クリストファー・ノーラン監督 ワーナー・ブラザーズ
ネタバレ無しです。私はとしまえんIMAXシアターで観てきました。
多分私が馬鹿だから、なんでしょうが、常識的にエントロピーが拡大する理由は理解出来ても、縮小するには、多分、何らかのエネルギーが介在しないと難しいのでは?という辺りからつまづきました・・・ここまでが多分冒頭の20分くらいです。
ただ、映像は、大変凄いです。見た事が無い絵がたくさん出てきます。
また、役者でロバート・パディンソンが出てきて、大変篤い活躍を見せてくれます。ロバート・パディンソンさんは映画「グッド・タイム」(個人的2017年のベスト6位)の主役さんでしたので、久しぶりに観れて嬉しかったです。
ヒロイン(?)には個人的に陰のある諦観な役回りの人だと3割増しに美人に見えてしまう病に罹患しているために、大変美しく見えたエリザベス・デビッキさんも素晴らしく、特徴的な身体性を存分に発揮してくれます。
まあ、ストーリィが、ホントに理解しようとすると負けなので、その辺が気にならない人なら、大変没入感のある映像体験になりますし、本当に今まで見た事がないレベルだと思います。
多分、この映画はノーランの撮って見たかった絵を繋げる為のストーリィだと思うので、仕方ないでしょうし、いつものノーラン節映像体験だと思えば、特に気にならないと思います。
ただ、理屈には、全然納得出来てませんが。
しかし、絵は凄い。そして音も凄いです。是非IMAXで観るべき、というか体感する映画です。
何も言ってない感想になりました・・・
あ、カサブランカが好きな人は観に行くべき要素があります~
ノーラン監督作品が好きな方に、オススメ致します。
誰か理屈を教えて欲しいです・・・いろいろ考察しているのを観に行きましたけれど、全然納得できません・・・分かり易くはなりましたけれど、ね。
岡本喜八監督 ATG
名作「日本のいちばん長い日」は任された監督作品ですし、原作もありました。もちろんそれでも監督の作品、色、におい、を感じます。しかし、今作は、自宅を抵当に入れても取りたかった作品。最も岡本喜八臭が強い作品とも言えます。期待値はかなり上げての鑑賞になりました。
太平洋戦争末期の日本。あいつ、と呼ばれる下級兵士は、素っ裸で訓練させられています。本土決戦に備え、まさにタイトルの通りの、戦車に肉弾として、爆弾を手で持って、特攻をかける訓練をしているのです。そんなある日、24時間休暇を得られたので・・・というのが冒頭です。
まず、主人公あいつを演じる寺田農が、すごく、岡本喜八監督の造形に寄せています。多分、ですけれど、かなり寄せていると感じました。相当キツイ戦争体験だったんだと思います、戦地に行かなくても・・・
製作費、無かったんだろうな、と思います。もっとお金があれば、出来た事もあったと思いますし。ただ、受け手の想像を巡らせ、補完出来るように、作っているのも事実です。
多分、この点が、この作品の評価の分かれ目かと思います。
岡本喜八作品をある程度見ている事が前提になっちゃいますけれど、岡本喜八だったら、という補完、想像が出来る人には、結構響く映画になると思います。悪くなかった。でも、それが出来ない、例えば初岡本喜八作品体験の人には、かなり難しい映画かも知れません。
良かったのは、やはり、古本屋店主の笠智衆ですね。もちろん寺田農も素晴らしかったですし、ヒロインの大谷直子も素晴らしかった。
個人的な死ぬ理由を、欲していた人にとっては、きっかけは何でもよかったんだと思いますけれど、実感を持つってなかなか難しい事ですし。相思相愛であればなおさら、実感を持てたと思います。
ラストも凄く岡本喜八っぽくて、有名な「幕末太陽伝」のラストを監督川島雄三が撮りたかったように撮らせてたら、こんな感じになったんじゃないかな?
私はかなり岡本喜八びいきではありますけれど、とても個人的な映画なんだと思います、撮らなければならなかった映画なんだと思う。
そういう意味で、こういう映画を作らなければならないくらいの体験を、きっと誰しもに与えているのが戦争なわけで、本当にキツい・・・
ただ、平和を望むのであれば、常に戦争に備えよ、という格言の重さも、理解しているつもりです。何しろ相手がいるものですからね。
岡本喜八監督作品を何本か観ている方にオススメ致します。
岡本喜八監督 東宝
ポツダム宣言 その内容を文章で簡潔に表記し、昭和20年7月26日にそのポツダム宣言を外務省が受信する場面から始まります。翌27日、首相官邸閣議室にて内閣全員が出席の基に、伝えられます。国民にポツダム宣言をどう発表するのか?で議会は揺れます。そして閣議は積極的に報道しない事で決着。しかし、否定も肯定もしない事に陸軍内から反撥意見が出る事で、首相が記者会見を開き、重要視しない、と発言。しかしこれを繰り返してる事から記事は黙殺へと変容、その記事を海外メディアは黙殺から、無視になり、そして無視が拒絶へと変容していきます。8月6日、広島に原子爆弾投下。20万人の命が奪われる。8月8日ソ連が参戦、8月9日宮城内地下防空壕にて最高司令会議が開かれる最中に長崎に原子爆弾投下の報が入る。結論を得ないまま首相官邸にて閣議会議が開かれ、戦争継続か終結かと言う議論が交わされ続けます。しかしまたもや結論が出ず、御前会議を行いご聖断を仰ぐこととなる。ここで天皇陛下は速やかなる終結を指示されます。8月10日、条件的宣言受諾をスイス大使を通じて伝えます。8月12日条件的受諾の回答が得られ、有名なSubject toの解釈をめぐって論争になります。その上で、再度天皇陛下のご聖断を仰ぐこととなります。8月13日陸軍大臣へ天皇を隔離し東京に戒厳令を引くという陸軍部のクーデターとも言える立案です。8月14日午前、2回目の御前会議が開かれ・・・というのが冒頭です。このアバンタイトルまで、大変重みのある演出、画像が続き、いよいよタイトルが出る事で、動き出す、いや映画が走り出す瞬間の演出が見事です。
この昭和20年の7月末から8月14日2度目のご聖断までも、様々なドラマや紆余曲折があったと思います。もっと言えば、昭和天皇陛下の心情を考えると、その前の小磯内閣組閣時よりも、恐らく敗戦にもっと踏み込んだ意識があったのではないかと個人的には思います。
史実に基づく作品ですから、そしてノンフィクションの映画化ですから、おおよそ一次資料を基に作られていると思います。最近はとても歴史修正主義的な動きを肌で感じますけれど、あくまで映画ではありますが、史実に近かったのであろうと、個人的には推察します。
先ず何と言っても、鈴木貫太郎内閣総理大臣の笠智衆が、素晴らしかったです。飄々としているにもかかわらず、重みで言えば、三船敏郎扮する阿南惟幾陸軍大臣を軽くあしらえる、凄み、を感じさせてくれて、本当に素晴らしかったです。なかなか出せるものでは無いと思います。年齢的にも説得力がありました。画面に現れるだけで、その存在感が凄いです。
そして、三船扮する阿南惟幾陸軍大臣の、凄み、部下数万人の命を預かっているという重み、大変説得力があります。以前、先にリメイク版を見てしまっているのですが、そちらでは役所広司さんが演じていらっしゃるのですが、もちろん、役所広司さんの魅力は大変なものがありますし、重みも感じましたけれど、これは三船敏郎の生きざま含めた説得力、修羅場をくぐっている、と感じさせる目のチカラが、そして笠智衆にいなされる、その素直さまで含めて、凄かったです。役者さんって本当に凄いです。
これに対して海軍大臣米内を演じる山村さんのある種の洒脱さ、ある種の軽さ、は対照的に感じました。この対称性もいい演出、キャスティングの妙だと思います。
そして陸軍の、とてつもなく観念に偏った、これまでの被害や今後の行く末よりも、観念にこだわった考え方の恐ろしさを感じます。
最近よく考えるのは、<観念>について、です。大変日本的な考えだと思います。私が観念で最初に思いだすのは高山彦九郎です。彼は大変な人物ではありますし、その行動も、思想的な影響も大きいと思います。が、観念として日本、それも天皇というモノを捉え、考え、敬い、尊ぶわけです。その人として、それで良かったし、同志を募るのも重要だったと思います。が、この思想、観念に同意しない人への攻撃性が恐ろしいと思うのです。凄く一神教が邪教と言って敵視するかのような感覚があります。
そういう意味での観念を持った軍部が、自らお守りする天皇陛下を拉致し、周囲の人間に敗戦を言いくるめられているという非常に不敬な行動を取ってでも、自らの観念の正しさをより重要視する考え方が、恐ろしいと思います。
「昭和16年の敗戦」猪瀬直樹著に詳しいのですが、軍部だって観念の世界に居るわけではなく、現実的に机上の計算はした上で、東條は、あくまで机上の空論、として片づける辺りの、罪(と言っていいと個人的には思うんですけれど)はいかように後に検証され、批判されたのか?とつくづく思います。
映画は8月15日の正午を持って終わるのですが、その後のナレーションと字幕で表される、観念とは違う、数字で示される、圧倒的な敗戦の結果を、どう考えたらよいのか?私はまだ答えが見つかりません。
いわゆる左派の言うところの戦争を避けたい、という観念で日本国憲法を堅持する、というくらいにショックを与えるに十分だったと思います。
また右派の中でも、勝つ事が出来た、などと簡単に言いだせる非常に自己愛の強い観念に捕らわれた人の発言には、恐ろしくなります。陸軍の暴発した青年将校のような不敬さを感じます。
大変重い映画ですけれど、傑作でした。
日本の国籍を持つ人や、日本に住んだ事がある人に、オススメ致します。
映画好きの友人たちと、ちょっと前に無声映画鑑賞会に行きました。私は無声映画はチャップリンの初期、バスター・キートンの作品を少ししか観てないですし、生の活弁士は初めてです。
1本目は「地獄の蟲」です。
ニュー・サイレント映画でリメイク版の「地獄の蟲」です。
弁士は坂本頼光さん、大変若い!そしてアクシデントにも対応してくれました。
まず、ニュー・サイレントっていうか、この映画はトーキーの時代にわざわざ無声映画として作り直されている作品で、なので、作詞なかにし礼、作曲すぎやまこういち で主題歌まであります。製作は1979年、かなり新しいです、そして効果音は鳴るので、その辺を含めてニュー・サイレントと呼んでいるんだと思います。
江戸時代末期、暴利な金貸し一家を殺害して、千両箱を6つも奪った盗賊たち、黒雲団十郎(田村高廣)一味8名は、重い千両箱を抱えて国境を超えようと、山道を歩いていますが・・・と言うのが冒頭です。
この一味の一人一人に、停め絵で通り名と解説がつく、非常に丁寧な紹介をしてくれて、気分が上がります。ま、あくまで気分です、何故なら、この後、この8名の行く末が非常に厳しいくも、割合ぞんざいだからです・・・
黒雲団十郎、冷酷な頭で、自ら掟を厳しく守らせています。ニヒル。でも意外と抜けてる・・・
鉈の東兵衛 №2の実力者。その見せ場は、梅干しと、地面に落ちたゴハンの食べ方・・・
りゃんこの七 多分二刀流の使い手。と思われるが、見せ場は黒雲の情婦に手を出す事。その後の退場の素早さ・・・
山猫の三次 心優しい、と思われる。終始鳥の入った鳥かごを持ち歩いていて、この鳥をどうにかする事で山猫の本領発揮と思いきや・・・
獄門権九郎 この山を持ってきた腹黒い、見るからにあくどい感じの男。うん、この人はそのままで頑張る。
おさらば伝次 うん、この人のおさらばする場面のカットの早さは尋常じゃない。
おすもうの政 おすもうさん体形の、可愛そうな人。最初の犠牲者・・・その扱いの軽さは必見・・・
お登代 黒雲の情婦。憂いている、いろいろ・・・
みんなキャラが立ちそうなんですけれど、上手く行きません・・・やはり8人は多いですし、この後驚愕の展開もあって、1人に時間かけられなくなります。
サイレント映画はやはり難しいストーリィ展開には無理がありますし、登場人物も出来る限り少なくすべきだと思います、演じ分ける弁士さんは能力高いにしても、いくらなんでも主要キャラが10名を超えるのは無理がある。
また、映画の中で挟まれるセリフのシーンの字体、フォントはかなり気になりました。普段見かける字幕の、あの穴あきのフォントも結構好きなんですけれど、この映画のフォントも味があって良かったですし、この後に観る作品のフォントは更に独特で凄くイイです。
まぁ、タイトルが地獄の蟲ですから、皆さまの思った通りの展開にはなりますけれど、ラストの大乱闘シーンは、音楽のかかり方もあって、大変カタストロフィありました。
で、みんな、すっごくまばたきしないんです、これも凄い。
そして、人生で2回目の、フィルムが切れる、というアクシデントがありました。弁士さん大変そうでした・・・1回目はテアトル新宿で観たバートン・フィンクの時。あれは感慨深かった。
2本目は「番場の忠太郎 瞼の母」です。
製作は1931年!昭和6年!
弁士は沢登 翠さんです。好みで言うと、私は沢登さんの弁舌が気に入りました。多分、新型コロナウィルスのせいで、席の間隔を開け、ビニールで遮蔽された上でマイクの音で拾う作業があると、どうしても声がこもります。しかし、それを差し引いて、こういうモノが無かったら、そしてもっと狭い小屋でかかっていた場合の弁士の迫力を想像するに、沢登さんの演じ分けにはかなり迫るものがあると思います。もっと端的に言えば、想像する弁士の話し方に近かった、という事ですね。
江戸時代、年老いた母と娘の住むある農家の前に腕を痛めた兄が倒れついていた。兄は堅気になる事を承知してくれているのだが・・・と言うのが冒頭です。
多分、私がハリウッドやヨーロッパの映画を観ているせいだと思いますけれど、すごくいびつなプロローグに見えました。尺で言うと半分くらいが序章と呼ばれる人物紹介だと思います。まるで序章で一件落着に見えるくらい丁寧な扱いなんです。
またこの主人公番場の忠太郎の、凄くまっとうな、あまりにまっとう過ぎて、ちょっと変に見えるくらいのまっすぐさが、とても眩しいです。流石に古さを感じるのはこういうキャラクターの立て方ですね。
しかし、それ以外はかなり秀逸にまとめられた作品です。何しろ瞼の母ってかなり上手いタイトルだと思いますね。とてもヒロガリのある文章だと思うので。
ストーリィも、序章の割合は変だと思いますけれど、それは私が無声映画を初めて観ているからで、これが普通なんだと思います、昔の場合。今がテンポ良過ぎる為に、感情的に浸る、という時間を無くしてしまっているんだと思います。今とは時間の体感の流れ方が違うと思うのです。そこに良い悪いは無いと思うのです。
まず、主役の片岡千恵蔵の、すごくはっきりした顔立ち、ここが素晴らしいですし、絵になります。そして基本的には、母を求めつつもいろいろと騒動に巻き込まれるタイプなので、腕っぷしは良く、そのため、眉毛は上がり勝ちなんですけれど、この定型になる顔が映えるんです。
その上カメラワークは大変気を遣っていて、正直片岡さんの顔は定型なんですけれど、ライティング、そして上から、下から、ズームのかけ方等で、それぞれとても表情を感じさせるように仕上がっていて、ここが本当に驚嘆しました。分かり易く言うなら、クレイアニメや止め絵のアニメーションで、ライティングやカメラワークで、同じ顔なのに、表情を感じさせる、あのやり方と同じだと思います。多分技術で言えば今はもっと工夫出来ると思います。
そしてヒロインの山田五十鈴が!あんまり可愛くない笑!これなら、最初の農家妹の方がカワイイ!とか思うのも、多分美意識の変化だと思います。美人という概念も変化していく、という事ですね。
片岡千恵蔵の殺陣がめちゃくちゃカッコイイ。そして、このころの人の、着物の着かた崩れ方着こなし方が、現代の着物の着かたと、ココが違うと指摘出来ないのに、明らかに何かが違うんです。生活感としか言えないかんじですけれど、堂に入ってる、と思います。この表現も古いか・・・つまり、使い慣れた感覚があるように見える、という事です。
また、時々差し込まれるセリフの文字のフォントがたまらなくイイです。盾に長い文字は縦長に、平たい文字はさらに平たく、と言った感じで、デフォルメされている感じなんですけれど、今まで見た事が無いフォント!凄く個性的で素晴らしかった!
ラストの、片岡千恵蔵の、これまでほぼ同じ顔が、突然弛緩しまくるところは必見です。
セリフも素晴らしかったなぁ。
というわけで、これからは無声映画の世界にも時々は足を踏み入れる所存です。