ジュリアン・シュナーベル監督 ギャガ
YouTubeの『オトナの教養講座』で西洋美術がとても楽しめるようになり、やっと時代的な経緯、影響の余波、そして西洋絵画のある程度の俯瞰が出来るようになりました。そして、今、東京都美術館で「ゴッホ展」が来ていますし、その為にも、フィンセント・ファン・ゴッホについて少し調べてから観に行きたいと思っているので、観てみようと思いました。
フィンセント(ウィリアム・デフォー)は全く売れない画家であり、新しい画家の集まりに参加したのですが、そこでゴーギャン(オスカー・アイザック)と出会います。フィンセントは心に闇を抱え、理解者は弟のテオ(ルパート・フレンド)だけであり・・・というのが冒頭です。
誰もが知っているフィンセント・ファン・ゴッホの後半生を描いた映画です。それも様々な解釈が成り立つ、と同時に物凄い数の手紙が現存していて、細かな点もある程度分かっているゴッホの後半生、アルルに向かう辺りからが描かれています。
今までは、私には好きな絵があってそれが増えて行けばいいな、という感じで絵画鑑賞を楽しんでいましたが、山田五郎さんのオトナの教養講座を視聴するようになってから、画家の生涯や与えた影響、確立した思想や技法、その発表や時代の流れなど、様々な事柄を、それも素人ながらという事ですが、つまり歴史的な流れを伴って俯瞰するように観れるようになってから、とても楽しく観れるようになりました。まだまだ勉強はこれからですけれど、美術館に行くのが今までよりも、ずっとずっと楽しくなってきました。あくまで絵単体だけの評価も、それも個人の好き嫌いも非常に重要ですし何を感じるか?は自分次第も大切ですが、その軸とは別に教養、つまり対象の選び方、技法、作者周囲の情報や繋がりを知る事でもっと深く理解出来ますし、西洋絵画史って本当に全く全然美術の時間では習わなかったわけで、この辺の歴史的解釈が出来る事の面白さが、まさに知る楽しみに直結していて、美術やアートにより興味が惹かれるようになったので、ゴッホ、今まさに東京で観られる作品、これは映画でも観ておかなければなりません。
確かに有名な耳切り事件もですが、非常に特徴のある凹凸の感じられる表現や、生前にはほとんど評価されなかった悲哀も含めて、そして誤った解釈で伝わろうとも、ゴッホは日本を愛していたわけで、日本に近しい画家と言えると思います。
この映画では、やはりゴッホの破天荒とも言えますし、やはりなんらかの精神疾患の影響がある事をほのめかしていますけれど、その病気と周囲の理解の程度のギャップの大きさには、本人も周囲の人々も、同じように困った事態だったろうなと思います。無理解が悲劇性をより強くします。
ゴッホもそうですし、というかどんな世界のジャンルも同じだと思いますが、真の天才は同時代には評価されないモノだと思います。この評価がゆるぎないものになるのか、それとも一時的なモノなのか?は時代が進まないと誰にも分かりません。常識はその都度変化しますし、評価も時代によって変化していく事もあると思います。物凄く大雑把に、音楽で言えば、ベートーベンが評価される時は割合昭和的な、物語性や不遇を努力で乗り越える様に価値を置く時代だと思いますし、逆にモーツアルトの場合はもっと天才性、その努力ではなく(もちろんめちゃくちゃ努力していると思いますけれど)天才性、センスについて評価が高まる時代な気がします。
ただ、ゴッホはこの映画でもそのように描かれていますけれど、自分の絵を評価してもらいたい部分も少しはありますけれど、それよりもはるかに、描きたい、という衝動を抑えられなかった、という様だったのではないか?と思います。
病がどのように作品に影響を与えたのか?私にははかり知る術がありませんけれど、夜空の星や糸杉の描かれ方は、何かしらの美しさと同時に狂気を感じます。
マッツ・ミケルセンが出演してくれているのも嬉しい驚き。そして最近観た「潜水服は蝶の夢を見る」と同じ監督作品でした。これも偶然ですけれど、この偶然に意味を持たせる事が出来るかどうかは私次第だと思います。
デフォーも頑張っていますし、本当に自画像の絵画で知るゴッホに物凄く似ているのですが、ゴッホは享年37歳・・・ちょっとデフォーは年齢が離れすぎているように感じてしまいました、物凄く似てるんですけれどね。
ゴッホが好きな方にオススメ致します。
早く東京都美術館に行かないと!