子的にそこから逃げる事も出来ない」、「審美的に美しくない映画は許せない」、「美しく作品を作る事は義務」、「観客を驚かせる音を使う監督は嫌いだ、映画に対する信頼を損ねている」、「肉体は無条件で僕たちを裏切る」、「20年以上生きていられる事が奇跡だ」、「ただグロテスクにする事はしたくない、ただゴア描写をショッキングな為に用いる事に憤りを感じる」
凄くまっとな始まり方なんですけれど、まぁ低い所ですでにかなりの不安感を感じます。最近見た映画で言えばギャスパー・ノエ監督「CLIMAX」的な映画(の感想は
こちら )です、というかアリ・アスター監督の前作「ヘレディタリー継承」(の感想は
こちら )とおんなじです。ですが、よりカルトな作品と言えます。
双極性障害のある妹と両親とは離れて暮らす大学生の女性ダニー(フローレンス・ピュー)は夜中に不吉な内容のメールを妹から受信して、大変不安になり、恋人のクリスチャン(ジャック・レイナー)に電話するのですが・・・というのが冒頭です。
物凄くホラーという意味で、まっとうな作りの作品。ホラーにまじめに、ネガティブな人が真摯に取り組んだ作品です。
まず、主人公のダニーが、大変不安定な人です。だからこそ余計に、観客もこの主人公を、信用ならざる語り手、としてしか見られません。前作もカルトな特殊な家族の話しでしたけれど、さらにもう少し家族よりも広い、コミュニティー、というか特殊なコミューンの話しです。
私の住む社会・日本ともそもそも英語圏の社会でも、それなりの違いはありますが、ある程度想像は出来ますけれど、映画の舞台となるコミューンは、正直相容れないほどの『常識』が違う社会です。ですので、民俗学を専攻する主人公の恋人クリスチャン(という名前が、既に、ああ、という感じなんですけれど)にとっては、魅力的に映ったんだと思います。それにしても・・・
大変特殊な集団の中に陥れられた、という設定なら、最近見たジョーダン・ピール監督「GET OUT」(の感想は
こちら )もまさに同じ映画と言えます。が、それよりも数段特殊な世界です。
そして、この舞台となるコミューンに多くみられるタペストリーの、独特の奇妙さ、神話民謡の世界でだけ見かける、大変直接的な描写の、直接的だけではない醜猥とも取れるし未文化性ともとれる絵柄が、大変おどろおどろしいのです。
個人的には、どこまでアリ・アスター監督が考え付いたのか?は分かりませんけれど、特殊なコミューンの風習、その奇妙な動き、踊り、にモダンバレエのコリオグラファーのような感覚を持ちました。例えばこのコミューンでは拍手の代わりに、両手を肩の高さで水平に伸ばし、肘は直角に上向きに上げ、手のひらがちょうど顔の高さになって、指を開いて、手のひらと手の甲を繰り返し振る様が、代わりになっているのですが、このような様々な振付をしているのが、とてもモダンで印象的でした。しかも拍手の代わり、という説明はないのがセンスがイイと感じさせます。
とは言え、大変ネガティブな思考の持ち主が、真摯に真面目に作り込んだ、ホラー作品ですから、そういう作品にある程度許容が無い人には向かない作品だと思います。
ただのホラーではなく、つまり驚かせるのではなく、考えさせられる作品が好きな方に、コリオグラフに興味のある方に、オススメ致します。
アテンション・プリーズ!
ネタバレありの、少し踏み込んだ感想です。未見の方はご遠慮ください。
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ホルガ村、というかこのコミューンの、それこそ様々な民俗学的な、土着神話信仰の、中でもグロテスクな部分をパッチワークでこしらえたかのような世界観宗教観カルト感が絶妙です。
で、私が気になったのは、クリスチャンとダニーです。
ダニーは、もうヘレディタリーを観てしまっているので、まぁそういう人もいるであろうという既視感がありますし、そもそも不安定な人。でもこの人の話しよりも先にクリスチャンの話しがしたい。
私はクリスチャンが凄く悲劇的で同情します。
まず、不安定な彼女に別れを切り出す事の、ハードルの高さを感じているのは、確かに自己憐憫かも知れませんけれど、ある種のやさしさ、または親切心とも言えると思います。そんなクリスチャンがダメだった部分って、私はジョッシュの論文の共同執筆、共同研究に名乗りを上げた、くらいしか感じられませんでした・・・
だって、ダニーには、クリスチャンなりの親切心で寄り添ってるようにしか見えないんです・・・なんかクリスチャンが可哀そうで・・・
確かに、彼女ダニーがいるのに、女をあてがわれて、しかもこの、コミューンで、手を出すか?と言われたら、そりゃ無理です、普通は。でも、ドラッグをキメられてるんですよ、そして、きっと誘いに乗らなかったとしても、殺される頭数に入ってるんですよ、最初から・・・あまりに可哀そうじゃありませんか・・・私としては、クリスチャンに同情的にならざるを得ないです。だってお酒に弱く、流されやすい人だったら、それが仮にモテる人だったら(私は違うけれど)、そういう場面を無事故で過ごせてる人、少数派だと思いますね。
あ、でも、もし酔っぱらっていたとして、あんなに人が見ている中で、出来る人、凄いなぁ、と思います。これはサラ・ポーリー監督「テイク・ディス・ワルツ」(の感想は
こちら )の主人公マーゴ(ミシェル・ウィリアムズ)の、大変に不安定で敏感だけれど、敷居の無いバスルーム(つまり洗面所とトイレが同じ空間にある!)で、夫が歯みがきしているのに、トイレで用を足しているマーゴが、センシティブな性格、っていうのと同じくらいオカシイと思います。相当図太い神経の持ち主じゃないと、少なくとも私には出来ません・・・
それにクリスチャン=ジャック・レイナー=「シング・ストリート」(の感想は
こちら )のお兄ちゃんじゃないですか!しかも、調べたところによると、ある行為の後だから、私の身体には血をつけておいた方が良くないですか?と監督に進言して行ってるんですよ・・・もういい人過ぎる。あ、そういえばこの映画への映倫のボカシ問題はいつもの通り憤慨を覚えますが、どうして女性は良くて男性はダメなんでしょうか?凄く細かい、このジェレミー・レイナーの渾身の体当たり演技を、日本では見る事が出来ないんです。そして作品に、監督の意図を無視して修正を入れる事の暴挙を、その無神経さをに、憤慨しています、いつもの事だけれど、いつもの事だからと言って全く許す気になれません。文化的未開地のなせる未熟さなのでしょう、私の住む国は・・・
そして、輪廻世界観を、共感レベルで信仰出来るコミューンという恐怖が最も表れているのは、ダニーがクリスチャンの別の女性との行為を見てしまった後での、泣き崩れ雄たけび共感シーンです。これ、すっごく、宗教的勧誘セミナーとか、自己啓発セミナー、そして一部の学校教育で使われてる、自我崩壊を起こした後の刷り込みじゃないですか・・・私が1番恐ろしかったのは、ココです。
確かに、ダニーの、このコミューンで生きていく選択から考えると、救い、何だと思いますけれど、それにしても、もう少しクリスチャンに優しくしてあげて欲しい・・・
アッテストゥパン、よくこんな言葉を見つけますよね・・・でも、これは名作、藤子・F・不二雄先生の「定年退食」、そしてリチャード・フライシャー監督作品「ソイレント・グリーン」の話しですよね。
もひとつ、やはり怖かったのは、血のワシですよね・・・まだ息してるんですもん・・・あれは惨い・・・
ダニー、最後に精神的に振り切れて、それで笑えるなんて、案外神経太いじゃないですか。個人的に、そういう人って、いると思います。そしてそういう人が、私は怖いです。