ファティ・アキン監督 ビターズエンド
今回は(いや、も、ですね・・・)読む人を選ぶかもしれませんが・・・最初にお断りしますが、このブログは基本的に私に向けて私が備忘録のようにつけているもので、しかし、他者にも触れる可能性がある、という部分で、文章が上手くならないか?と考えているブログです。読んでいる人もあまりいないでしょうけれど、それでも全然構わないわけです。でも、自分しか読めないとなると、非常に雑になりかねないわけで、他者性を獲得できている部分で、より気をつけようという気になりますので。
しかし今回は特に、ある種の残虐性を描いていますし、そんなの読みたくないという人はご遠慮ください。
1970年のドイツ、ハンブルグ。うだつの上がらない、しかも顔の醜さを憂いているホンカ(ヨナス・ダスラー)は、とにかく女にモテたいのだが、まるで相手にされない事で、更なる鬱憤を溜め込み…というのが冒頭です。
まず、BGMとしてこの曲を流しながら読んでいただきたいのです。この映画の中で何度もかかる曲です。とても明るい曲なんですけれど、この映画を観た後では、とても悲しい気持ちになるんです・・・
フィリッツ・ホンカは実在の人物です。美醜の問題は、多分人によって様々な尺度があり、また、時代によっても地域によっても、多様な解釈があると思いますが、フィリッツ・ホンカにとって、自分が世間から受け入れられていない美醜である、という意味において哀しいのです。疎外感を感じていますし、しかし、それでも他者を希求している、それも心からの切実さを伴っています、非常に自分勝手な欲望ではありますが。しかし、その絶望的なまでの、手に届かなさ、に、私は哀しみを感じます。そういう意味で、誰にでも共有できる切実さとも言えると思うのです。
フィリッツ・ホンカは知的なタイプではなく、何故か運良く捕まらなかったタイプの中でも、無計画で、なおかつおざなりで、隠蔽工作すら手抜きです。これで何年も捕まらなかったのが不思議ですが、ほぼ事実の映画化のようです。これは、エンドロールで流れる、実際の部屋、またあの場所の、リアルさは、ちょっと異常な再現度です。
また、おそらく、映倫を通してません!しかし、私はここに素晴らしさを感じます。猥雑かも知れないし、卑猥かも知れませんが、作り手が作りたかった形を、観客に届けるのに修正をするのはやはりおかしいです。そういう意味では監督のファティ・アキンの意向をそのまま見れる、という意味でちょっと前に観たアリ・アスター監督作品「ミッドサマー」(の感想は こちら )より丁寧で親切な公開方法だと思います。
フィリッツ・ホンカの取る行動は、大変稚拙で、相手の事を考えていない、身勝手極まりない 悪 ですけれど、誰からも手を差し伸べられなかった哀しい男の話しだと思います。
演じている人はヨナス・ダラーさんで、大変美しい男性です。それが、まるで乗り移ったかのような演技には、そしてすべてをさらけ出すその役者魂が感じられます。
恐らく監督も十分承知の上、ブラックユーモア、不謹慎な笑いを狙っているのでしょうけれど、演者である、ヨナス・ダスラーの、まるで見てきたかのようなリアルさに、演者としての覚悟が加わって、マジックが起こり、笑えるのだが、恐ろしい、という、ブラックユーモアであれば当然、恐ろしいけれど、笑える、という順番を通り越してしまっていると思うのです。最後が笑えるなら、簡単に許容、内包出来ますけれど、最後が恐ろしいだとそうはいかないと思います。
大変丁寧な映画です。そして、私はこの映画に、リリシズムを感じるのです。
シリアルキラーに興味のある方に、オススメします。私はシリアルキラーが恐ろしいです。だからこそ、なんである人物がシリアルキラーになってしまったのか?に興味があるのです。