ライアン・ジョンソン監督 ロングライド
あと、割合開始3分で出番が終わっちゃったのが残念ですが、ジョセフ・ゴードン=レヴィットが出演してくれてて嬉しかったです。最後にも出して欲しかったなぁ・・・普通こういう出演の仕方なら、エピローグにも同じように出てくるものだと期待し過ぎてしまい、推理に集中出来なくなりました。でもこの謎解きフーダニット(Who done it)はちょっと難しかったし分からなかったです、なにか仕掛けがある事は分かるんですけれど。なにせ須直に話が進み過ぎるので。
ミステリーの巨匠であるハーランが何者かに殺されているのを家政婦が発見します。前夜はハーランの85歳の誕生日であり、その誕生日を家族全員で祝いました。その家族全員が、実はそれなりにハーランと揉めていて・・・と言うのが冒頭です。
ミステリーとしては、既視感のある作品ではありますが(例を出すとネタバレになるので伏せます)、それを映画でやり遂げたのが、なかなか頑張るじゃないか、ライアン・ジョンソン!と言う感じです。
トリックとしても、かなり難しいですし、人間関係も複雑なんですが、それを結構うまくまとめてくれています。
まずはみんな大好きアナ・デ・アルマスさんが傍観者役です。探偵役にダニエル・クレイグ。これも、ちょっとミスキャストに感じましたが、すぐに慣れました、今までが2枚目を演じる事が多かったので、3枚目っぽい感じが妙に感じる瞬間はありますが、老人になって生々しさが抜けた感じでいいですね。
いつもと同じ顔芸のトニ・コレットが顔芸控えめだったり、いつも悪い役マイケル・シャノンが髭面で弱気だったり、などいろいろギャップを感じさせるのも上手かったと思います、既に売れている人の、ちょっと違った面、キャスティングはイイと思います。あ、トニ・コレットは同じか!しょうがない気がしますけど。
トリックは、すぐに思いつくものじゃないです、が、アナ・デ・アルマスのとある癖が、ラストのオチである事だけは、見た誰もが分かるし期待するところでしょう。大丈夫、その期待にはちゃんと応えてくれますから。
なかなか面白いミステリーだと思います、犯人の臨機応変さ、はかなりイイです。
ミステリー映画が好きな方にオススメ致します。
ヴァーツラフ・マルホウル監督 トランスフォーマー
モノトーンの映像美に惹かれて、劇場に足を運びました。事前情報は全く入れなかったので、なんの映画なのか?も知らなかったですが、これがより楽しめた気がします。
ですので、ネタバレ無しの感想にまとめさせていただきます。ただし、ポスターから分かる通り、大変ヘヴィーな映画である事は間違いないと思います。なんで映画で暗い子持ちにさせるんだ、という映画と言うジャンルにエンターテイメント性だけを求めている人には全く向かない作品ではありますが、アートというモノは人を傷つけて、見る前と見た後の人が変わってしまうモノである、という認識の人には強くオススメしたくなる作品です。まぁ少々盛り込み過ぎな感じは致しますが。
モノトーンの映像がとにかく美しいです。雄大な自然を様々な角度から映していますが、その光の輝きや漆黒の暗さ、どこまでも広がる雄大さ、細部に宿る神々しさを、大変ソリッドに取り込んでいて、本当に美しいです。
主演の子役の子供の表情、瞳が、異様なレベルで多弁です。実際この映画は言葉数が少ないのですが、それも意図されたモノだと思いますが、それもこの主演の子供の瞳の力強さと多弁な、感情豊かな瞳の表現があればこそ、だと思います。本当に素晴らしいです。
物語は何処までも普遍的な事柄を扱っています。それもよりキツイ面ばかりを、です。しかし目が逸らせない説得力があり、且つ、非常に寝覚めが悪いモノです。それを主演の子供がどう感じるのか?どう成長するのか?という部分含めて、恐ろしさが増します。
猫が好きな人には、不快に感じる場面もありますし、鼠が嫌いな人は見ない方が良い映画である事は断言できます。
ちょっと気になったのは、人間の暗部ばかりが数珠つなぎな部分ですね、ちょっと盛り込み過ぎな気はしますが、実際はもっと過酷で陰惨だったと思います。
モノトーンの美しい映像が好きな方に、オススメ致します。
増村保造監督 大映
増村保造監督と出会えた1年として、今年は間違いなく記憶に残る年になりました。今までは、日本映画監督の中で誰が好みに近いか?と言えば、岡村喜八監督と答えていましたが、今は増村保造と答えます。
この映画も素晴らしい作品でしたが、猫が好きな人(私含む)には大変キツイ映画でした・・・その点だけはご注意ください。
原作あり、です。今回は2大女優対決作品だと思います。増村保造のミューズ若尾文子 対 成瀬己喜男や木下恵介のミューズ高峰秀子です、当然、増村保造監督作品なので、メインは若尾文子なんですけれど、この2人の対決シーンが恐ろしいほどです。まさに龍虎の戦いです。
演技合戦に火花が散りまくりです!それを捉えるカメラワーク、そして構図が本当に素晴らしいです。
その上、2人がこってこての方言を使うのです。語尾につけられるのし、の使い方が間違ってても、つい使いたくなります。
さらに、決め台詞で用いられる『どないなことがあっても私で試して頂かして』が強烈です。
原作がどこまで忠実なのか?この嫁姑の戦いを最初から描いているのか?分かりませんし、確か結構な数の人間が華岡青洲の麻酔薬の実験に名乗りを上げていたと思いますが、この話しは完全に嫁姑の対決に収束していて、すさまじいです。
若尾文子の形相七変化でもありますし、嫁と言う立場上、非常に苦しいです。が、だからこそ、心乱され、表情が変化に富み、見るモノを惹きつけるのだと思います。ただ、西洋の世界では文学作品と言えば、何かにつけて正義と悪の戦い、神と悪魔の対決ですけれど、ここ日本では嫁姑の戦いなんですよね。観念の世界であるTHE・日本、と言う感じが大変強いです。
高峰秀子の、特別説得力のある美人顔が、また涼し気な表情から、徐々に本性を露わにする感じの怖さが、高峰秀子っぽくないのに、だからこそ魅せる、と言う感じでイイです。
この2人の大女優対決は、本当に素晴らしかったです。
で、多分こういう運命に翻弄される、波乱万丈、というのが人は好きでしょうし、特に女性はこういうの好きみたいですね。全世界の半数の人を敵に回しますけど、私は全然好きじゃないなぁ・・・なんで誰かを自分のモノ、にしようとするのかなぁ・・・それに波乱万丈じゃなくて、平々凡々でだらだらしたいです。
この嫁と姑に挟まれ、両者から取り合い、もっと言えば心の奪い合いの対象になる主役、この映画の主演の、あの、市川雷蔵が、正直霞んで見えますし、完全に喰われてしまっています・・・
市川雷蔵をもってしても、流石に2人の大女優には敵わない、という事の証明ですね・・・私は同じ増村保造監督で市川雷蔵主演の『陸軍中野学校』(の感想は こちら )を観ましたけれど、あの存在感は何処へ行った?と思う程です。
さらに、衣装の七変化ぶりも、分かってやってるとは思いますが、凄いです。和装喪服に白無垢もありますし、白装束もありますし、内またが1番人間で敏感という『理由』をつけてくれた上で内ももだけ、見せてくれます、エロいとは思いませんが、すさまじいです。
という具合に大変素晴らしい作品ですが・・・・・・・・
あまりに、猫が可哀想過ぎて、見ていて苦しいのです・・・
猫好き以外の、増村保造監督ファンの方に、日本映画の王道が、黒沢や小津や成瀬だと思い込んでいる人にオススメ致します。
しかし猫好きには大変辛い1本でした・・・
クリント・イーストウッド監督 ワーナーブラザーズ
でも今作は良かった。
リチャード・ジュエル(ポール・ウォルター・ハウザー)は法執行官に憧れる、しかしうだつの上がらない男です。かなり太目ですし、規則を守るために大目に見る、という匙加減が出来ない男です。そんなリチャードが雑用係りを務める会社で唯一、リチャードを馬鹿にしない弁護士ブライアント(サム・ロックウェル)との友情めいた出会いもつかの間、リチャードは会社を解雇され・・・というのが冒頭です。
どうしたの?イーストウッド??というくらいイーストウッド性が希薄でした。なんなら悪役にイーストウッド性を感じたくらいです、つまりいつもと逆の構造をしています。
結局、ほとんどの作品が、最後は暴力を使って、悪(もちろんイーストウッドにとっての)を懲らしめます、自分の振るう暴力には寛大で、女性は弱くて守られるべき存在で、そして俺が法律、という事です。そんなイーストウッド性が感じられる人物が悪役なんて、とてもびっくりしました。やってる事はいつものイーストウッドなんですけれど、構造が逆転しています。
リチャード・ジュエルを演じるポール・ウォルター・ハウザーの体形と表情、すごく典型的なルサンチマンを溜め込んだ鬱屈した男性像に見えますし、正直偏見を持ったルサンチマンを溜め込んだ役を演じてきている気がします、特に「ブラック・クランズマン」の時のことですけれど。その「ブラック・クランズマン」の白人至上主義者の役名アイヴァンホーが主人公のように、見える人物が今回の主人公リチャード・ジュエルです。
しかしリチャード・ジュエルはアイヴァンホーとは違って・・・というのが今回です。どう違うのかはネタバレになってしまうので避けておきます。
それから弁護士訳のサム・ロックウェルが素晴らしかったです。最近のサム・ロックウェルは本当に良い役ばかりですし、とてもふり幅が広くてイイですね、役者が好きなタイプの役者さんだと思います。「スリー・ビルボード」も「ジョジョ・ラビット」も良かったですが、どの出演役も似ていない、というのが凄い所だと思います。
メディアと政府組織にタッグを組まれると、どうにもならない気がしますし、この1件で、救われた人物もいますけれど、裁かれなかった人物も多数いるのが、とても気になります。
クリント・イーストウッド作品があまり好みでない方に、オススメ致します。いつも言ってますけれどクリント・イーストウッドの最高傑作は「センチメンタル・アドベンチャー」です、私にとって。
高橋昌一郎著 朝日新書
何度も何度も挫折している小林秀雄の著作・・・本当に何度も読んでみようとチャレンジしても、何度となく跳ね返されて、ついに50歳を超えてしまいました・・・それくらい話しが読めない作家として私の中では稀有な存在です。読んでも意味がワカラナイ、という非常に難解で、しかし私の好きな作家や人物が、必ずと言ってよいほど「影響された人、尊敬している人物」に名前を挙げる人が最も多い人、として認識されてきました。結局今まで1冊も理解出来た、とか言わんとしている事の大筋は把握出来た、と言えない、途中で挫折する事多分10回以上の作家・小林秀雄を、大好きな書き手である高橋昌一郎先生が紹介する新書です。この新書でさえ、3回は挫折しています・・・本当に難解でした・・・が、今回は言わんとしている事の外郭は、ほんの少しだけ、出来た気がします。高橋昌一郎先生の大変分かり易い紹介が無かったら、多分一生かかっても読めなかった作家。そして、今後読む事は、まず無い、と理解出来た作家です。
まず、非常に難解に感じるのは、話しが飛びまくるからなんですね。論理的に読もうと、理解しようとすると煙に巻かれる感じがするのです。そして、共感する、小林秀雄になったつもりで理解する事が重要、と高橋昌一郎先生もおっしゃっていますが、それは最も私が嫌う読み方なので、客観性がまるで生まれない読み方なので、全然理解出来なかったのだ、と分かる事が出来ました。簡単に分かるという単語を使ってしまいましたが、その分かる、は今までの全く理解できない、から相対的に考えて、分かるという単語を使おうとするくらいには、分かった、という事なんですけれど・・・
客観性を捨て去り、小林秀雄になりきって読む、私には全然出来ない、読み方ですし、まずしてこなかった読み方です。100%の信頼や憑依を行う事の危うさ、宮台真司先生も言い方は違いますが「感染する(ミーム)」と言う意味で使われていた時もありますが、私には客観性を手放す事、半信半疑の状態以上に憑依するかの如く読むという事が出来ませんでした。
そして私の好きな作家や書き手は、この小林秀雄の憑依する事でしか読めない、というような書き方は全員がしていないのが、非常に特徴的に感じました。ある種の客観性を持たせて表出する、表現しているのですが、小林秀雄は全然違うんだな、と思いました。例えば直観を鍛える、という言葉を、私はまず疑ってしまいます。直観とは何を持って直観と言っているのか?定義は何処までを指すのか?その上でその大変スピリチュアルな直観をどのようにして鍛えるのか?全然意味不明になってしまいますが、そういういっさいをひっくるめて、理解し信じないと読み進める事が出来ないようになっているのが、小林秀雄の文章だと思いますし、批判を受け付けないのが、恐ろしく感じました。反証できないんです、小林秀雄の世界では。反証を許さない世界を客観的に見る事は出来ませんし、信条的に無理と感じました。
それでも、これだけ多数の尊敬すべき人間が小林秀雄の人間性を好み、尊敬し、敬っているのは、小林秀雄の人間の魅力なんだと思います、凄くジャイアニズムに近い感覚で、という事なんですけれど・・・
もの凄く頭のイイ人ですから、私なんかが考える事は馬鹿々々しい事でしょうけれど、大変ストイックな方でもあり、破天荒な部分もあって、無頼な面さえ持ち合わせた青年期の姿、確かに人気があると思います。反証を許さずに、私のいう事は正しい、という信仰にも似た信頼感がある人には大変刺激的な書物。
小林秀雄が右派から人気があるのは、何となく理解出来ました。多分、この人を持ち上げる事で自分の評価を上げる事に使っている人も多いと思いますし。何しろ自分が思った事が全て正しい、という事に直結しやすいし(あくまで、しやすい、という事。そこに反証を挟む事を、粋じゃないとする感覚)、その事への危険性がほぼ皆無でもイイ、という事になりかねない、と思うのです。
有名な戦争への介入についても、反省をしない、もしくはそういう態度を示さない、という1点に於いて、この人の姿勢が、自身の過ちを認めない、という姿勢に見えるのが大問題だと思うし、その点を、潔いとして評価する人の心持ちが理解出来なかったです。『僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか』 という発言が、公になる事を、理解していても、その姿勢を崩さない事を評価、というのが、どうにも飲み込めないんです。 無知である事を肯定するなら、見る事を、生活する事を、どして批判出来よう・・・
およそ独善の人。そして信者からすれば教祖にあたるわけで、それは信者、ですから信仰なので揺らがないですよね・・・
スタイルで言えば、プラグマティズムに近い。そういう意味で同世代とも言えなくない鶴見俊輔の小林秀雄評があれば読んで観たかったです。
私は無神論者なので、そういう意味でも逢わないという事が分かっただけでも、残り少ない時間の中で、もう挑もう、と思わなくなったので、そういう意味でも、著者に感謝致します。
小林秀雄の信者の方に、オススメします。または小林秀雄が全然読めないで困っている人に。