月川 翔監督 東宝
いや~凄いものを観てしまいました。今回は全くオススメ出来ません。というか、この作品の何処を面白いと思えばよいのか?全く分かりません。もし、どなたかこの映画を観た方がいらっしゃって、面白かった、という部分があったらお教えいただきたいのです。
そういうわけで、全然オススメ出来ない作品です。いろいろご遠慮ください。でも、観ないと批判も出来ませんよね、どこか1つくらいいい所を探したかった・・・私の昨年のワースト「サマー・オブ・84」を下回る衝撃の作品!!!
私は少しは本を読む人です。それなりに、趣味は読書(というタイトルの本を斎藤美奈子も書いてたなぁ・・・)と言えた時期もありました・・・ええ、遠い昔の話しですが。今は読書に集中する事すら難しくなり、映画に趣味がうつりましたが。
ある出版社の文学賞に原稿が、手書きで送られてきます。ちなみに選考規約は、データで、です。また、送られてた郵送物には、送り手の住所も何も無い癖して、名前だけは明記されています。それが響なんですが・・・(あざと過ぎませんか?どれだけ自己中心的な人物なんでしょう?高圧的ですらありますよね・・・)というのが冒頭と言えば冒頭だが、こんな感じでずっと馬鹿にされる感じの体験が続くと思えば、あなたの思った通りの展開が待ってる作品です、いやホントなんです。
15歳が書いた、やたらと読んだ全員が肯定する、その文章を、触りでも良いから読ませてくれよ。まずはそこからしか、dealは始まらない。
以下蛇足です。言いたい事はもうここで9割ほど終わってますが、あまりにヒドイので言葉にしてみたくなりました。
天才、とは何か?例えば、音楽における天才を考えてみよう!
音楽で表現された作曲、ありえますね。また、皆が知っている曲を演奏されたら素晴らしかった、という演奏する技量の話しもあるでしょう。作曲、演奏、だけでなく、アレンジも、また、プロデュースと言う側面の天才もいるでしょうが、天才、と言えば、その道の素人であったとしても、その素人に評価されるのが、天才でしょう。何も知らない人に響かせられたら、それは天才と称して良いと思いますね。あくまで私の意見です。辞書だと、まぁ、生まれつき備わった才能、とか飛び抜けた才の持ち主、とかなってますけれど、もし、文章の天才がいたら、多分この定義で行くと、生まれた瞬間から作曲したり、演奏したり、という事になってしまいます。そういう意味で音楽の天才になるには、音楽を覚えた後、の話しだと思うんですけれど。だから、ある程度の時間が必要な訳です、学ぶ時間が。
言葉でも同じで、その過程が、全く、1mmも、描かれていないので、ただの暴力をふるう、周囲が甘やかす人物、に見えるんですよ・・・
結局、最後まで、ただ、周囲の、敵味方含め全員が、勝手に賞賛する事を持って、天才性を肯定する、ので、私は、この映画を肯定する人は、不真面目、と思います。ええ、視野狭窄な、酷い文章だと思いますが、残念ながら、自分で評価出来ない事を、簡単に良いと言えるならそれは不真面目で、判断力がない。何しろ、文章で評価されるべき小説家の、触りの一文も、読める瞬間が訪れない映画なんですから。評価出来る訳ない。もし、実在の響と言うキャラクターが存在し、15歳の小説家で、天才であったとして、文章を一文も読めないのに天才小説家として映画に出演されられたら、監督に暴力をふるいますよね。
漫画原作も酷いんだろうと思いますよ、私は雑誌に載ってた何回かをチラ見しただけですから、もしかして、生い立ちなり、影響を受けた作家、名文と呼ばれる何かしらの文章が書かれていたなら、私の読んでいない批判者として非難されるのは構わないけれど、おそらく、この底の浅さ、浅薄さ、いわゆる不真面目さ、ならそんな高尚な、基本的な伏線なんて貼らないと感じられました。ただのオジさんの難癖、と言う事にしても良いですが、受け手を馬鹿にし過ぎだよ。
いや、久々にここまで酷い作品観たな・・・いや、脚本の話しです、演者さんは頑張ってるとは思いますよ、もちろん酷い演技もたくさんありましたけれど、脚本の酷さから比べたら、全然許容範囲内です。この脚本というか、原作は、小説を舐めすぎていると思います。響というキャラクターが実在したら、この原作を一番許さないですよね?ホント都合いいと感じました。
誰にもオススメ出来ません・・・