ジェーン・カンピオン監督 Netflix
そういえば初めて観る監督です。名作と言われている「ピアノ・レッスン」も未見ですが、本当に映画ってたくさんありますし、全部は見れないですよね・・・ただ「ピアノ・レッスン」はネタバレを知ってしまったがために見ていないのですが、こういうネタバレを知ってしまいやすい、というのは今の情報社会だと割合遭う事なので、自衛するしかないのですが、過去作だと割合やられてしまう事があります。私も気をつけているつもりですが、多分細かな部分で気がつかない事もあるかも知れません、もっと注意を払わないといけないですね。
それと、個人的な話し(もうずっと個人的な話しでしかないのですが)で恐縮なんですけれど、幼少期に浴びるように西部劇を観させられ続けたおかげで、立派なアンチ西部劇になりました・・・やはり、甘いモノでもテレビゲームでもなんでもそうですけれど、我慢させ続けると反動が大きいですし、刷り込みが強いと反面教師にしがちです。私は勧善懲悪モノがどうにも好きになれなくて、そんなに単純な世界は嫌だし、凄く複雑な世界で混沌としていると感じる毎日なので、より好きになりにくいのかも知れません。
だいたいにおいて西部劇は1990年の作品「ダンス・ウィズ・ウルブス」までは勧善懲悪の作品がほとんどだったと言い切っていいかと思います。もちろん例外もあるのでしょうけれど。それに西部劇って時代としてそんなに長い間の話しじゃないです。かなり短い多分30年間くらいの話しなんですよね。それにインディアン(えっと、もちろんネイティブアメリカンが正しい呼称でしょうけれど、過去作品の中でははっきりとインディアンという呼称を使っていた事を指して使っています)という悪役がいて、はっきりと、ほぼ完全に、悪役としてしか出てこないのも、非常にイヤな気持ちになるわけです。同じ人間なんですけれど、めちゃくちゃ野蛮人のような描かれ方しか、しないのが。これがメキシコ人でも同じでして、名作と言われる事が多い「荒野の七人」とかのメキシコ人の描かれ方は、当時としても流石に・・・という気持ちになります。また字幕が嫌いという事もありたどたどしい英語を話すのが、さらに・・・
前置きが長くなりましたが、そういう偏った私の感想です。
1925年のモンタナ州。「父が死んだとき、僕は母の幸せだけを願った」というナレーションに続いて。フィル(ベネディクト・カンバーバッチ)は大牧場の経営者で兄。弟のジョージはその兄に逆らえない性格なのですが・・・というのが冒頭です。
章立てていますが、別に区切らなくても、という感じはしました。
基本的に、これまでの西部劇というスタイルに新たな視点を持ち込んだ作品、という風な意図を監督が持っている、と感じました。感じましたが、いささか既に、古くなってきていると思います。もはや西部劇だろうが、何でもありの状態と言って良いですし、それこそ観てないですしあまり食指が動かない「ブロークバック・マウンテン」なんかもそうなんですけれど、なんか違和感があるんです。
基本的に性的嗜好がどうであったとしても、どの時代にも、多分どんな国や文化でも、いらっしゃったとは思います。そしてある意味隠れた存在ではあったと思います。
でも、それが、映画、本、などのテーマの題材として扱われるのであれば、その意味が何かしらあるのであれば、扱う意義がありますが、今作は、正直あまり感じられませんでした。取ってつけた感じなんです。
多分、マチズモの中の、という事なんでしょうけれど、なんか上手くない。
カウボーイの仕事は、それは大変厳しい肉体労働ですし、マッチョな世界でしょう、マルボロの宣伝でよく見る、アレだと思って間違いないです。でも、その世界でも、様々な性的嗜好の持ち主が当然、います。
それが凄く極端。しかも極端に極端を重ねる、極端な例を持ち出しているので、いかがなものか?という感覚を感じました。
決して悪い映画ではないけれど、さして良い、という感じでも無かったです。
ベネディクト・カンバーバッチが好きな方にオススメ致します。
しかし、まさか、とは思いましたが、ロシアがウクライナに侵攻・・・本当に信じられないですが、第1次世界大戦の時も、長引くとはだれも考えていなかったので、凄く怖いですね・・・
写真の加工が上手く出来ないのですが・・・
20歳まで生きたチョコです。カワイイです。
同じく、20歳まで生きたチャッピー先生です。地域ネコで20歳、凄い!
ネコの日なので、今日は猫の写真でした。
無条件にカワイイ。
マギー・ギレンホール監督 Netflix
多分私が根暗な性格なので、こういう作品を好んで観ているのだと思いますが、アクションが凄かったり、火薬の量を競ったりするよりは、会話劇や伏線に、特にストーリーに最重要の価値を感じます。演出、演者が二の次になり易いです。それと結末にハッピーエンドを求めないタイプでもあるので。ま、その辺は好みの問題とも言えますけど。
ギリシャの島にリゾートに来ているレダ(と言えば・・・ギリシャ神話のアレですね。演じているのはオリヴィア・コールマン)は1人でバカンスを過ごすつもりなのですが・・・というのが冒頭です。
もっと最初だけ言えば、暗い浜辺に急に倒れる中年女性は・・・が正確な冒頭です。
まず、ネタバレなしですと、結構難しい感想になってしまいますが、初めて観る監督作品でギレンホールって、と思ったら、ジェイク・ジレンホールの姉でした。芸達者な姉弟ですね。しかも初監督作品でこのレベル!という完成度だと思います、もう少しタイトにも出来るとは思いますが。
しかし、最近初監督作品でこのレベル?!って人が多すぎませんかね。信じられません。
基本的には女の人に向けた映画だと思います。ただ、洋の東西を問わず、恐らく子育て、という正解が無い、というか人によって違う上に、育てられた側からも将来反論が来るであろうタスクの重要性と難易度を考えると、そう簡単に手が出せないようになるのは普通というか人類の成熟と言えるかも知れませんが、でも、勢いもあるかも知れません。これは育てた人でないとワカラナイと思います。
でも、この話しの主人公レダが男だったら、と思うと、全然よくある話しに見えなくもないです。
もっと言うと子育てに必要かどうか分かりませんが、アプリオリに備わっている事になっている、母性の話しかも知れません。
私には母性は無いと思いますが、それは私が性別上の男だからであって、後天的に備わる人もいるかも知れませんし、先天的に誰にでも少しはあるのかも知れません。が、有る事になっているのは問題な気がします、証明出来ないですし。何がノーマルなのか?時代や個人差が大きい気がします。
でも、母性的な行動と個人の欲望が相反する事は全然あると思いますし、勝手な期待や役割の刷り込みも嫌だとは思います。そもそもどこまでが誰の責任なのかよく分かりませんし、社会の責任もある気がしますけど、世界最大の秘密結社(と言ったのはエリック・シーガルで、その通りだと思うので引用)である母親にも、いろいろな人が居ると思います。
この映画で言えば、40代後半になったオリヴィア・コールマンと、20代のダコタ・ジョンソンの邂逅とか関係性の話しにも読み取れますが、個人的にはオリヴィア・コールマンが過去を振り返る話しだとも言えます。
母親になった事がある人に、もしくは母親という役割を負った人に育てられた事がある人に、オススメ致します。あるいは、オリヴィア・コールマンの最近の演技がかなりイイ!と思っている人に。
アテンション・プリーズ!
ここからはネタバレアリの感想です。未見の方はご注意下さいませ。
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子供という他者とどう折り合いを付けるのか?それも子供の側からは絶対的な、いなければ死んでしまう所まで含んだ、哺乳類としての依存性と無垢なる信頼があります。哺乳しないと生きていけませんから。
それでも、母という人間にもいろいろな欲望があるわけです、結構下世話なリビドーを含んでいる可能性すらある。今作でも2名、該当していて、淡い連帯感すらある。
そして男性というだけで、それを無邪気に、称えたり、芸術作品(山田五郎さんの「オトナの教養講座」にもいっぱい出てくるし、文学作品なんか普通にありすぎますよね・・・)にまで高めてしまったり、英雄色を好むといった格言にまでなっている事を踏まえると、すでに文化になっていると思う人(私です)がいてもオカシクナイくらいに刷り込まれていると思います。
それを女性がやっただけの事ではあるし、恐らく見えていないだけで、たくさん存在していると思います。思うのですが、シンプルに、子供を置き去りにする、というのはなかなか見ないように感じます。その上出てこないレダの母親も相当な人物のように伺える。いわゆる毒親と最近は言われるのでしょうが、ネーミングセンスは置いておくとして、単語として流通すると人口に膾炙する典型的な例であって、多分昔から存在していたと思います。
その大きな理由は2つ存在しているように見えて、まずは仕事の評価、次にその仕事の評価をした相手との恋愛感情でしょう。指導官もさりげなくレダに「彼の戦略が今夜は成功するか楽しみだ」と嫌味とも取れるけど、ちゃんと伏線を張っています。ただ、頭に虫が沸いていると(恋しているの比喩表現です 念のため)そういう些細な事にも注意が向かなくなる傾向が強いと、個人的には思います。
子育ての責任が人間を押しつぶす、けだし名言だと思います。能力の低い人間は無理しない方が良いのですが、人は皆憧れとか思い違いとか勢いで過ちを犯すものですし、不完全な生き物ですから頭脳明晰な人間が突き詰めて考えても、うまく行く可能性がそもそも低いように思います。そして何よりこの世界そのものが不条理に満ちていますし。
子育てが上手くいくか?は運しだいだと思います。
それでも、子供を産んだ(もちろん1人では産めないわけで協力した遺伝上の父がいるはず)責任は発生します映画「存在しない子供たち」ナディーン・ラバキー監督作品でも言われていますが「私を生んだ罪」のような『何か』が存在するような気もします。
しかし、その『何か』は、当然2名にかかってくるわけで、これだけ難しいタスクなんですから協力体制が望ましいですし、昔はそれこそ町ぐるみだったはず。でも、個人的欲求を求め続けた結果、核家族単位での仕事(親親族との同居を嫌がった、自由を手に入れたとも言える)、そして恐ろしい事に、シングルマザーという単語が流布するほど1名で行う人がいるのも事実なわけです。因果応報かも知れませんが、レダも認めている様に、勝手な行動の結果、娘2人を生物学的父という元夫に押し付けた。その上で、舞い戻ったわけです。うん、大変身勝手に思います。
レダに、ウィルというアルバイトへのどのような感情があったか?は不明ですけれど、まぁ下世話な何かがあったかも知れませんし、心の中で思う事に罪は無いと思います。
しかもウィルとダコタ・ファニングの都合に、家を貸してもイイとも思っている。
ジェイソン・ライトマン監督 ソニー・ピクチャーズ
予告編も、とにかく何も情報を入れないで観に行きました。最近は予告編でさえ、壮大なネタバレをされる事が多く、予告編の作り方に、特に国内の場合は煽りの要素が入っている事が多く、非常に不快感がありますし、そもそも情報を閉ざす事が難しい社会になって久しいのに、もう少し配慮があって欲しいです。ですが、もう自衛するしかないところまで来ていますからね・・・今は情報を閉ざしている事の方が価値があるんです。
今作は特に、過去作の1作目を劇場で観た事がある人は是非見に行かれる事をオススメ致します、できるだけ情報を閉ざして、タオルは持って行きましょう!あと、代えのマスクも!終わりです!
今回は私にとっては珍しく、非常にエモーショナルになっています、それぐらい良かったんだとお思い下さい。
アテンション・プリーズ!
ここからはネタバレありの感想です。是非みなさん劇場に観に行ってください!私が行けた平日の吉祥寺オデヲンですと、私含めて観客が4人しかいませんでした泣もっとたくさんの人がみるべき傑作です。
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まず、ジェイソン・ライトマン監督の話しをしたい。 今までジェイソン・ライトマン監督作品ってすごくウェルメイドな作品が多いと思いますし、非常にビターな、現実に即した映画が多いと思います。特に「マイレージ・マイライフ」(の感想は こちら )と「ヤング≒アダルト」の2作はめちゃくちゃ上手い脚本、そして完成度です。この2作だけで、ジェイソン・ライトマン監督作品であれば観に行かねば、というくらいに上手いし、好みです。
ですが、ゴーストバスターズ軸で考えると、お父さんであるアイヴァン・ライトマンがゴーストバスターズ2の監督なんですよね!しかも今作の製作にも名を連ねている。かなり考え抜かれた脚本になるのも納得です。
この親子の差、意識の違いは割合「大きさ」で区別できると思うのです。父であるアイヴァンが得意とするのは、割合「大きな」話(世界を救う!とか)であり、場所(NYとか)であり、当然予算がかかる。息子ジェイソンの得意なのは「小さな」話し(場所も)だからです。ですから、舞台がNYから移った田舎町オクラホマ州サマーヴィルになったのはとても良い判断だったと思います。
脚本の素晴らしさは、こういった時間が空いての続編を考えると奇跡のような丁寧さを感じます。それこそ駄作で終わったSWのⅦ、Ⅷ、Ⅸの惨めさ(特にⅧは馬鹿丸出し。Ⅸに至っては恥を知れ。と冷静に今となっては思う)を考えると、本当に素晴らしい完成度であり、確かにオヤジ接待な部分も無くはないのですが、それを非常に制限していて、ちゃんと今の、新たな、ゴーストバスターズ誕生秘話になっているのが本当に素晴らしい。
決着の付け方、その伏線としてのプロローグ(全然言葉を発していないのに!)も最高です。
また、今作の主役は間違いなくフィービー(マッケナ・グレイス)です。この孫設定が本当に上手い。親子の物語を1つ世代を変えただけなのに、子供でありながら頭脳明晰な祖父譲りで、丸メガネや髪の毛のくせっ毛感もイイですし、祖父の意思を継いでいるようで、実はフィービーの自らの意思で新たなゴーストバスターズになっている、という点が本当に尊い。この子の、つまり子供だからこその純粋さ、無垢さが、あざとくないギリギリの年齢設定で、家族の小さな話しにしつつ、ちゃんと結果的にイゴン・スペングラーの意思を継いでいるんですよ。本当にいい子。しかもちゃんとギャグ寒い、というネガティブポイントもある。そういうきめ細かさ、全部何でもできるわけじゃないところも最高です。
相棒になるポッドキャストの存在も見逃せません。この子もある意味はぐれ者です。そういう意味ではフィービーと同じ。だからこその結束、バディ感があってとても良かったですし、音に対する拘りがあの変な笛に繋がっててそこも良かったです。
それと、お兄ちゃんトレヴァーの人が Stranger Things(の感想は こちら )のマイク!びっくりしました。でも何気にあってる!それにローラースケートという80年代アイテムをわざわざ出して、そこの女の子に一目ぼれってホント80年代チック!そういう部分も悪くないです。何と言っても1作目のゴーストバスターズが84年の作品ですから。背伸びして年齢ごまかすのとか、こういうのこそがグーニーズってもんでしょう?と、私は思います。
ま、ちょっと気になると言えば、一目ぼれは仕方ないにしても、なんで彼女だったのか?はもう少しそのためのカットが合っても良かった気がしました。
あとサマースクールの先生!このキャラも結構イイです。ダメ男子大人版で、冴えない。でも、何処か好感が残ってる。この辺の匙加減はかなり難しかったと思いますが、キャスティングも素晴らしいです。しかも、この人が鍵の神になる展開、最高です。同時に母親が門の神になるわけでその辺も良かった。
イゴン・スペングラーには意思があって、世界の崩壊をずっと1人で止めていたという事実が明らかになってからのテンション高い展開、みんなが、新たな、ゴーストバスターズになる瞬間の高揚感は、ここ最近ではMCUのスパイダーマで味わったスパイダーボーイがスパイダーマンになる瞬間のような煌きがありました。正直、こういう王道な展開で、心が躍るような事はここ数年、いやもっと無かったかも。非常に自分でも驚くくらい、びっくりしました。
ガジェットもサイコーでして、まず、当時はあのチープでDIY精神しか感じなかったプロトンパック!それが、ちゃんと古臭くてカッコイイ感じになっていて、重みも感じさせる演出、サイコーでしたし、ECTOー1の座席外出し演出もサイコーでした。プロトンパックの射手、運転手、ゴーストトラップ、本当にそれぞれが頑張ってる感じが凄くイイですし、まるでスピルバーグの映画かよって感じのスリリングがたまりません。
だから、もう少しイゴンとみんなが連絡を取り合ってたら、とかいう妄想は、脇に置いて、旧メンバーの勢ぞろいには号泣しか無かったです。映画館で目から水が出るのって2013年の「風立ちぬ」(の感想は こちら )くらい前だったと思うけれど、自然と目から水が出てきた。
それにビル・マーレイがちゃんとピーター・ヴェンクマン博士になってて、そこも良かったし、割合冒頭にあのメガネの受付アニー・ポッツが出て来てくれて嬉しかった。
大団円のみんなの、全員が何らかの役目を負って、それぞれが自分の持ち場を守る展開、本当にアガりますね。最高の瞬間での大団円。
その後にファンムービーで、まるでMUCスパイダーマンのヴィランを救う話しみたいに、過去の出来事の落とし前を付ける為、だけに、シガニー・ウィーバーを連れてきて、ESP実験するの、サイコーだし、恐らく未発表テイクであろう、アニー・ポッツとハロルド・ライミスの会話シーン、マジで泣ける。その上で、ECTOー1にも花を持たせるのサイコーかよ。
その上エンディングまで1回もテーマをかけない演出も本当に抑制が効いてて、だからこその音楽だけでの目から水が出る演出にやられまくりでした。
亡くなっているハロルド・ライミスを、ここまで救う映画って本当に素晴らしいし、だから、娘である母親が、たかが壁の写真だけでほだされるの、凄く気になるんだけど、飲み込めるよ!全然飲み込める。こういうこの映画が大切過ぎて飲み込みずらい事を飲み込ませる映画って本当に素晴らしい。これが大きなバジェットの、いわゆる80年代アメリカハリウッド映画の素晴らしい所で、それをやってたのが父のアイヴァン・ライトマンのやっていた事で、それが現代ではめちゃくちゃ難しい事なのに、再現しているの、本当に素晴らしい事で、基本的に全肯定したい。まさに愛を感じる。
40年くらい前の、今しか出演は叶えられなかったのに、ここであくまで主人公はフィービーってところを譲らない。ココが本作の最もエライ部分。ここで、私は今までずっとジョン・ベルーシのゴーストバスターズを観たかったという気持ちが完全に霧散しました。やはりジョン・ベルーシじゃなく、ビル・マーレイの映画でした。ありがとうビル・マーレイ!!
アイヴァン・ライトマン監督 コロンビア・ピクチャーズ
日本公開は1984年で、私は中学2年生でしたが、友人たちと渋谷で観ましたし、本当に面白かったのでそのまま2回観ました。当時は映画館は渋谷でも完全入れ替えでは無かったです。
あれから38年、まさかまた新たな続編が作られるとは思ってなかったので、久しぶりに復習しようと思ったので、見てみました。
N Yの大学で心理学を教えているピーター・ヴェンクマン博士(ビル・マーレイ)はESPカードで実験をしているのですが・・・というのが冒頭です。
まず、やっぱり、この企画の最初期の段階では、ビル・マーレイではなく、ジョン・べルーシだったと思います。脚本にダン・エイクロイドが入っていますし、なんと言ってもブルース・ブラザーズの成功の後でしたから。しかしオーバードーズで1982年3月5日に急逝してしまいます・・・もし、もし、ビル・マーレイでなく、ジョン・べルーシだったら、想像してしまいます。もちろん、今となっては、ビル・マーレイの当たり役ですよね、私ももちろん大好きな俳優さんですし、とにかく中学生だった私には非常に映画の面白さに気付かされた作品でした。
今見返すと、本当に展開が早いですし、オカルトがかなり緩く認められていた牧歌的な時代であったし、だからこそのオプティミズムを感じます。今だとここまでオカルトを笑って受け入れる素地は無くなってしまったと思いますし、それを個人的には進歩だと認めることも出来るのですが、一抹の寂しさもあります。
シガニー・ウィーバーもダン・エイクロイドも頑張ってますし、当たり役ですが、なんと言っても主役はビル・マーレイ。80年台のコメディ映画の印象が強いですけれど、最近はヴェス・アンダーソン監督作品によく出ている印象がありますし、なんと言ってもソフィア・コッポラ監督スカーレット・ヨハンソン主演の「Lost in Translation」の印象が強いです。私も1回で良いから、パークハイアット東京のニューヨーク・グリルで優雅に過ごしてみたいです。
ただ単純に、笑って楽しめる映画として長く記憶に残っていましたが、約40年ぶりに見返すと、結構脚本がしっかりしているな、とか、4人目のゴーストバスターズを仲間に入れる展開は素晴らしいな、とかやはり個人的に近しく感じるのは、この映画の中に出てくるキャラクターだと私はイゴン・スペングラー(ハロルド・ライミス)だな、と思いました。
逆に、昔は結構可哀想だな、自虐が面白いなと感じていた鍵の神となるリック・モラニスですが、恐らく当時はこのキャラクターを、全然自分が受け入れられていない事を自覚できていないキャラクターで、その猪突猛進ぶりを笑っていたと思います。実際に私も笑っていました。しかし、今となっては笑えない、全然笑えない感覚はあります。身の程を知ろうよ、とか、自己を客観視してみようよ、とか感じてしまいます。そういう意味でも牧歌的だったんだな、と思いました。これってストーカーになり易い感覚が芽生えたのではないか?と思うのです。
いろいろなギミック、小道具が本当にイカしています。私もすごく欲しかったですプロトン・パック!当時の感覚ですけれど。それが今ですと、Netflixのドラマ「stranger things」というシリーズの中にちゃんと文化として継承されていて、そういう意味でも本当に当時はすごく流行したことを思い出しました。
ハロルド。ライミスが、もし急逝しなかったら、もしかしたらゴーストバスターズ3だってあったかも知れません。でも、もし、その時3をやっていたら、多分壮大に失敗していたと思います。それは2でも既にその兆しが十分に感じられましたし、時代が変化してしまった、ゴーストも信じられなければ、単純に牧歌的でいられなくなった日常のせいでもあります。
テーマソングも、この後盗作疑惑もあったりしましたが、とにかくめちゃくちゃ流行りましたし、それも良い思い出と言えます。
などと、様々な昔を思い出したり、今との違いを感じました。
1980年代が懐かしく感じられる方に、オススメ致します。
2やリブート作品も見ていますけれど、それよりも、今劇場でかかっている「ゴーストバスターズ/アフターライフ」を何も調べずに行こうと思います!
COMING SOON!