アルフレッド・ヒッチコック監督 ワーナーブラザーズ
そろそろ2021年公開作品を毎年のノルマを考えると始めないと間に合わないので「私は確信する」を見始めたのですが、途中に出てくる容疑者がヒッチコック愛好家の教授で「間違えられた男」だな、という話しになったので、そう言えば完全に忘れちゃってる・・・と思いU-NEXTに入ってるので観ました。
1953年に実際に起きた事件を基にした1956年公開映画です。強盗に間違えられた男の悲劇を、男に絞って描いています。非常に恐ろしく、そして破滅的になっていくので、ヒッチコック自身はいつも映画の中に観切れて出てくるのが普通ですが、事実に基づいている事、内容を鑑みてだと思いますが、いきなり冒頭に、それも非常に遠くから、観客に向けて、訴えるという特殊な出演になっています。
主人公はクラブのバンドのベースマンであるマニー(ヘンリー・フォンダ)で昼夜逆転生活を送る男ですが、家族思いで妻とも良好な関係の、1950年代の男です。妻の親知らずの治療費300ドルを何とかする為に・・・というのが冒頭です。
本当に、今の時代と比べると、当時のアメリカというか恐らくすべての世界の人が、善良だったと言えるのではないか?と思うくらい、皆かなりまっとうに感じました。そしてこれが古き良きアメリカ映画だなぁ、と強く感じました。確かに古いしノスタルジックではありますけれど、マニーになりきって見たら、今でも十分な恐怖を感じます。
もちろんマジックミラーも無い世界では、面どおしはお店に容疑者を連れて行く、という事実にびっくりしたりしました。まぁ当然そのような手法を取らないといけないわけですけれど。
ヘンリー・フォンダが凄くまともな男を演じているのですが、まともでまっとうな男が巻き込まれた事実を基にした映画なので、かなりキツイ話しですし、これ以上酷くなるのか!という驚きもありますが、それにしても、皆が善良な市民に見えました。
流石のヒッチコック作品。
東京都美術館
ジュリアン・シュナーベル監督 ギャガ
YouTubeの『オトナの教養講座』で西洋美術がとても楽しめるようになり、やっと時代的な経緯、影響の余波、そして西洋絵画のある程度の俯瞰が出来るようになりました。そして、今、東京都美術館で「ゴッホ展」が来ていますし、その為にも、フィンセント・ファン・ゴッホについて少し調べてから観に行きたいと思っているので、観てみようと思いました。
フィンセント(ウィリアム・デフォー)は全く売れない画家であり、新しい画家の集まりに参加したのですが、そこでゴーギャン(オスカー・アイザック)と出会います。フィンセントは心に闇を抱え、理解者は弟のテオ(ルパート・フレンド)だけであり・・・というのが冒頭です。
誰もが知っているフィンセント・ファン・ゴッホの後半生を描いた映画です。それも様々な解釈が成り立つ、と同時に物凄い数の手紙が現存していて、細かな点もある程度分かっているゴッホの後半生、アルルに向かう辺りからが描かれています。
今までは、私には好きな絵があってそれが増えて行けばいいな、という感じで絵画鑑賞を楽しんでいましたが、山田五郎さんのオトナの教養講座を視聴するようになってから、画家の生涯や与えた影響、確立した思想や技法、その発表や時代の流れなど、様々な事柄を、それも素人ながらという事ですが、つまり歴史的な流れを伴って俯瞰するように観れるようになってから、とても楽しく観れるようになりました。まだまだ勉強はこれからですけれど、美術館に行くのが今までよりも、ずっとずっと楽しくなってきました。あくまで絵単体だけの評価も、それも個人の好き嫌いも非常に重要ですし何を感じるか?は自分次第も大切ですが、その軸とは別に教養、つまり対象の選び方、技法、作者周囲の情報や繋がりを知る事でもっと深く理解出来ますし、西洋絵画史って本当に全く全然美術の時間では習わなかったわけで、この辺の歴史的解釈が出来る事の面白さが、まさに知る楽しみに直結していて、美術やアートにより興味が惹かれるようになったので、ゴッホ、今まさに東京で観られる作品、これは映画でも観ておかなければなりません。
確かに有名な耳切り事件もですが、非常に特徴のある凹凸の感じられる表現や、生前にはほとんど評価されなかった悲哀も含めて、そして誤った解釈で伝わろうとも、ゴッホは日本を愛していたわけで、日本に近しい画家と言えると思います。
この映画では、やはりゴッホの破天荒とも言えますし、やはりなんらかの精神疾患の影響がある事をほのめかしていますけれど、その病気と周囲の理解の程度のギャップの大きさには、本人も周囲の人々も、同じように困った事態だったろうなと思います。無理解が悲劇性をより強くします。
ゴッホもそうですし、というかどんな世界のジャンルも同じだと思いますが、真の天才は同時代には評価されないモノだと思います。この評価がゆるぎないものになるのか、それとも一時的なモノなのか?は時代が進まないと誰にも分かりません。常識はその都度変化しますし、評価も時代によって変化していく事もあると思います。物凄く大雑把に、音楽で言えば、ベートーベンが評価される時は割合昭和的な、物語性や不遇を努力で乗り越える様に価値を置く時代だと思いますし、逆にモーツアルトの場合はもっと天才性、その努力ではなく(もちろんめちゃくちゃ努力していると思いますけれど)天才性、センスについて評価が高まる時代な気がします。
ただ、ゴッホはこの映画でもそのように描かれていますけれど、自分の絵を評価してもらいたい部分も少しはありますけれど、それよりもはるかに、描きたい、という衝動を抑えられなかった、という様だったのではないか?と思います。
病がどのように作品に影響を与えたのか?私にははかり知る術がありませんけれど、夜空の星や糸杉の描かれ方は、何かしらの美しさと同時に狂気を感じます。
マッツ・ミケルセンが出演してくれているのも嬉しい驚き。そして最近観た「潜水服は蝶の夢を見る」と同じ監督作品でした。これも偶然ですけれど、この偶然に意味を持たせる事が出来るかどうかは私次第だと思います。
デフォーも頑張っていますし、本当に自画像の絵画で知るゴッホに物凄く似ているのですが、ゴッホは享年37歳・・・ちょっとデフォーは年齢が離れすぎているように感じてしまいました、物凄く似てるんですけれどね。
ゴッホが好きな方にオススメ致します。
早く東京都美術館に行かないと!
春本 雄二郎監督 ビターズエンド
2021年の個人的ベストは「プロミシング・ヤング・ウーマン」(の感想は こちら )だと思ってました。ストーリィとしても2021年の映画だと思いますし、確かに欠点が無い映画ではなく、結構な穴もあるにはあるんですけれど、好みの映画だ、という事と、私は正直全然乗れないんですけれど、いわゆるスーパーヒーロー映画へのアンチテーゼにもなっていますし、それって「正義」と「私刑」の話しですし、結局のところ、誰もが絶対的な「正しさ」を持つ事は出来ない、という部分への鋭い指摘を、自身で示しつつ、観客にも向けている部分が好ましいと感じたわけです。まぁ退場の仕方は確かに問題なんですけれど、私は今は無き存在への鎮魂歌として、良い作品だし2021年さを感じたわけです。この映画を観るまでは。
しかし、「由宇子の天秤」はその上を行ったと感じています。これまた2021年の今作られるべき作品だと思います。
現代日本の何処かの川辺に佇む男がリコーダーでもの悲しい曲を吹いています。その姿をカメラが撮っていて、そばにいる女が男に話しかけています、どうやらドキュメンタリーを撮っているようで、由宇子(瀧内公美)はテレビドキュメンタリーのディレクターです。ある事件を追っているのですが・・・というのが冒頭です。
物凄く誠実な映画だと思います。少し詰め込み過ぎなきらいはありますが、綿密に計算された間、必ず受け手の予想を食い気味で起こる次の展開、まさに脚本の勝利な映画だと思います。私はこういう作品に弱い、すぐにヤラレタと思ってしまいます。
誰しもが、この映画の中で、次の展開を予想してしまいますし、そういう時間というか間も計算されていると思わせてくれますが、その上を行く展開を用意していますし、そのタイミングが一か所気になる部分はありますが(ネタバレに繋がるので避けます)、その他は皆無だったと、1回目の鑑賞では思います。必ず複数回見たくなる作品。
脚本の素晴らしさについては、ネタバレも含まずにはいられないので、触れません。最もこの映画で素晴らしいのは脚本なのですが。でもそれ以外の良い所があり過ぎるくらいの印象です。この映画を観てから数日経っていますが、ずっと考え続けています。
役者さんたちの素晴らしさについてなんですけれど、主演の瀧内公美さんの全てが良かった。眼差し、内なる苦悩についての表現、特に目の表現が恐ろしく自然。この映画の作り込み方から考えると、恐らく相当な回数、同じ場面を何度も繰り返し稽古し撮影していると思います。社会性、というか人は非常に多彩な表情や人格を含んで相手によってその内なるキャラクターを演じ分けている(無意識で)とさえ言えると思うのですが、それをとても自然に行っているので、本当に驚愕です。なんでこんなに素晴らしい役者さんを今まで見逃していたのか!と思って過去の出演作を観てさらに驚愕するんですけれど、私、瀧内公美さんを何度も観ているんです・・・それなのに初めて観ているかのような、つまり演技によって別人のように見えるんです、本当に凄い。この映画はこのキャスティングだからここまでの完成度なんじゃないかな、と思いますし、これからは瀧内公美さんが出演している作品は基本的に観る作品になるくらいヤラレマシタ。ドキュメンタリーディレクターとしての矜持の保ち方、社会人としてのリアルな悩みについて、しかし非常に迷いが無く決断しているくらい強いにも拘らずの、それでもな瞬間の訪れ、そこに正面から立ち向かう姿はもう決闘に向かう人間に見えます。
ここに、さらに同じように難しい役に挑んでいるのが、めい役の河合優実さんです。めちゃくちゃ難易度が高いキャラクターであり、本作の肝の人物で、非常に表現が難しいんです、そのグラデーションに説得力が無いと。ですから、かなり監督の要求も高かったはずなんですけれど、そこを完全にクリアーしていると感じました。凄い役者さんで、この人も追いかけないと、と思って過去出演作を観ると、またこの人を見ているんです。しかも今年に。「サマーフィルムにのって」(の感想は こちら )のビート板という役名の彼女がこのめい役だなんて、言われないと分からないです。本当に驚愕の演技力。ただ単にやはり私の目が節穴だという事がここで証明されたのですが、そんな事はどうでも良くて、役者さんの、演じる人になりきる、とはどういう事か?を改めて認識させてくれました。
この2人に勝るとも劣らない、印象度で言ったら最も強いのが、めいの父親役を演じている梅田誠弘さんです。
恐らく、初めて観る役者さんだと思います。しかしここまでキャラクターの本人感を出せるのが恐ろしい・・・話す言葉、娘である家族に対する態度と、非常にねじれた関係のような世間への態度、そこからなんとなく分かる非常に鬱屈とした、しかし虚勢を張る相手は選ぶし、それも本当の虚勢であって、何かしら心が砕けて失われてしまった過酷労働体験者の、その佇まいを演じれているのです。いや、演じているのではなく自然にそう感じさせるのです・・・恐ろしい、私は役者さんが凄すぎて恐ろしいと感じた事はあまり無かったと思いますが、まるでヒー・レジャーが演じたジョーカーを観た後の衝撃度と同じクラスの衝撃を覚えました。梅田さん、今後も出演作は必ず観なければならない、と思います。
ここに、さらにシン・ゴジラでの早口記者として非常にインパクトの強かった川瀬陽太さんがいわゆる一般的な社会感覚の持ち主として出演されていて、この川瀬さん演じる人物と由宇子との緊張感あるバディ感がたまりません。
さらに由宇子の父役三石研さんの演技も相当だと思います。父であり、経営者であり、そして男である、という多面性のある、というか恐らく誰しも経験のある、それでも我々はリビドーを飼い慣らさなければいけない、という事の重みを体現する者としての男性を見事に演じていると思います。
一体どんなキャスティング方法を用いたのかと思ったら、ほぼオーディションとワークショップでのキャスティングで、ココにも驚愕しました・・・恐るべし春本監督、まだ43歳で長編映画は僅か2作しか撮ってないんです・・・驚愕につぐ驚愕です・・・
見逃せないのが美術。ここにも凄く細心の配慮がなされているんです。何処まで凄いんだ・・・
あまり言及したくないんですけれど、分かる人にはちゃんとわかるように、父親の職業が、会話で言われるよりも先に、美術によって示されています。完全に意図的に、そして細心の注意が払われているので、とても自然に、なんです。あるはずのないモノがあると、人は違和感を認識するのだと思います、そこまで私は計算されていると思いますし、そうでないと絶対にしない配置と画角だと思いますが、自然なんです。
生活困窮者の生活の澱のようなものまで表現出来ているのが、本当に恐ろしい。
とにかく、今年の今の所のベスト。まさか更新すると思ってなかったくらいのベストを越えたので、映画が好きな方、もっと言うとテレビを観る方に、強く、映画が好きな方には、強烈に強く、映画館で観ないとダメな作品でオススメ致します。
春本監督もよくこの事をご理解されているようで、鑑賞後(2021年10月7日(木曜日)10:00の回を観ました)、ロビーにてお話し出来たのが大変な僥倖でしたが、うっかり前作のDVDはないのでしょうか?と話しかけてしまった自分を恥じ入ります。映画館で観て欲しい、という事でDVD化を出来るだけ避け、劇場でないと観られないようにされている方です。志まで高い!人としてのステージが違いました、それなのに気さくに話しかけて頂き、本当にありがとうございます。
アテンション・プリーズ!
ココからネタバレありの感想です。出来れば多くの人がkの映画を観られる環境になって欲しいです。何しろ今は東京ですと、ユーロスペース1館のみの上映ですから。
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まずストーリィの展開ですが、本当に上手いのが、常に由宇子と共にカメラがあり、由宇子と共に時間経過が進んでいくので、回想シーンさえありません。しかもドキュメンタリーディレクターである主人公なので、凄く入れ子構造であることが、実は観客にも、貴方は何を考え選択するのか、この映画の場合はこうだったが、 あなたは 何を 選択すべきだと思うのか? という非常に強いメッセージ性にも繋がり、周到!と思いました。
最初、よくある(は言い過ぎました、時々あるくらい)生徒と教師の恋愛関係の末に、生徒が自殺、マスコミが報道を煽った結果先生も自殺、しかしその経緯が不明な事件、と聞いて、かなりストレートだな、という第一印象だったのですが、これは当然ですけれど布石なんです。本当の意味で『正しさ』とは何か?を突きつけるのは、自分が、撮り続けてきた事件の加害者側に、そして自覚が無くても、注意していても、誰でもなる可能性がある、と自分事として感じられた後、どのような態度を取るべきなのか?というまさに試練として降りかかってくるんです・・・
ココで真実を追求するドキュメンタリーディレクターとしての、由宇子の作品への嘘の無さは、大変如実に語られています。対象者への取材の難しさ、一歩間違えば企画そのものが無くなってしまう事、外注であるドキュメンタリー制作会社の資金的なギリギリのラインさえも、その交通機関の使用方法と時間伝達だけで理解させるのも凄まじいですし、説明口調ではない、自然さに繋がっていると思います。
真摯に作品作りを手掛け、時には弁護士から概観は住所特定に繋がる恐れがあるので避けるように、という指示に背いてでも、臨場感と作品の完成度として必要であれば辞さない由宇子の作品への熱意、かなりの強さです。もっと言えば少し強すぎるくらいで、仲間である上司やカメラマン男性仕事関係者との会話はほぼ男の友情的な、ツレと表現したくなる態度で、テレビ局の人間のダメ出し、妥協性、保守的な決定には牙を剝く、そういう人間として描かれていますし、最初はその場面由宇子の社会的な人格を見せつけられるんです。
大事な事なので書き記しておきたいのが、私にとって2021年日本公開映画で上位に来た作品に共通する点があった、という事です。由宇子のテレビ局員の食事へ行為は、プロミシング・ヤング・ウーマンの主人公キャシーと同じだった、という事を指摘したいです。あくまでこの2作なんですけれど、あまりに同じ様な事をしているのでびっくりしました。もう1点あるのが、性的被害の決定証拠である動画が出てくる事です。
そんな由宇子のもう1つの顔が塾講師としての顔です。
古くからある街の学習塾であり、生徒との関係が非常に近い、親近感のある学習塾として描かれていて、ココでの由宇子は、みんなのお姉さん的な人物で、職場とのギャップが著しいけれど、自然なんです。そこにははっきり過去にカンニングが見つかった事があるからという父親への尊敬と配慮が丁寧に、しかし手短に描かれています。同様に商店街での由宇子の立ち位置までもさらりと、しかし確実に誰にでも分かる、短いけれど確実に街に溶け込んでいる事が理解されているからこその、この後の衝撃度が重い。
まさかのめいの告白、父への詰問と急展開していきます。今まで追っていた事件と似た構図の事件が自分の周囲でも起こっている事を知る由宇子の胸中はかなりの驚きがあったに違いないのです。
しかし、同時に、由宇子はこの事件の向かう結果をケースとして見知っている。選択を間違えると、甚大な被害と、法よりも恐ろしい、罰しても良い、という烙印を押された人への執拗な攻撃がある事を。
それが簡単に人の命を奪い、生活を奪い、人間性を失わせ、家族やかかわりのある人をどれだけ崩壊に導くか、を由宇子は知っている。だからこそ、ドキュメンタリー作品で、そしてテレビというマスメディアで、傷つけられた人を、同じマスメディアを通して、由宇子の言葉で言えば生き返らせようと、している。