井の頭歯科

「沢村忠に真空を飛ばせた男 昭和のプロモーター・野口修 評伝」を読みました

2021年11月20日 (土) 09:42
細田昌志著     新潮社
普段ならこんな忙しい時期に手を出す本じゃないです、ハードカバーで上下に段組みで559ページ、お値段も2900円税別ですし、持ち運びにくいし。でも、信頼できる友人がある意味人生ベストの1冊、と押されたら、それは読むしかない。
私は格闘とか芸能にあまり興味が無く育ちましたが、1970年生まれなので昭和に生まれて昭和を18年と少し経験しました。昭和のイメージは人によっていろいろだと思いますが、その昭和の格闘興行のプロモーターの評伝です。プロモーターには興味があります。
凄く単純に野球で例えると、日本で監督(本当の意味ではGMが良いんですけれどなかなかGMも存在が明るみに出ないしそもそもあまりいないので)になる人は、だいたいにおいて選手経験者です、もっと言えば有名な選手が監督になれます。なんか変だな、と子供心にも思っていましたが、指導の上手い人とか、戦略的に長けた人物が監督をしているイメージすらないですし、そういう人物を知りません。つまり表現者や選手には憧れる人がいてもプロモーターとかプロデューサーがいないのが日本の特徴のような気がします。ある意味裏方ですし。
世界では有名なプロデューサーがたくさんいるような気がしますし、音楽でもスポーツでも芸術分野でさえ、名選手でなくとも、名演奏者じゃなくとも、監督やプロデューサーになっている人、最初から目指している人が居るような気がするのです。いつも思うのはバレエ・リュスを運営していたディアギレフです。彼は踊れないし、演奏も出来なかったと思いますし、コリオグラファーでもないけれど、有能な人物を見つけて仕事の場を与えて、統括、宣伝、運営をする。そういう人が日本にもいたのであれば、読んでみたい、と思った次第です。今だと映像研の金森氏ですね。
キックボクシング、という名前は知っていても、実際の試合を観た事がありません。真空飛び膝蹴り、という名前は知っていましたが、何で知っていたのか?も思いだせません。凄く語呂のイイ言葉だと思います。この言葉にも昭和っぽさを感じますね。
なので、当然沢村忠の事も全然知りませんでした。しかし、今は簡単に当時の試合を見る事が出来ます。Youtubeの試合を見ても、私にはめちゃくちゃ強い選手に見えますし、ココに何らかの意図は気づけません。物凄く危険な競技に見えます、格闘技の中でもかなり危険じゃないんでしょうか・・・実力差があったりすると、特に危険に見えます・・・
しかし著者は、このキックボクシングの沢村に纏わる、ある種ダーティな面にも、プロモーター野口修の影響があったのではないか?と、実際に本人に直言しています。結果は本書をお読みいただくとして、沢村忠選手にも、出来れば著者はインタビューしたかったんだと思います。何しろ関係者を追いかけて海外にまで渡航されていますから。
著者は登場人物が増えるたびに、その生まれから登場するまでの経緯を一つ一つ出してくれますので、大変読みやすいです。もちろん、気になっていろいろ調べてしまいましたが、出てくる人物が大変大物ぞろいなのも特徴だと思います。
昭和初期のボクシング黎明期のボクサー、有名な活動家、右翼団体に関連する人物、タイ式ボクシング、またそれにまつわるプロモーター、テレビ局の人間、アナウンサー、空手家、芸能事務所社長、銀座の女性、歌手、競馬関係者・・・かなり名の知れた人物も入れば、全然私は知らないその世界では有名な方まで、かなりの数の登場人物がいます。
野口修氏の特徴は、欲望にまっすぐな所、そして1番特異だなと思うのが、上手くいかなかった結果、別の方法、道筋を見つける事です。この人は結局最後まで、思った通りに上手く行った事ってかなり少ないです。しかし、その失敗を別の手法で勝つ事に繋げるメンタリティ、切り替えの早さが異常です。激動の昭和を生きてサバイブしても、常に次のもっと大きな目標を探しています。ココが1番変わっていると思います。
著者の構成力も確かで、とても読ませます。戦前の、父の時代からの昭和史とも言える膨大な資料やインタビューをよくまとめられたな、と思います。実際著者はこの本の完成に10年という、ちょっと考えられない期間を費やしています。
詳しくは読んでいただくしかないのですが、この本の主人公である野口修氏は、非常に昭和な男、と私は認識しましたし、確かにプロモーターなんですけれど、その手法、目的含め、物凄く昭和を煮詰めた男、として認識されました。とても鋭く確かな先見性があり、最短距離を歩こうとするので、とても敵が多いです。
また、昭和な手法が通せた事も、その手法が一般的に通用した事も、なるほどとは思いました。思いましたが、ヤン・ウェンリー准将が言う『政治の腐敗とは政治家が賄賂をもらうことじゃない、それは政治家個人の腐敗であるに過ぎない。政治家が賄賂を取っても、それを批判出来ない状態を政治の腐敗というんだ』という言葉を思い出さずにはいられなかったです。
昭和ってそういう時代だったよな、と。それに結構汚かった。純粋に目に見える全部そうだったし、良い所もあったけど、もちろん今よりも悪い所も多かった。
野口修の手法はそういう時代に、そういう方法だからこそ取れたわけで、生きた時代を選べない以上、この手法をとやかく言う事は出来ないし、可能なのは知っていても、なかなか出来ないと思います。

ノンフィクション作品が好きな方に、オススメ致します。

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