なかなか時間が無くて、映画館に行くのもなんとなく気が引けますし・・・それと、阿佐ヶ谷ユジクが閉館してしまうらしいので残念です・・・まだ行った事が無かったのに・・・最後の特集がグザヴィエ・ドラン監督で、私はすっごく会わない監督なので(1作だけで判断しましたが、ここまで合わないと流石に観たいという気にすらなりません)残念ながらいかないうちに終わってしまいそうです。
そんな中で最近読んだ漫画で気になったのを2つ。
1つは渡辺ペコさんの「1122」という夫婦の漫画です。かなりセンシティブな内容を扱った30代の夫婦の物語です。
夫はかなりおとなしいタイプのいわゆる装飾系な男子、妻はいわゆる考え方がドライな女子、という夫婦なんですが、性的な嗜好やタイミングが合わなかった事で、妻が公認の婚外恋愛を許容する、というかなり変わった夫婦の話しです。全7巻なんですけれど、このセンシティブな問題について、テーマにしていたのに、残念ながらあまり掘り下げられないで終わってしまったのが残念でした。夫婦の形は、おそらく現代にいたるまで様々な形が存在したと思います。中でも、2020年の日本の状態は、かなり多様化していると思います。だから、当然趣味趣向があう人そのものが少ないので、これからはさらに結婚という夫婦関係を選ぶ人たちは少なくなるでしょうし、少子化はさらに、どこまでも、進むと思います。そんな中のある1ケースとして、確かに問いの立て方は面白いですし、上手いとも思いましたが、これ恐らく結論を決めずに始めているというか、読者に向けて納得いく形にならなかったので、かなり忖度した感じのゴールになっていると思います、そこが残念ですし、さらに、問いとして立てたメインのテーマが掘り下げられる事が無く終わってしまったのが残念です。もっと面白く出来る要素があったと思うのですが、恐らく女性向けの漫画だからこその忖度のような気がしますし、ラストはかなり無理やりな決着で、この後も苦労しそうな主人公たちに見えました。
夫婦の形ですら、私は当人同士の問題だと考えてしまいます。様々な形があって良いと思いますし、そもそも結婚という形態やその様式、家制度が古くなってきているので、なかなか難しい話しになりますけれど、少し前に扱った酒井順子著「家族終了」(の感想は こちら )でも感じましたけれど、全世帯の1/3は、結果自分で単身者を選んでいる、というです。結婚したい、という人もいらっしゃるかと思いますが、出来ていないし、そもおそも1人では出来ない事なので、協調や妥協が必要だと思いますけれど、それをしなくてよいのが単身者ですから、この自由を手放せなくなった、もっと言うとわがままになったので難しいと思いますね。
もう1作は大変感銘を受けた、カレー澤薫著「きみにかわれるまえに」です。
こちらは、いわゆるペット、愛玩動物について綴られた短編漫画です。そして決して絵が上手いとは言えないカレー澤薫先生ですが、内容は恐ろしく深い作品だと思います。ペットを飼った事がある人、悲しい別れを経験した事がある人に、強くオススメ致します。それにこの独特の絵が私は好きなのです。
カレー澤薫先生の絵はそこまで好きじゃない、という方もいらっしゃるとは思いますけれど、この方の文章は、ちょっと見た事が無いレベルで文才があります。その上、その繊細さを隠すための自虐的なセンスも、かなりの高みにあると思います。技術として、凄いと思うのです。
その文章を生かすための漫画だと思います。是非1人でも多くの人に手に取っていただけたら、と思う漫画家が、カレー澤薫先生です。あぶなく、ホモサピエンスと言われる生き物である私の顔という組織の中に認められる視覚をつかさどる部位の浸潤の度合いが高くなって表面張力を覚えた状態になりました。
動物が(人間よりも)好きな方にオススメ致します。
チン・モヨン監督 アンプラグド
韓国のとある田舎町に住む老夫婦、旦那さんは98歳で奥さんが89歳。その仲睦まじい生活を季節を通して密着するドキュメンタリー映画です。
とても美しく、ある種の夫婦の完成形だと思います。私にもそういう意味が理解出来る部分もあります。
そしてもちろんとても共依存関係であり、その事を両者が自覚し、選択している、という部分があってこそ、可能な成り立ちだと思います。
旦那さんの嚥下に問題があって、かなり苦しそうで、もう少し介入出来たらいいのに、とは思います、職業柄。恐らく唾液も厳しい状態での誤嚥性肺炎、と言う感じです。
この作品に感動する人も多いと思う。
そして私にもそういう部分を理解はする事が出来るが、しかし、多くの人がこうはなれないし、また、人間は慣れる生き物で、そして飽きる生き物なんですよね、とか思ってる私には、まぁ無理ですね。
もう少し、背景や人物について、ここに至るまでの話しが欲しいとも思います。ですので、これは共感力が求められる作品、私のとても苦手な部分です。
ジョニー・トー監督 ツイン
香港がどうなってしまうのか?気になってます。そこで、香港の監督ジョニー・トーの代表作でNetflixにあったので。2部作の1作目です。
中国香港に長い年月裏社会を統治する組織、和連勝会の会長は2年に1度の選挙で決められています。警察組織もこの事を理解しており、抗争を避けるべく行動を取るのですが、手荒いディーと冷静なロクの間で後継者争いが揺れていて・・・と言うのが冒頭です。
これはまさに香港映画の記念碑的作品で、大学時代に先輩の家で観た(ああ、私が1年の時のキャプテンT先輩、お元気かなぁ・・・オフコースと中島みゆきと「男たちの挽歌」が大好き、というアメフト部としてはかなり変わったキャプテンでした)「男たちの挽歌」的な香港ノワールじゃないですか!
「男達の挽歌」は、最初、大変ハードボイルドを煮〆たような作品に感じていましたけれど、その後見返すうちに大好きになってしまいました。うん、こういうのもアリだと思いますし、特色です。そもそも「男たちの挽歌」は深作欣二監督の「仁義なき戦い」に影響を受けているでしょうし(死んだ人物の兄貴とか弟とかが次作で出てきて、死んだ俳優が同じ役柄を演じるとか)この辺は入り組んでますよね、オマージュとかいろいろなレベルであると思います。
そんな香港ノワールの担い手と認識していながら、1作「愛に目覚めて」という異色刑事ものしか見ていないので、なかなか手が出なかったのですが、ノワールが観たくなって手に取りました。
とにかく、役者さんの顔の個性派がたくさん出てきて、しかも、それをニックネームのごとく用いるのが、これは翻訳でなされた行為なのか、そもそも原語でも言われているのか、確かめられなかったのですが、凄く良かったです。
とても手荒なディーをレオン・カーフェイが演じているのですが、どんどんソン・ガンホさんに見えてきます。それくらい良かったとお考えください。
相対するロクを演じる方も凄く良かったと思いますが、それ以外の構成員の顔の個性の強さが、大変際立ちます。何しろ結構な数の役者がどんどん出てくるのですが、そのどれも強烈なキャラクター性を、顔、で表現出来てしまっています。これはなかなかにスゴイ事です。
また、ノワールならではの、顔にかかる影、表情の読み取り難さを与えつつも想像の余地がきちんとある、この構図も伴った影の使い方が非常に上手いと感じました。
なるほど、ジョニー・トー監督、見て良かったです。続きも早いうちに、と、言いつつ、また2年間、歯科医師会の役職に就く事になりました、しばらくは映画を観る事が難しくなると思います・・・
ノワール映画が好きな方に、オススメ致します。
岡本喜八監督 ATG
全部の作品を観ているわけでは無いけれど、明らかにフェイバリットな監督の1人です。が、岡本喜八監督も最高ですけれど、利重剛さんの脚本が(どこまで出来上がってたか?は不明ですけれど、この方、ぴあフィルムフェスティバル出身なんですね、知らなかったです)、とってもイイです。私はあまり監督兼主役をする人で好きな人がいませんけれど(筆頭がウディ・アレンで比較的観れるのがクリント・イーストウッド)、この方の軽快さは気に入りました。
蒸し暑い夜の公園のベンチに座っている若いカップルに割って入る若い男(利重剛)が警察に捕まり留置所へ・・・そこには老人ばかりが集められていて、自分たちをヤマタイ国の住人であると話しだし・・・と言うのが冒頭です。
出てくる日付(12月8日と8月15日)が全部戦争関係の重要な日なのも、まぁ岡本喜八作品ですから、当然なのかも。今じゃなかなか伝わらないのかも知れませんね。
もう、こういうナンセンスギャグ好きにはタマラナイです。なんでこういうのが好きになったのか?私にも分かりませんけど、ちょいちょい挟まれるちょっとしたギャグのセンス、多少古くなってしまったモノもありますけれど、私には十分面白く感じます。古さではなく、その時代であっての着眼点、ズレと言う意味で、全然古くないと感じるのです。
まずはやはり脚本を挙げたいです。この脚本のどこまでが利重さんのアイディアだったのか?は不明ですけれど、大筋は間違いないと思いますし、その上で弱い所をいろいろつぎ足すアイディアを盛り込んだのが岡本喜八監督だったと推察します。
その上で、主役をここまで務める、それもギャグをキチンとこなす利重さんのセンスはかなり凄いと思います、度胸ある。なにしろ、キャスティングも凄いんです。
まず、ヤマタイ国の総理大臣が小沢栄太郎ですよ、いい味です、完璧です。さらに、紅一点の大蔵大臣に千石規子、ヤマタイ国のキャスティングは完璧ですよ。小沢栄太郎扮する総理の、のらりくらり感がありながらも、重しのあるとぼけた感じ、最高です。しかも、千石規子の可愛さ、ちょっと飛び抜け過ぎだと思います。マジでヒロインクラスでカワイイです。その他閣僚を務めるの役者さんも、余裕を感じさせる年頃で、ホントイイです。
ここに、定年退職間近の刑事に財津一郎、ドジな新人相棒に本田博太郎、このキャスティングもこれしか考えられない、と言えます。当然ギャグ映画にしか見えないですよね、ええ、そういう映画です。こういうのが嫌いな人も多いと思うけれど、私は大好きですね。財津一郎のとぼけもあるけれど、基本若手にはツッコミ、そしてドジの本田博太郎の顔芸込みのボケ、最高の組み合わせだと思います。
これだけ実力者が周りを固めていて、新人の利重さんや新人ヒロインの古舘ゆきさんが緊張しなかったはずはないと思うのですが、ストーリィが最高であまり緊張しなかったのかも。そういう現場にしてくれたのが岡本喜八監督の凄さだとも思います。何しろ製作費が少なかった為に、自宅を撮影で使用しているそうですから・・・映画監督には、もう少し、利潤が配当されて欲しいです・・・
さらに音楽のチカラ。これも大きいと思います。特にこの手のジャズの軽快さ、ノリの軽さ、まさにこれからジャンクの時代である80年代の幕開けにふさわしい81年公開作品。
まるで星新一の「マイ国家」とか矢作俊彦の「あじゃぱん」とか井上ひさしの小説「吉里吉里人」みたいな話し。
喜劇の中に、反戦だったり、当たり前のエロが入ってたりして、本当に面白い作品だと思います。こういうバランス感覚はまさに岡本喜八作品だと思うし、そういう意味で利重剛さんが温めていた脚本を岡本喜八さんのところに持って行ったのは慧眼だと思います。
岡本喜八監督が好きな方に、オススメ致します。
エイヴァ・デュヴァーネイ監督 Netflix
そもそも、ドキュメンタリー映画は嘘をつくと思ってます。
当然、映画そのものが虚構である、という事も出来ます。
しかし、ドキュメンタリーは特に信じられやすい面があります。何故なら、ドキュメンタリー(文学におけるノンフィクションに相当する)だからだと思います。ただ、ノンフィクションだって嘘をつくし、不明な事を言いきったりもしますし、今ではホロコーストは無かったとまで言い出す輩が増えているのも事実ですし、排他的なレイシストが選挙に出るのは構わないけれど、そこに結構泣かずの得票率があったりすると、びっくりしたりします。どんな制度にももちろん不備があるなら正すべきだし、より良いやり方を目指すべく議論も努力もするべきですけれど、排斥するだけならとても簡単で、下品なやり方だと私は思いますけれど。要は過激に焚きつけて、煽って、賛同を得るのが、幼稚に見えるようになった、という事です。今のところ、という事ですけれど。
ドキュメンタリーも編集次第で、感情をコントロールする事は、割合簡単に出来ると思う。BGMもその事に役立つと思います。
そもそもドキュメンタリー映画を撮ろう、と言う人には、なんらかの見せたいモノがあるはずであるし、ドキュメンタリー映画内で話される「事実」をファクトとしてチェックするのも大変ですし、全部は出来ないです。
だからこそ、この映画が言うストレートな方向には注意は必要だと思って見ていました。
ではあるけれど、私はこの映画の主張は最もだ、と思っています。それが結論です。
恐らく、ずっと、奴隷制が解放されてからも、この憲法第13条の中の「犯罪者には適応されない」という部分を使って、奴隷ではなくなったが、公民権が与えられず、公民権を勝ち取ったら、選挙権と就職が叶わず、予防拘禁的に収監され、その事で巨大な利益を吸い上げる組織があって、しかも続けている、という事実は、恐らく正しいと思いますし、この映画を撮ろうとする意識には同意するしかないです。
だからこそ、この手の、私のような、見ておかなければ、という人にではなく、差別を差別と思わず、下駄をはかせてもらっている事に気付こうともせず、アプリオリに白人男性(この映画では。これは日本国籍に置き換えて他のアジアを排斥するのと同じようにみえます)が優れていると考え、自らより大きな権力と同化することでしか自尊心を保てない未熟な人間に対して、響かせる方法を考えなければならないと思うのです。
まだ、人類はこの手法を思いつかずにいると思いますし、さらなる進化、技術革新が必要だと思うのです。
地獄への道は善意によって舗装されているそうですし。
あとBLMって、多分アフリカ系アメリカ人の命も大事、の も と思っちゃうのがもう違う気がする。なんでアフリカ系アメリカ人だけ粗末にされてんの?への皮肉的な言い方なんじゃないかな?なんとなく文脈で考えるとってことだけど。
差別、あるいはアメリカ合衆国における、アフリカ系アメリカ人の差別の歴史的経緯、に興味が無い方に、強くオススメ致します。ある人は何もしなくても見ると覆うので。