かげはら 史帆 柏書房
tbsラジオのアト6で紹介されていたので手に取りましたが、興奮する内容で、とても面白かったです!!
ベートーベンの何の捏造の話しなのか?と問われる方が多いと思いますが、それを置いておいて、とても近い話しが、ミロシュ・フォアマン監督作品、映画「アマデウス」におけるウォルフガング・アマデウス・モーツアルトとアントニオ・サリエリの話し、と考えて頂ければよいと思います。
つまり、大音楽家であるルードヴィッヒ・ヴァン・ベートヴェンと、その秘書であったベートヴェン伝記作家のアントン・フェーリックス・シンドラーの関係性を描く、歴史ミステリーです。
私はベートヴェン、と聞けばやはり交響曲第9番が思い浮かびますし、あの天然パーマのような風貌も、思い出されます。大作曲家であり、耳が聞こえなくとも作曲を続ける努力型の秀才、という認識があります。これに対してモーツアルトは、もっと天才性の高い、感性とかセンスとかの持ち主であり、だからこその型破りで、同時代では理解されない先見性を持ち合わせていたと感じます。だから、映画「アマデウス」は持たざる者と持つ者の対比としても、そして、その天才性を理解出来るのが、サリエリだけ、と言う部分に悲劇的な部分があり、面白いと思うのです。
この本では、もう少しこの2者関係が複雑です。
ベートーヴェンはもちろん素晴らしい作曲家ではありますが、その人間性が果たしてどうだったのか?そしてその秘書(というか何でも屋というか、無給の秘書、と呼ばれているそうです)シンドラーの目を通した評伝、という形を採っての関係性の話しなのです。つまりプロデュースの話し、ですね。
ベートヴェンの最晩年の秘書であり、年齢もベートヴェンの25歳下のシンドラーから見たベートヴェン像と実際のベートヴェンとの乖離の話しだと思っていただけたら間違いないと思います。
歴史ミステリーとも取れる話しですが、大事で面白いと感じたのは、動機です。タイトルに捏造と明記されていますので、その点は間違いなくシンドラーに非がある訳です。が、何故シンドラーは捏造を行ったのか?が肝になります。
ここで大変面白い、というか偶然、だと思いますが、ベートーヴェンの耳が悪かった、という事が重要になってくるのです。
ベートヴェンは耳が悪く、音楽さえ聞こえなかった、という事は会話は筆記で行われていたわけです。が、後天性の聾者は、筆記で返す必要がありません、喋れますから。ですので、ベートーヴェンが実際に筆記に使っていたノートは、ベートヴェンが筆記した部分は1つも無くて、ベートヴェンと会話したい人の筆記だけが残るわけです。ベートヴェンが何を話したのか?というファクトを証明する事には全くならないが、誰がベートヴェンと何を話したいと思ったのか?だけが記載されているのがこのノートです。そして、それは音楽に関連する事ばかりではなく、日常会話を含めて残されていて、およそ400冊あった、と言うのです。
この概要を聞いただけで、大変興味を惹かれました。
ベートヴェンは交響曲第5番「運命」はドアをノックする音だ、とは言ってない可能性の話し、です。読んだ人のベートヴェン像が更新される事間違いないですし、私は一気に読んでしまいました。
映画「アマデウス」が好きな方に、オススメ致します。
これ、絶対「映画」にすべきです!タイトルは「ルードヴィッヒ」でもいいですし「シンドラーのルードヴィッヒ」でもいい!というか、ミロシュ・フォアマンは故人となってしまったのですが、ちゃんとした人に映画化して欲しいです!!