木下恵介監督 松竹
あのサム・ペキンパーのようだ!というのと、日本の戦争映画にはまず見られない、戦争加害者としての側面を珍しく捉えている作品、と聞いたので、DVDまでお借りして見ました。
当たり前ですけれどどんな戦争でも、戦勝国と敗戦国のどちらか、あるいはその中間に位置すると思いますが、どのような関りであれ、被害者だけではなく、加害者でもあるわけです。それと自国民がこの戦争は何だったのか?という検証を国家レベルである程度は行う必要があると思います。とにかく極端過ぎる意見を話す人があまりに多い気がします。特に負けた方は・・・
現代的なカラー映像で恐らく北海道の、農家や自然をカメラがとらえています。トラックが道にタイヤを取られ、人手が必要な場面でも気軽に声を掛け合い仲間が集まってくる映像のあと、タイトル。このアバンの幸せさ風景が、より強い不安感に繋がります。モノクロに変わって、1945年夏・・・北海道の僻村に住む叔父を頼って東京から疎開した園部一家、祖母、母、兄、弟、姉、妹の6人は・・・と言うのが冒頭です。
木下恵介作品は、私は「二十四の瞳」しか見ていませんし、小学校くらいで何処かで見たのか?思いだせないので詳細も覚えていません、なんか哀しい話しだな、という印象だけです。ですのでほぼ初見と言ってよいかと思います。
菅原文太さんの非常に狂気を含んだ演技も恐ろしいですし、それこそ弱者をコントロールしたい欲、人を思い通りにしたい欲求に、身体的リビドーが重なった場合の、自身の持つ暴力に躊躇が無く、しかも大変男性的なイヤさを存分に演じて見せた部分、脚本としても演技としてもすさまじいです。
そして岩下志麻と加賀まりこの美しさも、この時しかない輝きがあります。ただ私が最も好ましいと感じたのは叔父を演じている加藤嘉さんです。このキャラクター、村での立ち位置、その立ち振る舞い、演者の演技の説得力もあって、とても良かったです。
あくまで僻村の、その集団真理を扱った作品ではありますが、全然現代を舞台にしても変わらない心理をテーマにしていますし、非常に日本的、家父長的、で、平和な時は問題ないんでしょうけれど、一たびこじれてしまった場合に行われる暴力を描いています。そして、すごくサム・ペキンパーの「わらの犬」と同じテーマだとおもいますが、日本を舞台にすると、家族になり、イギリスを舞台にすると、個人に収斂する部分が妙に納得してしまいました。この作品は1963年公開で、ペキンパーの「わらの犬」は1972年の作品と言う意味でも、木下恵介監督の凄さが分かります。
ナレーションの、その存在に、木下恵介監督風、を感じます。
この狭い地域で暮らしている人々の、もっと言えば田舎の閉鎖性とでも言いましょうか、凄く視野狭窄なんですけれど、その世界しか知らなかった場合、これが普通なのだとも思います。それにしても恐ろしいのは、今でも十分にありうる、と思える事ですし、この危害を加える側の感情の共感、議論や公平性を無に帰そうとも、己の感情を優先させる事の恐ろしさ、その感情に抗えない個の弱さを感じます。
エンディングで流れる現代の、おそらく同じ村の風景、その人々の助け合う風景を見せられた時に、それでもこの村では今でも変わらず、生活が続いている事の恐ろしさ、が浮かび上がる瞬間が私には恐ろしいのです。
集団心理の恐ろしさ、加害者側の忘却と言いますか無自覚性、自分を絶対の正義に置いてしまった場合に鋭く働く暴力性の恐ろしさを描いた名作だと感じました。
多分今ではこの村では、あの時はどうかしていた、と言う認識で、誰も裁かれず、全員が被害者、と言って無かった事になっているのでしょうね。そういう風にナレーションの言葉を、文脈として解釈できる作品。とてもTHE・日本だと感じると同時に、凄く恐ろしい・・・
サム・ペキンパーの「わらの犬」が好きな方に、閉鎖空間で起こりうる恐怖に興味のある方にオススメ致します。