土井裕泰監督 東京テアトル
7月も終わりに近づいています、という事は、年末まであと5ヶ月しかありません・・・そんなわけで、そろそろ2021年公開作品がDVDや配信プラットフォームに降りてきます。そんな中、まず、私に1番関係ない映画なんですけれど、映画も趣味な方から、これは恋愛映画の形をした、サブカルホイホイ映画なので履修しておくように!とのお言葉をいただいたので、これを機会にU-NEXTに加入してみようと思って観ました。
2020年オシャレなカフェ(と私が書くとオシャレには絶対想像できないのはどうしてなのか・・・)で、ある男女のカップルが、携帯電話から伸びたイヤフォンコードの片方を自分に、片方を相手に耳にして、同時に音楽を聴いています。そのカップルのテーブルを見つめるさらに2つの男女カップルがさらに2組います。1つ目のカップルの男(菅田将暉)はそのイヤフォンカップルを見つつ「彼らは音楽が好きなんじゃない、イヤフォンは両方揃って初めて音楽となる」という趣旨の話しをし、しかしその彼女さんはそれほどイヤフォンカップルには興味がなさそうです。もう1組の別のカップルの女(有村架純)はこの同じイヤフォンカップルを見つつ「ベーコンレタスサンドをベーコンとレタスを別々に食べたら、それはベーコンレタスサンドではないように、彼らが聞いているのは同じ曲じゃない」という趣旨の話をしていますが・・・というのが冒頭です。
これは、結構なあるあるの話し、切り取り方と、タイミングが凄くドラマっぽいのに、起こっている事はごくごく自然な、そういう話しで出来上がった映画です。ですが、それは主人公カップルに自己投影出来る人であって、そういう人はこの映画の観賞後に、自分語りをしたくなる作品だと思います。そして、そうでない人には、きっと絵空事にも感じられるのではないか?と思います、そんな作品です。
そして、果たして、今の20代前半の方々は、どのくらい、本を読み、映画を見て、美術館に出かけ、そしてラジオを聞いているのでしょうか?私は年齢設定として、少し上、つまり現在進行形の男女カップルを対象にしているのではなく、もう少し上の人に向けて作られているような気がします。もちろん文化的なハイソサエティな人たちもいらっしゃるとは思いますけれど、対象としてはもう少し上で、このような経験をしている人に共感、もしくは懐かしさ含む過去の、いや懐かしさ含むからこそのノスタルジー的な甘みの、甘み部分のみを強く(えっと前半が特にですけど)したような作品に感じました。
それと、就活映画として名作過ぎる三浦大輔監督作品「何者」(の感想は こちら )の登場人物と同じ人が演じているので、その点もよりごっちゃになりやすいと感じました。
そしてこれはサブカルホイホイ映画、だということがよく理解できました。tbsラジオ菊池成孔の「粋な夜電波」を聞いている大学生がたくさんいるとは、やはり思えなかったですけれど、個人的にはこの名前が出てくるだけで嬉しくもあります。穂村弘さんが有名になって嬉しいなぁ〜歌人としてのご活躍はあまり追いかけていませんがエッセイ「世界音痴」の衝撃はなかなか忘れられないし、今では文春で連載持ってるし、大学生にも認知されてて良かったなぁ。堀江敏幸さん、あのセンテンスの長い、切れ目のなさや終着点がどこにくるかわからなくて読み進めてしまう読書感はこの人ならではだなぁ「おぱらばん」懐かしいなぁ、「回送電車」も素敵だったしなぁ。今村夏子さんは「こちらあみ子」しか読んでないからなぁ。舞城王太郎のデビュー作「煙か土か食い物」からホント絶好調だったよなぁ、この人の擬音表現は本当に面白いしオリジナルだなぁ。などとオジサンのサブカル読書遍歴を妙に抑えてくるのは個人的には嬉しいですけれど、2015年に大学生の人が読んでるラインナップにはなかなか見えなかったなぁ、もっと新しいものを読んでいる気がします。
しかし、そういうサブカル以外にも、いわゆる男女カップルがやるであろう色々な事を、菅田将暉さんと有村架純さんで見せてくれたら、それは誰でも自分の過去バージョンを美しく思い返せると思います。ええそれをファンタジーと人は言いますけれど。
菅田将暉さんは凄い役者さんですね。男性として、凄く整った、とは多分言えないし、体つきも普通なんですけれど、表情の多さ、多彩さ、屈託のなさはちょっと同じような人見たことがないです。有村さんも大変美しい上に、どこにでも居そうでいない感があっていいですね。この人は詳しく知らないですが「何者」の時も、なんか特徴が無いと言っては失礼なんでしょうけれど、周囲の役者さんがあまりに良かったので個人的な印象では埋もれてしまった感がありました。でも旬って感じがお2人からしますし、だからヒットしたんだと思います。
こういう出会いがない人もいるでしょうけれど、流石にここまで、たくさんの偶然が重なる事は無いと思います。それでも、もし、こうであったら、という幻想としては素晴らしいファンタジー。
終わり方も、凄くドラマっぽくて悪くないです。あと、この2人はきっと良い友達になれると思います。恋愛関係は必ず、ええ、断言しますけれど、恋愛感情は必ず終わります。そういう風にできていると思いますし。経験的にも、理解できますけれど、割と若い頃は認められませんし。恋愛関係は終わりがありますけれど、友人関係は割合長く続く事が多いと思います。それにまぁ恋愛関係は酔っ払いのようなもので、それは心地よく酔っ払っているのは気持ちいいのですが、日常生活を送るのには酔っ払ってばかりはいられませんから。
それと指摘しておきたいのは、好きなことを仕事にするのはとても大変で難しく、そして好きで居続けるのはもっと、もっと難しい。私は好きな事は趣味にした方が良いと思いますし、仕事は仕事としてやりがいある事にするのが良い距離感です、自分の場合は、ということになりますけれど。
この映画を観た若い方々は、恐らく名言と捉えられる言葉がたくさんあるのも面白いと思います。私にとっての大学生の時に観たロブ・ライナー監督作品「恋人たちの予感」と同じように心に残る人もいらっしゃるでしょうし、それは素晴らしい事だと思いますし、残念ながら私の場合はオジサンとして感性が死滅しつつあるので響かない作品として記憶に残る感じです。でも、50を超えて、この作品に喰らう人もいるかもしれない、自分ごととして受け止められる人もいるかのしれません、それはそれで凄いと思う一方、恐ろしいことなのではないか?とも思います。20代でこの映画を観た人には響くかも知れません。
私が心に刺さった言葉は「始まりは終わりを内在している」と「猫に名前をつけるのは最も尊い行為の1つである」(この言葉には元ネタがあると思うんですけれど、ちょっと思いだせない悔しい)の2つです。
恋愛関係を見ていると、見ている私(を客観視している私)が恥ずかしくなりますね。
こんなに綺麗な最後なら、別にもう新しく相手をどうするとかじゃなくてよくなると思うんですけれど。ま、まだ若いからかも。
それと、是非この映画が面白いっていう人はデレク・シアンフランス監督作品「ブルー・バレンタイン」とアスガー・ファルハディ監督作品「別離」を観たらいいと思う。きっといかにこの映画が優しく、そしてある意味ゆるいか?というのが分かると思う。
恋愛映画ではなく、カルチャー全般に、特にサブカルチャー(ってこの言葉も賞味期限が近付いている事でしょうね)に興味のある方にオススメします。
パク・フンジョン監督 クロックワークス
「悪魔をみた」(の感想は こちら )の脚本家、「新しき世界」(の感想は こちら )の監督、パク・フンジョンさんの作品です。結構な極限状態を描いた作品だと思います。ですが、私は今作は脚本に、もう少し、練り上げが必要だったと思います。決して悪くないんですが・・・
プロローグ 空港から降り立った男(チャン・ドンゴン)は後輩と思われる男から、車を借りてある店に立ち寄ります。そこにはアメリカ人であるポール(ピーター・ストーメア)が居て・・・というのが冒頭です。
章立てていますし、ある種の円環構造ですし、韓国ノワールとしてもなかなかな作品です。今回は三つ巴の争いを描いている、という事だけ理解していればまず問題ないと思います。
この映画のタイトルであるVIPは何を指しているのか?といえば、ネタバレには繋がる可能性もあるかと思いますが、どう考えても非常に問題のある、しかしなかなか手が出せないある人物の事、だと思います。
韓国ノワール作品をたくさん見ている訳では無いのですが、今の所、韓国ノワール作品のベストは「アシュラ」で次点で「殺人の追憶」です。
今作も、非常に意欲的な展開ですし、アクションもありますし、バイオレンス描写もあります、今回はぼかしさえありました。それも製作者側の意図なのでこれは問題ないかと思いますけれど、大変ヒドイ行いを逃げずに描いています。
ですが、私は脚本に少し問題というか、まだもっとブラッシュアップ出来たんじゃないかな?と思っています。ココはネタバレに繋がるので、後ほど。
ですが、三つ巴の戦いと言う意味では新しいですし、それぞれの役者に光が当たるシーンがあり、これは良かった。
国家情報院の一員であるパク・ジェヒョクを演じたチャン・ドンゴンの、成長というか変化、その凄みがイイですね。またキャラチェンジにメガネを効果的に使っているのも良かったです。
次いで警察の荒くれもので能力も高いが態度もデカいチェ・イドを演じたキム・ミョンミンの、その横暴さもさることながら、しかし綺麗事では済まされない場合の、緊急事態の、生命がかかっている場合の、覚悟、警察機構としての重要性がかかる事態だからこそ、の、覚悟があり、非常に魅せます。もちろん、そうはいっても越権行為でもあり、暴力的な犯罪でもある部分もかなり含まれますけれど。
さらに、ある組織からの脱出者リ・デボムをパク・ヒスンが演じていますけれど、この方も影が合って、それが良い感じです。寡黙で、しかし執念を燃やす男。ちょっとスーパーマンのような何でもできる男になってしまっているのが、実は脚本の弱さでもある気がします。
そしてこの三つ巴の中心にいるのがキム・グァンイル(イ・ジョンソク)です。まぁこの傍若無人ぶりが凄い。とはいえこの人も脚本の弱さを、この暴力性で補わなくてはならない点が可哀想な気もしました。やってる事は1mmも養護できませんけれど。
かなり複雑な脚本ではありますが、章立てているので、最後には分かるんです。
演技にも問題ないですし、アクションも悪くないと思いますが、やはり脚本が弱いと言わざるを得ないです。
韓国ノワール映画が好きな人にオススメ致します。
アテンション・プリーズ!
ネタバレありの感想です。
私だったら、ここまでやるのであれば、こうしたい!こうなって欲しかった!という勝手な想像を書き出してみました。
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VIPこと、キム・グァンイルが屑な事はとりあえず皆様同意できると思いますが、この拘束の仕方、とても不満があります。彼の切り札は北朝鮮の親の、資産と情報であり、そんなものは口が喋れる、もしくは指で字が書ければ、何の問題もありません。この人物が行った行為に対してヌルいじゃすまないと思いますし、それだけの描写を入れるのであれば、私は最後のカタルシスが大切と言うのも分かりますけれど、その前に、人体破壊描写は合って良いと思います。要人かも知れませんけれど、口が情報を話せるのであれば問題ない程度の破壊は必然だと思います。本当にこういう部分がダメです。そこまでいかずとも、指を折るなどは暴力者の警察には行って欲しいですし、交渉のカードとしては生きていれば価値があるわけですし、この辺はもっと現実は悲惨だと思います。そのような対応をすれば防げた部分がこの映画の脚本では大きいと思います。私が残虐なのではなく、まぁシェイクスピア作品は古典とされていますけれど、シェイクスピアの作品に「タイタス・アンドロニカス」という作品がありまして、これを読んでいただければ、私の言わんとしている事が、私の残虐性ではないと思っていただけると思いますね。かなりの古典的作品で既に行われています、そういう意味でもヌルいと感じてしまいました。
また、確かに三つ巴は新しいし面白いのですが、いかんせん、個々対応なので、横の連帯感、バディ感が生まれません。ココが1番飲み込みにくいです。その為の退場シーン、警察官チェ・イドは詰めが甘すぎます。もっと痛めつけておけばここまでの状況には陥らなかったでしょうし、悪を裁く事にかけては何を行ってもイイという部分が彼の特徴なのに、この辺の人物像がゆるい感じがします。ただ、詰めが甘くて撃たれたことによって退場、に見えると、凄く冷めてしまいますし、自業自得に見えるんです。
同じように北朝鮮工作員としての脱北者リ・デボムはさらにヒドイです。結局連れ帰って北朝鮮での制裁、償いを負わせる、だから南では無理だ、と言っていた割には、連れ帰ってまでいるのに、あっさり買収されていたのか、彼の計画がずさんだったのか分かりませんけれど、評価として、詰めが甘くて、返り討ちに合って当然、に見えてしまうのです。ここまで拘ってきた相手に国家としての償わせる事に拘ってきて、法律も破り、脱北し、犯罪にまで手を染めた人物が、いったい何だったのか?と言う風に見えすぎます・・・残念です・・・
なので、国家情報局のパク・ジェヒョクがスパルタ方式に血も涙もない男に変わるきっかえとして、この2名の死が繋がらないのです・・・ここが本当に残念。
なので私だったら、もっと拘束されている間にVIPを痛めつけてでも、どちらにイニシアチブがあるのか?例えば警察であっても、国家情報局であっても、脱北工作員であっても、ある程度のリスクは覚悟の上で、VIPから情報を聞き出し、この情報を基に他者と交渉に入ろうとするグループを作ると思います。出来たら警察官のチェが1番面白くなると思います、1番権力構造から言ったら下っ端ですから。
それでもVIPと一緒じゃないと価値を持ちません、何故なら証明するには本人がいないと違った場合に対処できないです。ですので、その交渉にCIAの手先であるパク・ジェヒョクと交渉すると思います。ここで警察官チェとパク・ジェヒョクの間に連帯感が生まれるはず。その上で工作員と交渉して身柄は工作員に渡すにしても、情報と金は警察とCIAで山分け出来ます。さらに工作員がいきなり返り討ちなんじゃなく、VIPが怪我している事を責められての投獄、さらにVIPは落とし前の為に数年後に韓国に潜入、リターンマッチとして、パク・ジェヒョクとチェのタッグと再戦、その中でチェが撃たれてしまうがジェヒョクがかたき討ちを果たす、と言う風にすれば、もっと良かったのに。
エメラルド・フェネル監督 パルコ フォーカス・フィーチャーズ
エド・パーキンス監督 Netflix
ラジオ番組であまり知られていない映画の特集の中で紹介されていたので観ましたが、衝撃的な関係性、のドキュメンタリー映画でした・・・
漫画家吉野朔実のモチーフに何度も出てくる双子(ぱっと思いついたのですが、確か村上春樹の「1973年のピンボール」も双子の話しだったな)の話しです。双子ってすごく憧れのある存在だと思います。何かしらの神秘性や同時存在性の揺らぎを感じさせてくれます。でも、当たり前ですが、それぞれ違う人、環境と言うか時間の1回性、その時その場にいる事でしか得られない経験の多様性があるわけです。でも存在しない仮の自分の双子の存在を考えてみると、凄く不思議な気分になります。
1980年代のイギリスで当時18歳の双子片割れであるアレックスは交通事故に遭い意識不明の重体になってしまいます・・・目覚めたアレックスは、隣りにいるマーカスが双子の片割れである事は何故か思いだせるのですが、その他のいっさいの記憶がありません・・・自分が誰なのか?目の前で泣き崩れている女性が母親だという認識すらなく、日常生活にまで支障をきたす中で、マーカスを頼りに生活を再建するアレックスなのですが・・・と言うのが冒頭です。
人間の脳の機能が失われると、個性とかアイデンティティが失われる事と同義だと感じます。私の連続性を担保しているのは、非常に不完全な私の脳の不鮮明な記憶でしかなく、その記憶が失われてしまえば、自分がなんなのか?という哲学的疑問の中に置き去りにされる事に繋がると思うのです。
もし、何らかのアクシデントによって記憶が失われてしまい、そして自分に双子の兄弟が居たとして、その双子の話しを受け入れる以外に現実を知る事が出来なければ、いやそもそもこの状況になった誰しもが、双子に頼ると思うのです。
しかし事はそう単純ではなく、双子が置かれている状況そのものが非常に特殊だった場合、果たして真実を告げる事が、善き事なのか?という葛藤に、双子の片割れは悩むのです。
ちょっと寄り道しますけれど、私はその方の顔には、ある種その人が生きてきた証がある程度、出る、と思っています。もちろん偏見です。ですが個人的に誰とも共有していないある種の経験則のようなものがあります。オカルトと言われればそれまでですが、しかし、説明は出来ないけれど経験則として、人物の顔にある種の傾向を感じますし、自分と関りが無いと何とも言えませんけれど、関りがあるのであれば、何となく納得できる傾向を感じる事が出来ます。これは、報道もそうですけれど、そうみえる写真(まぁ報道とは言え、容疑者の写真に見栄えが良いモノをわざわざ選ばない、と言う意味です)を用いていますし、印象操作していると思います。そうつまり感じ取れると報道する側も思っているし、印象操作をしようと思っているんだと思います。
そういうその人の顔の証みたいなものが、恐ろしい事に、このドキュメンタリー映画の中で、より強く感じるのです。
それは、記憶喪失した人と、一卵性双生児の、記憶を保った人物の、重みが、顔に出ていると感じるのです。
記憶喪失のアレックスは記憶を取り戻したいという意欲溢れる、ある種の若ささえ感じるのですが、ある秘密を抱えて生きているマーカスの、同じ一卵性双生児の面影はあるが、死線を潜り抜けてきた戦士のような深みを感じるのです。これは私の偏見なんだと思いますけれど、正直、年齢さえ違って見えるんです・・・
それほどの何かを抱えて生きているマーカスと、知りたいアレックス、この2人の葛藤を描いたドキュメンタリー映画です。
双子に興味のある方にオススメ致します。
監督 不明 Netflix
私は完全なる猫原理主義者ですので、まぁ大変面白く観ました。基本的には人間よりも猫の方が優れている、と心の何処かで思っています。猫を飼っている、と思っているうちはまだまだで、飼わせて頂いている、から、お世話させてくださってありがとうございます、まで行くと、有段者くらいの感覚です。もちろん私は初段くらいですし、世の中には黒帯を超える有段者も多数いますが、そこまで行くと(現状もですが)生きていくのが難しくなるので。
オランダの人気猫『アバツツ』と猫にまつわる動画を組み合わせた映画です、ですが、調べても監督の名前が出てきませんでした。これは非常に稀なことだと思います。
猫の優れた点は挙げるとキリがないので、ただ存在するだけでありがたい気持ちです。
アバツツという主役の猫様が太めでかわいい。健康には気を遣って欲しいけれど、大変可愛い。
猫好きな方は見ることをオススメ致します。