井の頭歯科

「逃げた女」を観ました

2021年11月30日 (火) 09:28

ホン・サンス監督     ミンサ・フィルム・インク

2021年見逃し後追い作品 その4

そうか、初めて観る監督で、これは結構考えさせられるぞ、という感じです。すっごくいかようにも考えられる感じでして。この監督はちょっと一筋縄ではいかないタイプ。明確なカタルシスは訪れないタイプの監督だと認識しました。他の作品も見てみないと、多分評価できないし、もしかしたら繋がりがあるかも知れません。

鶏が庭で飼われているくらいの田舎に見えるけれどソウルの何処か。結婚してから1度も離れた事が無かった夫が出張して久しぶりに1人になったガミ(キム・ミニ)は先輩であるヨンスンを訪ねるのですが・・・

別に著しく難解な映画ではないと思いますし、ただ単に明快な答えを提示されない事は事前情報としてあってもいいかな、と思います。そしてホン・サンス監督作品が好きになる人は結構一定数いると思いますし、私ももう少し見てみないと分からないですが、とても読み取ろうと思えばいくらでも出来そうな映画で、そういう意味で、豊かだと思います。

明快な大団円を望む人には向かないと思いますけれど。

とにかく、結婚後1度も離れた事が無かった夫婦の夫が出張になり、1人になった女ガミが、先輩2人を1人ずつ訪ね、最後に偶然同期(?)にも会う、という3部構成の映画ですし、短いです。それとあまりに異質な感じのあるカメラの寄りです、多分これもヒントの1つだと思います。

すごく女性を意識していると思いますし、それも結構不思議な感覚で意識している感じです。

基本的には女性に向けられた映画なのではないか?と感じました。

女性の方にオススメ致します。

アテンション・プリーズ!

ネタバレありの感想ですので、ここからは本作を未見の方はご遠慮ください。

まず、やたらと暗喩的に男女の違いを強調する手法だと思います。雌鶏と雄鶏の関係や迷惑行為とその空間の中でのマウンティング、さらに鶏という朝鳴く主張の強さ、更に必ず3幕とも闖入者的な訪問者があって、必ず男性で、しかもどこか変、何かがオカシいし、凄くみじめな存在として描かれています。幼児性とも取れる発言も多いですし。

1人目のヨンスンは離婚していますし、同居人は肉を焼くのが上手い女性で、しかしパートナーのような関係ではないみたいで、明らかに年齢さが大きく、ちょっとどんな関係であるのか想像し難い。さらにガミはしきりと関係性、特に秘密を打ち明けられる関係を求めているようで、実は自分は夫と一緒にいるし離れてはいけないと言いつつ、それはすべて夫の言い分で、それをただ言われているから守っている、という風にも、取れる言い回しなんです。これは2人目の時も3人目の時も同じです。恐らく主要なテーマなんだと思いますし凄くストレートに考えれば女性の自立を考えさせられるんでしょうけれど、そうすると何故急に3階に拘っているのか?とかマッサージ師とかピラティスの教えでいくら何でも10億ウォン(≒9600万円)はちょっと現実的ではない気がします。しますが、恐らくそんな事よりも、経済的自立を成しえた女が、その上に手に入れたいモノは?という感じがしました。特に2幕で出てくる男が、1番惨めな男の姿として私には映ったので。

で、3幕目は、ついに過去に男を取り合った女性としての同期(?)の女が出てきます。でも、この辺の会話が何を指し示しているのか、どうにも理解出来なかった、何かピースが足りない気がしますけれど私の読解力はこの辺が限界。過去の男と付き合っている女との、共生、という所でしょうか。

この幕に出てくる男も、非常にせせこましく描かれていて、まぁ非常に男性的。昔の話しになると急に饒舌になってみたり、それとなくマウンティングをしだすのが印象的。権威に弱いのはやはり男性なんだと思いますし、まぁそれによって社会的な立ち振る舞いが決まっているのでしょうがないとは思いますけれど、女性相手にそれをするのは、ちょっと、とは思いますね、自戒を込めて。ま、そんなに女と話す機会すら無いので心配いらないのだが。

必ず山で繋がるのもなんか意味があると思う・・・何となく単純には山が男性性を示しているんだとは思いますが。

映画内映画で流れる映像が美しいけど、カメラワークが異常に機械的過ぎる、すっごく違和感があるので、なんらかの意味があると思うのですが・・・そして1幕目の中で隣家の娘との会話、さらにその隣家から逃げた女が存在し、そこにヨンスンを頼りにする就職活動する隣家の娘、読み取ろうとすればいくらでも出来そう。

しかし、逃げた、と過去形にしているので、普通に考えたら、夫の暴力から逃げた隣家の妻が暗喩としてのモチーフで、3名の女性と出会った事でガミが自主性を取り戻す、いやそもそも社会的に無かったと意識させられていた状態を知る、という事で、これから夫から逃げる、という事なのかも。という風にいくらでも解釈できる映画体験でした。

「ボクたちはみんな大人になれなかった」を観ました

2021年11月26日 (金) 09:38

森義仁監督      Netflix

劇場に映画「ひらいて」(の感想は こちら )を観に行った際に最初の1秒のギターの音を聞いて、とりあえず原作読んでおこう、一応今年の作品なんでみようと思った作品です。

2010年代後半の現代から、作者と思われる主人公が、1990年代くらいの、10代後半くらいの日々を振り返りつつ、テレビ業界の美術やテロップ関係の仕事を垣間見せつつ、SNSを使った誰もが1度はやる行為の1日を語る作品です。

原作は読みました、多分集中すれば2時間で読める本でしたよ。でもそういう事じゃなく、ある曲がかかるなら読んでおかないと、と思った次第。

だいたいにおいて分かる、次に何が来るかも、分かる、その上でこの時期にかかってる、流行ってる曲、テレビ番組、映画あたりの文化の話しも分かる、そしてまぁ男女関係が始まる始まり方なんかもわかるし、どうなっていくのかもわかる話で、なので薄っぺらく感じるんだと思います。既視感だらけ。まぁいわゆる40~50代オジサン接待映画になってます。別に新しい視点も無いし、今までに、古代からずっと繰り返されてきた手法、ノスタルジーです。

1990年くらいまでを振り返る話しで、まぁだいたい原作通りですけれど、結構な改変もあって、多分、今の流行りにしたかったんだろう、というのが透ける感じの取ってつけたオシャレのつもりなんでしょうけれど、その辺は乗れませんでした。

役者さんはみんな頑張っていると思いますが、もう少し活舌がイイと聞き取りやすいんですけれど。

凄く、思い入れのある人、それも小沢健二に思い入れがあり、恋愛に興味がある人に向けられた作品なので、それも業界のチラ見せだったり、ファッションの系譜だったり、凄く表面的な過去のノスタルジーを煽る感じで、正直あまり乗れませんでしたが、まぁあの曲がかかったので、ま、いっか、というのが正直な感想です。

小沢健二が好きな方に、そして2020年代に40歳~50歳の方々に、オススメ致します。

アテンション・プリーズ!

どうでもいいオジサンの勝手な感想ですが(ほとんど全部そうですけど)、以下ネタバレを含みますので、未見の方はご遠慮ください。

すっごくテレビっぽい感じの作りになってると思います。私はエモいの意味がどうしても分からないのですけれど、とにかく、凄くナッツな感覚を肯定的に描いていて、困ったらスローモーションでそれっぽいBGMを流す感じで、PVみたい。でも映像作家はみんな最初はCM作りや短編映画から入ると思うので、それは当然なのかもしれません。

それに小沢健二はまぁ分かるけれど、私もヤラレたけど、それならフリッパーズから始めた方が良かったんじゃ、とかドゥーピーズの宣伝チラシは使うのに、音楽はかけないんだ、とか、凄くペラッペラに薄いし、なんか違う感がありました・・・

文系変わった彼女も、そりゃ掃いて捨てるほどいましたよ、オリーブ少女という名の中でもグラデーションがあったと思うし、文系女子にもいろいろあると思うけど、まぁセックスの話しにもなるんでしょうね・・・

それとゲイといいますか、今でいうLGBTQを流行りで入れるのがちょっと透けすぎてて、もう少し必然性を入れないと。

さらに、スーっていう秘密めいた女が、一緒にカラオケ行ったりしちゃうと、凄く秘密っぽさなくなるし、こういう女もいるんでしょうけれど、有名人にまとわりつくミーハーの中に居るから異質な感じなのに、主人公だけが好かれるってすごく村上春樹っぽい。もう少し上手く出来たと思いますよ。

それにもう少し美人でミステリアスにして欲しかったな。

いくらなんでも小沢ばっかで流石にちょっと。

それとやっぱ原作者のお名前はコレなんですね・・・・だったら、せめてキリンジの曲もかけようよ。 とか、同世代だから厳しく見えるのか、既視感だらけで40後半にもなって20代前半の彼女を引きずってるとか、流石にイタい・・・しかも、そんな俺カッコイイ的で、ちょ、ちょっと・・・とは思うし、20代の頃の彼女を引きずりつつも、ヤル時はヤルんだなってのがリアルでよかった。

ペラッペラの割には感想が長いのが、俺の何となくいろいろな感覚になった、という事でしょう、じゃそれなりに楽しめたんじゃないの、という感覚もあります。

「あのこは貴族」を観ました

2021年11月22日 (月) 09:25

岨手由貴子監督     東京テアトル

かなりハイソな東京のご家庭の、お正月のホテルでの家族の会食の席に1人遅れている榛原華子(門脇麦)はタクシーでホテルに向かっているのですが・・・というのが冒頭です。

凄く良い出来の映画だと思いますし、凄く今、2021年の映画、という感じがします。それに恐らく人によっては永遠のテーマであろう結婚についての映画でもありますし、東京育ちと地方育ちの話しでもあります。

原作があり、同じ原作者の映画で廣木隆一監督作品「ここは退屈迎えに来て」(の感想は こちら )を見ていますが、こちらの作品にも門脇麦さんが出演されていて、こちらはもうひとつ私にはピンとこなかったのですが、今作は素晴らしい出来栄えですし脚本も、そして映画の見せ方としても良いと思います。これは題材もですけれど、監督の個性なんじゃないかな、と思う次第です。

結婚に対するスタンスは人それぞれですし、それは生き方の問題なので、それぞれが自由に考えて良いと思いますが、漠然と、相手もいないのに、結婚したい、という考え方が分かりません。それは夢であり、刷り込みであり、依存でもあるような気がします。しかし、確実に、前時代的には、女性は結婚しないと生きていけない雰囲気や経済的状況はあったと思います。その名残は間違いなくあるものですし、その余波や教育は仕方ない部分もあると思います。思いますが、それでも、2000年代に入って、教育された事、刷り込みを前提に、すべてを肯定的にしか見ない、批評性や批判性が自己の中から立ち上がらない場合は、少し問題があると思います。自分で考える事の重要性だとも思います。でも、常套句で言われる『大切に育てられた』は『世間知らず』と同義に使われますし、それが女性であれば、更に良い子を演じる事含んで、考える、という事をしなくなると思いますし、非常に受動的な人間を作っている事に繋がります。

さらに絶対に替えの効かない経験、出自としての東京という内部(もちろんその中にもグラデーションがあります)と東京以外という外部、というテーマを扱った作品です。生まれる場所は誰も選べません。その中に埋もれるのか、それとも外部を目指すのか、大変興味深いテーマです。

役者陣はすべての人が良かったと思います。主要人物の5名、恐らくキャスティングだけ、主要登場人物の大まかな説明だけ聞いたら、門脇麦と水原希子は、逆でも面白かったんじゃないか、というのは東京ポッド許可局のPKことプチ鹿島さんがおっしゃっていましたが、確かにその通りにも感じます。でも、それでも、この箱入り娘感があって嫌味にならないのは門脇さんだったのかな、とも思います。特に門脇さん周囲の演出は素晴らしかったと思います。何となくハイソな家柄の中身を垣間見る、覗き見趣味的な感覚もあるのに、そこで嫌味にならない、清楚とも違う、ハイソな人にだけ許される行儀の悪さがチャーミングになる部分とか、本当に上手いです。

対して水原希子さんの、変容、越境者として後天的に自覚的な部分も印象的です。その変化が上手いし映えます。とても合っているキャスティングだと思います。化粧や衣服での変化が私のような化粧や衣服に詳しくない人でも分かる演出になっていると思います。

さらに、もっとハイソ、この映画の中の「貴族」は、高良健吾さんが演じる家柄であり、それこそ家を存続させる事に、物凄く強い負荷が常にかかっている状況な訳ですけれど、非常に空疎な世界に、仕事でもプライベートでも浸っている感じが、とても上手かったです。

そして、非常に重要な役目を背負っている、石橋静河さんと山下リオさんがとても良かった。出演時間にすれば、当然主演の3名よりは少ないのですけれど、この映画の肝はこの2名が担っていますし、魅力的でもあります。もっと言うとロールモデルになると思うのです。

凄く対照的な2人、そしてその家族が描かれているわけですけれど、保守的、と言う意味でどちらの家族も同じなのが、凄く日本的。それは恐らく、個人よりも家族やコミュニティを重視しているからで、そこから出て行こうとする個人にとても冷たい。愛の反対は憎悪ではなくて無関心。この無関心まで行かない連帯が、男性にも女性にも存在する事が稀なのが、とても私には日本的に感じました。それでも、少子化がここまで進み、世帯を構成する人数が1人の割合で30%になろうとするうちの国の事を考えると、変化の兆しがあると思います。もう家族を構成する最少人数の個人が世帯構成で言うと3割、という現実は結構重いと思います。でも、この映画の中の貴族である政治家を輩出する家系は生き延びていくのでしょうけれど。それに、このハイソサエティで文化を支えられる層がある事の良い面もありますから。

私は母親と美術展には言った事が無かったなぁ。

この映画は、現状を表しているとは言え、親の世代、これから親になる可能性のある人にオススメしたいです。私は子育ては正解のない、難易度が異常に高い、自分の自由な時間を削られる事象だと考えていますけれど、それはかなり幼いころから感じていますし、世界が複雑になればなるほど、より難易度が高くなる傾向にあると思います。少子化が進むのは当然だと思うのですが、それでも、親になる可能性がある人に、オススメ致します。

ヘンな例えになりますけれど、この手の話しの後に、私の頭の中に浮かぶのはリチャード・ドーキンスのいう生命は遺伝子の乗り物、という考え方を初めて超越する事が出来るようになったんじゃないかな、という事なんです。遺伝子を残す事よりも、生きている間の快楽を選択できるようになったのではないか?と夢想するわけです。社会が複雑になるというのは、テクノロジーが進歩するという事は、負の側面も必ず存在するし、その側面が人生の大半の楽しみを奪う可能性があるのであれば、選択肢が出てくるという事なんですけれど。

結構いろいろ思うところあり、ネタバレありの感想は結構長くなりそうです。

アテンション・プリーズ!

ココからネタバレ有の感想になります。未見の方はご遠慮くださいませ。

主人公の榛原華子は『箱入り娘』であり、また27歳という年齢になり、大学の同窓の集まりに於いて結婚していない人間が2名しか居なくなったことに危機感を感じ、その前にお付き合いしていた男性に暗にプレッシャーをかける為に仕事を辞めた経験があるわけで、何と言いますか、凄く『昔』の価値観に縛られているように見えます。結婚していない2名のもう1名はヴァイオリニストとして生活していて榛原華子は恐らく本当の意味での友人この1名のみで、石橋静河さんが演じているわけですけれど、この人が居なかったら、華子は本当にみじめな存在だったと思います。とても受動的。なにもかもに受け身なんです。

華子にとっての友人のような存在たちは基本的に生産性も無く、いわゆる古いタイプの妻であり、経済的には夫の扶養家族でいる事に何のためらいもないタイプで、この中に全然親しそうな人がいないのに何となく友人でいる華子の意識の薄さは理解は出来るけれど、ちょっとどうかと思いますし、家族のプレッシャーも本当に品が無いです・・・お金があるかないかではなく、品があるかないかで言えば無い。そして、完全に守られているが故、何をどうしたいのか?という具体性が無く、ソリッドに言ってしまえば、私を守ってくれたら容姿をお金に換えてもイイ、という事であり、共に生活苦や他者という理解出来ない存在との軋轢を想像もしていない。この夢の部分までもあくまで受動的。

だからこそ、唯一の友人である石橋静河演じる相良逸子の存在が奇跡。相良逸子はドイツに暮らしの基盤があり、ヴァイオリニストという生活の糧を自分で得ている上に、察しが良くて、しかも、分断ではなく共闘を選べる人間で、本当にこの人の存在がこの映画の中でどれだけ貴重なのか!と思う。この映画の本当の意味での主役はこの人だと思うのです。

相良逸子が時岡と青木の関係性を察っすればこそ、この映画の前半の山場である華子と時岡の邂逅であり、しかも分断ではなくゆるい共闘を選択できている。この提案をしているのは相良逸子であり、華子も時岡も意識的では無かった。もっとも、勝手に分断したり俯瞰的に見えない、もしくは見ようとしないのであれば仕方ないとは思います。でも時岡はその選択を、たとえ苦しくとも行動を起こせる。時岡にとっては同級生でもあり、唯一心許せて、しかもパトロンでもある青木との関係を断ち切るのが、物凄く清々しい。なにしろ自分の婚約者について、どういう人か?素で聞いちゃうのが華子・・・

あくまで対比のキャラクターのように感じますが、時岡は猛勉強の末に慶応大学に入学するわけですけれど、学費が続かずに非常に苦しい立場に立たされます。しかも学内の知り合いはちょっとしたお茶に行くにもホテルのラウンジを使い、1回のお茶で5000円という時岡美紀にとっては大きな出費であり、金銭感覚の違いを痛感しています。慶応大学がどのような所なのか?私には分かりませんが、確かに、日本も階級社会と言えなくもない部分だと思います。時岡美紀にも友人と呼べる人間が1名だけいて、それが同郷から出てきた起業家を目指し同じ慶応大学に進んだ平岡里英で、山下リオさんが演じています。

この平岡さんも凄く良くて、長女として会社にいると、出来の悪い弟からしたら楽しくないであろう、という察しの良さで、起業を目指す、凄く目的的で有能。この人のセリフも素晴らしく良かったですし、対比ではなくメンター的に時岡には映ったはず。時岡と平岡のバディ感は凄く良かったです。

主人公は華子で、その対比としての時岡美紀であり、この2人の間をグラデーション的に埋めるのが、華子よりも自分の足で立つ事に意識的な相良逸子であり、時岡美紀よりもより目的的な平岡里英なんだと思うのです。この4名の女性と、ここに王子のような立場で登場する高良健吾さんが、とてもいろいろな意味で上手いのです。もちろん、王子には王子の苦悩が存在するし、昔話や結婚にまつわる産業が書く夢やゴールではない、他者との生活や、家制度に組み込まれる事の良い面も悪い面も知る事になるわけです。

無自覚な華子であれば当然非常に驚きがあると思いますけれど、27年生きてきてこれか、とも思う。

しかし実は青木にとってもほぼすべてが受動的なんです、華子よりももっとプレッシャーのある、非常に重い呪縛がある。この家を守り継承する、というだけですべての犠牲を払わなければならないわけです。かなりの孤独を感じていると思われますし、そんな青木の唯一プライベートな関係が時岡との時間だったんだと思います。だから時岡と一緒の時の青木の表情が豊かになるのも分かる。

青木の孤独やすべてに受動的な事も理解は出来ますけれど、どうなんでしょうね。ここまでの家柄ではなく、2世の政治家になった人物を小学生時代に同級生だった事があるのですが、まぁ東京に住みながら地方の選挙区から出ている描写とかそっくりですし、俺はそこいらの平民とは違う、という感覚は感じますね、同窓会でチラリと会うだけでも分かりますし、人を使う事に慣れている人にしか出せない有無を言わせぬものがありますけれど、青木はずっと紳士的です。ですが、あまりに華子に何も話さない、この点が良く分からなかったです。もう少し話していれば、結果は違っていたかも。

本当にいろいろ考えさせる映画ですし、様々なシーンや演出がとても細やかで、華子の箱入り娘感を出すのに、移動手段はすべてタクシーで、そこから自覚的に自分の足で立つ1っ歩を踏み出した事で歩く、という演出は素晴らしかったですし、華子と時岡の対比をアイスキャンディーを舐める描写でも、華子は白いキャンディーで時岡は黒っぽさで意識的な方が黒、というのも良いですし、これが時岡と平岡になると、より平岡の方が意識的なので、時岡の持つコーヒーはミルク入りなのに対して、平岡はブラックという対比に引き継がれるのも演出としていいな、と思いました。

しっかし、凄く品のいい、という事は馬鹿みたいに値段の高い喫茶店ばかり出てきて、ちょっと行きたくなってしまう。お金の浪費でしかないのに。東京の養分、凄く上手いセリフですねぇ。

追記

先日、仕事中に何故かこの映画の1シーンが頭に浮かんで、それは唯一、華子が青木を避けるベランダのシーンなんですが、突然、そうか、青木にとっては結婚してくれるだけで嬉しいのは、結婚相手として、妻として対して期待してはいないし関係性を結ぶつもりがはなから無い、しかも、華子にとっても自分にとってのより良い結婚の相手を探していただけで、関係性を、本当の意味で求めていなかったのを理解していたから(いろいろな話しをまるでしない青木に質問もしないし、聞かない)だったんだ、と急に思ってしまいました。

「沢村忠に真空を飛ばせた男 昭和のプロモーター・野口修 評伝」を読みました

2021年11月20日 (土) 09:42
細田昌志著     新潮社
普段ならこんな忙しい時期に手を出す本じゃないです、ハードカバーで上下に段組みで559ページ、お値段も2900円税別ですし、持ち運びにくいし。でも、信頼できる友人がある意味人生ベストの1冊、と押されたら、それは読むしかない。
私は格闘とか芸能にあまり興味が無く育ちましたが、1970年生まれなので昭和に生まれて昭和を18年と少し経験しました。昭和のイメージは人によっていろいろだと思いますが、その昭和の格闘興行のプロモーターの評伝です。プロモーターには興味があります。
凄く単純に野球で例えると、日本で監督(本当の意味ではGMが良いんですけれどなかなかGMも存在が明るみに出ないしそもそもあまりいないので)になる人は、だいたいにおいて選手経験者です、もっと言えば有名な選手が監督になれます。なんか変だな、と子供心にも思っていましたが、指導の上手い人とか、戦略的に長けた人物が監督をしているイメージすらないですし、そういう人物を知りません。つまり表現者や選手には憧れる人がいてもプロモーターとかプロデューサーがいないのが日本の特徴のような気がします。ある意味裏方ですし。
世界では有名なプロデューサーがたくさんいるような気がしますし、音楽でもスポーツでも芸術分野でさえ、名選手でなくとも、名演奏者じゃなくとも、監督やプロデューサーになっている人、最初から目指している人が居るような気がするのです。いつも思うのはバレエ・リュスを運営していたディアギレフです。彼は踊れないし、演奏も出来なかったと思いますし、コリオグラファーでもないけれど、有能な人物を見つけて仕事の場を与えて、統括、宣伝、運営をする。そういう人が日本にもいたのであれば、読んでみたい、と思った次第です。今だと映像研の金森氏ですね。
キックボクシング、という名前は知っていても、実際の試合を観た事がありません。真空飛び膝蹴り、という名前は知っていましたが、何で知っていたのか?も思いだせません。凄く語呂のイイ言葉だと思います。この言葉にも昭和っぽさを感じますね。
なので、当然沢村忠の事も全然知りませんでした。しかし、今は簡単に当時の試合を見る事が出来ます。Youtubeの試合を見ても、私にはめちゃくちゃ強い選手に見えますし、ココに何らかの意図は気づけません。物凄く危険な競技に見えます、格闘技の中でもかなり危険じゃないんでしょうか・・・実力差があったりすると、特に危険に見えます・・・
しかし著者は、このキックボクシングの沢村に纏わる、ある種ダーティな面にも、プロモーター野口修の影響があったのではないか?と、実際に本人に直言しています。結果は本書をお読みいただくとして、沢村忠選手にも、出来れば著者はインタビューしたかったんだと思います。何しろ関係者を追いかけて海外にまで渡航されていますから。
著者は登場人物が増えるたびに、その生まれから登場するまでの経緯を一つ一つ出してくれますので、大変読みやすいです。もちろん、気になっていろいろ調べてしまいましたが、出てくる人物が大変大物ぞろいなのも特徴だと思います。
昭和初期のボクシング黎明期のボクサー、有名な活動家、右翼団体に関連する人物、タイ式ボクシング、またそれにまつわるプロモーター、テレビ局の人間、アナウンサー、空手家、芸能事務所社長、銀座の女性、歌手、競馬関係者・・・かなり名の知れた人物も入れば、全然私は知らないその世界では有名な方まで、かなりの数の登場人物がいます。
野口修氏の特徴は、欲望にまっすぐな所、そして1番特異だなと思うのが、上手くいかなかった結果、別の方法、道筋を見つける事です。この人は結局最後まで、思った通りに上手く行った事ってかなり少ないです。しかし、その失敗を別の手法で勝つ事に繋げるメンタリティ、切り替えの早さが異常です。激動の昭和を生きてサバイブしても、常に次のもっと大きな目標を探しています。ココが1番変わっていると思います。
著者の構成力も確かで、とても読ませます。戦前の、父の時代からの昭和史とも言える膨大な資料やインタビューをよくまとめられたな、と思います。実際著者はこの本の完成に10年という、ちょっと考えられない期間を費やしています。
詳しくは読んでいただくしかないのですが、この本の主人公である野口修氏は、非常に昭和な男、と私は認識しましたし、確かにプロモーターなんですけれど、その手法、目的含め、物凄く昭和を煮詰めた男、として認識されました。とても鋭く確かな先見性があり、最短距離を歩こうとするので、とても敵が多いです。
また、昭和な手法が通せた事も、その手法が一般的に通用した事も、なるほどとは思いました。思いましたが、ヤン・ウェンリー准将が言う『政治の腐敗とは政治家が賄賂をもらうことじゃない、それは政治家個人の腐敗であるに過ぎない。政治家が賄賂を取っても、それを批判出来ない状態を政治の腐敗というんだ』という言葉を思い出さずにはいられなかったです。
昭和ってそういう時代だったよな、と。それに結構汚かった。純粋に目に見える全部そうだったし、良い所もあったけど、もちろん今よりも悪い所も多かった。
野口修の手法はそういう時代に、そういう方法だからこそ取れたわけで、生きた時代を選べない以上、この手法をとやかく言う事は出来ないし、可能なのは知っていても、なかなか出来ないと思います。

ノンフィクション作品が好きな方に、オススメ致します。

「ナイトティース」を観ました

2021年11月19日 (金) 09:08

アダム・ランドール監督     Netflix

久しぶりに当たりを引いた作品。こういう新しい作品に出合えるのがとても嬉しいし、出来たら劇場で観たかったなぁ。色彩感覚もイイし、まぁこういう作品はたくさんあるけれど、それなりにフレッシュ!アダム・ランドール監督作品はこれからも抑えていきたいです。

ハリウッドに夜の帳が落ちる頃。ベニーは彼女と待ち合わせて車に乗り込むのですが、そこに怪しげな男が車でつけてきて・・・というのが冒頭です。

画面が、色使いがとてもフレッシュですし、構図もかなり細やかな配慮がされています。女性のバディムービーとも言えなくありませんし、アフリカンアメリカンの男性主人公も、最近は普通に感じられますし、そういった意味で凄く2021年の映画って感じです。

まぁ、最初からネタバレしていますが、いわゆる吸血鬼モノなんですけれど、凄くいいのが、劇中、バンパイア、吸血鬼、バンパネラ、という単語を1回も使用していないのがイイです。

さらに主演の3名の顔立ちが素晴らしく、見た事無い人ばかりなのに、人のイイ大学生は凄く茶目っ気たっぷり目で顔から分かる人の好さがあるし、女性2人は1名は強めの感じですし、もう1名が甘目で、どちらも観た事が無い人なのに、それぞれのキャラクターを顔でも感じさせてくれるのが素晴らしい。衣装も派手にしたり、緩めにしたりと、いろいろ気遣いを感じます。

設定の見せ方も割合最初にモノローグで片づけちゃうのも決して悪くなくて、ボンネット含む車に移しこませるのも、ジャン=ピエール・ジュネ監督作品の『デリカテッセン』オープニングスタッフロールみたいでイイですし、潔いとも言えます。

私はアクションとかに詳しくないので、何とも言えないけれど悪くはないし、ちょっとした萩尾望都先生の「ポーの一族」みたいでいいです。

ヒロインの女の子が凄くカワイイのが特に気に入りました。wiki情報ですけれど、歌手の方みたいで、決して演技が上手いわけではありませんが、ちょっとイモっぽい子ではあると思いますが、そこを無理にハイソにさせている、背伸び感がいいです。

もう1名の女の子はもっとcoolでソリッド。この人も全然見た事が無いのですが、このお姉さま感にとても合ったキャスティングだと思います。

ラストまで、もちろん全然わかってしまう筋ではありますけれど、それでも楽しめる作品でした。

「ポーの一族」が好きな方に、オススメ致します。

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