パーラ・ハルポヴァー ヴィーと・クルサーク監督 ハーク
アテンション・プリーズ!
今回は内容に性的なものが多分に含まれます。わざわざそんなものを読みたくない方はご遠慮ください、しかし、男性は観た方が良い作品である事をかなり強く感じました。出来れば高校卒業時に見せるべき作品なのかも知れませんし、日本で同じ事をしたらどうなるのか?恐怖を覚えます・・・
非常にセンセーショナルな宣伝をし、且つドキュメンタリーで、ちょっとショー的なニュアンスを感じさせますけれど、観ておいた方が良いと判断したので、アップリンク吉祥寺で鑑賞しました。凄く、混んでますし、老若男女問わない感じで、それは善き事だと思いますけれど、内容は物凄くショッキングで、深く考えさせられます。どういう事なのか?自分事と考えざるを得ない部分があるからです、特に男性にとって。
現代のチェコ共和国で、ネットを使った児童虐待の事件があり、自分にも子供がいる監督が危機感を持って専門家を集め、オーディションを行って、外見が幼く見える成人女性を3名選んで、12歳として架空のサイトを開設したところ・・・というのが冒頭です。
映画内ではルールが決められています。
1 自分からは連絡しない
2 12歳である事をはっきり告げる
3 誘惑や挑発はしない
4 露骨な性的指示は断る
5 何度も頼まれた時のみ裸の写真を送る
6 こちらから会う約束を持ち掛けない
というルールがあるのですが、正直なところ5とか6を入れる必要があったのか?非常に疑問を覚えます。しかし、12歳ですよ、今時の12歳が何を考えているのか?またネットがある、という事がいかに影響があるのか?は分かりませんけれど、とにかくショッキングです・・・
まず、ちょっとズルい部分から。
非常に煽るような部分もありますし、焚きつけていると感じる部分もありました。何しろドキュメンタリーですし、編集していますし、都合の良い音楽で不安感を煽ったり、逆に親密味を音楽で表現したり、ある方向に結論を引っ張っている、と取られても仕方のない編集の仕方をしています。まぁでもドキュメンタリー映画ってそういう部分ありますよね。それが無いドキュメンタリー映画って私はフレデリック・ワイズマンしか見た事が無いですし、正直、ドキュメンタリーはフェアであるはず、と思ってみるのはかなり危険だと思いますし、未熟で幼稚な感覚なんじゃないかな?とも思ったりします。たかだか少し映画が好きと言うだけの私レベルでも理解出来る事なので、断る必要は無いとは思いますが。でも、この、そう感じさせる、有る一方に引っ張る、という意向が強くて、技術的に稚拙である事は指摘しておきたいです。印象操作はもう少し上手くやって欲しいです。ニュースだって印象操作をしていると思いますし、逆に全てのニュースをフラットにダイレクトに伝える事ってかなりの技術や配慮が必要です、ありのまま、かなり難しいですよね。
チェコ、と言えば私にはチェコアニメの事で、イジー・トルンカやヤン・シュヴァンクマイケルやブジェチスラフ・ポヤルなどたくさんの巨匠がいる国、そしてアーセナルで活躍したトマーシュ・ロシツキー選手を排出した国という認識しかありません。映画の中では数字が出てくるので、Wikipedia情報をどこまで信用するか?は置くとして、チェコ共和国1065万人という事になっています。神奈川県の人口が1000万人弱ですから、小さな国と言えるのでしょうか?
映画はオーディションの場面も撮影しているのですが、このオーディションに参加した正確な人数は忘れてしまったのですが、このオーディションの中で全体の7割くらいの参加者が、自分のSNSにネットを使った性的な嫌がらせを受けたことがある、という告白をしていて、もうこの先の惨状を予告しているようでもあります。
映画は、この3名の女性がSNSに接続して、すぐの段階から、かなりの人数の人間が連絡をとってきます。そして、ほぼ同時に、性的なコミュニケーションをとってきます・・・写真や動画で自らの身体を出し、しつこく3名の12歳の少女(に見える外見を持つ成人女性に対して)に服を脱ぐように強要してきます。
もしかして、これはフィクションなのでは?と思わせるくらいに、非常に単刀直入で、会話が成立していないのですが、性的欲望に直結しているのです。直接的で、欲望にためらいが感じられません。
この映画を通して、非常に自分の欲求、それもかなりパーソナルな性的な欲求に、単純、無配慮、幼稚、な言動を繰り返す、ほぼ男性が、目と口以外をモザイクで隠されて、出てきます。この後にチェコ警察も動き、証拠となり、起訴された人間もいるようです。
もし、相手の立場に立とうと考える事が出来れば、普通は出来ない言動を繰り返すす男ばかりです。とてもおぞましく、客観性の無い、大人とは言えない数々の言動を見ると、不快な気持ちになります。
と同時に2つの事を考えてしまいました・・・
1 なんでこんなにも屈折した 男性 ばかりが一定数、社会で生活出来ているのか?本当にこの人たちだけが異常なのか?そもそも男性性に根本的な問題があるのではないか?であるならばもっと法的に子供が守られる手段、つまり解決方法が映画の中でも模索、提示されて良いのではないか?専門家(弁護士や人類学者等専門家を揃えているのであれば、なおさら・・・)がいるのだから・・・
2 テクノロジーの進化には、良い面と悪い面が存在する、当たり前の事ではあるが。
という点です。
男性という生物の雄としての面が、文化的にもモラル的にも刷り込まれていれば防げる犯罪は世界でかなりの数にのぼると思います。人間という種族は進化の過程におり、非常に危うい存在である、という事について考えを巡らせてしまいます。大人、という概念も結構最近の出来事だと思います。もう1つ上の概念を作っても良いような気さえしてきます。
あと、1名だけ、顔のモザイクが消える案件があるのですが、強い違和感を感じました。映画の中での学者の言い分を信用するのであれば、ペドは関係性を持とうとする分、映画の中の多数派である直接的な性関係を、支配しようとする欲求はあり得ない、と言っていてのに、この人物は関係性を持とうとしていますので、より厄介な存在に見えるのです。そもそも成人男性が12歳の子供と、SNSを通して会話をしたい、という段階で既に私にはかなりの屈折した『何か』を感じます。
非常に考えさせる映画でした、ドキュメンタリーとしては、技術的に稚拙、とさえ思いますけれど。もっと配慮や対策は必要だったとさえ思いますが、想像以上の輩の多さだったんでしょう。これ、日本でやったらどうなるのか?と考えるだけで、もっと暗い気持ちになります、なにしろマザコンとロリコンの国だと思うので、特に性的な関係性において。しかもそれを善しとする部分がかなりあるし。この映画の中では2458名の大人からのコンタクトがあり、もちろん女性も含まれていたのでしょうけれど、日本ならどうなんでしょうね。
また同時に思いだされるのは、これがSNSじゃなく、家庭内で起こった事例である、ウディ・アレンの事を考えると、さらに吐き気を催す事になりますね、ネットなら切ればいいけれど、養子として家庭内に居る場合は逃げ場は無くなるわけですから。それを洗脳と私は呼びますけれど。と同時に、それでも映画監督としての技術を卓越させる事が出来たくらい何作も映画を作り続けた男でもあります、テーマはどれも大して変わらず諦観を分かってる俺カッコイイ、で終わりなんですけれどね。
あと、本当に顔へのモザイクは必要だったのでしょうか・・・もし、私が監督であるならば、裁判の結果が出てから、罪状を字幕で入れつつ、モザイクはしないと思います。ただし、それは顔のモザイクの事です、モザイクなしにこの映画は成立しない気がします、普段は映倫のモザイクに異論を唱える私でさえも。それほどまでに、安易に、直接的に、表現をする、この男性たち・・・しかし私にはどうしても、この男性たちだけが異常なのだ、とは思えなかったです、仮にチェコ共和国の人口1000万人の半分が男性で500万人、うち2000人程度だとしても0.04%、つまり1000人に4人はいる計算になってしまいますから。
子供の置かれている現状について知りたい方、特に男性が男性性について考えてみたい方にオススメ致します。