ローラン・プティ振付作品が私は好きなんですけれど、まぁバレエの話しは凄く伝わりにくいですよね。言葉が無く、しかも日常的に踊りを使って表現する、という事に慣れていない上に、私はそもそも踊った経験がほぼゼロですから、文脈的にも、マイム的にも、意味が読み取れるように(すみません、おそらくダンサーやコリオグラファーの10000分の1程度の理解だと思います。何しろ現場で何が起こっているのか全く知りませんから。経験者じゃなければおそらく全員そうでしょうけれど)なるのに時間がかかる文化です。それでも人は何かを伝える場合は言葉が最も汎用性が高いですから。言葉で説明するのが難しいと思うのですけれど、そういう場合は比較するのが最も分かりやすいのではないか?と考えています。
40分程度の作品ですし、そもそもアルフォンス・ドーデの大変短い、わずか10ページほどの小品小説です。その作品に基づく戯曲のためにジョルジュ・ビゼーが作曲した組曲でもあります。凄く有名な曲もありますし、サックスという楽器が使われている最初期の曲という事でも有名です。その作品をバレエにしたのがローラン・プティです。
振付の意図や効果について私ごときが分かることは大変少ないですし、理解できないと言い切って良いのですが、踊る人が異なるだけで、全然違う感覚になります。
私が最初に見たのは牧阿佐美バレヱ団の公演で、2000年になっていなかったと思いますが、まぁ昔です。でも非常に鮮明な記憶として残っています。その後動画配信で見たマニュエル・ルグリの踊りが本当に凄かったので。
その後、オーチャードホールの25周年のイベントで久しぶりに観劇することが出来ましたし、なんと言ってもとても有名な熊川哲也さんが踊っていましたから。この日の演目はほぼ全て振付を熊川さんが行っているのに、自分が踊る作品はプティなんだ、という疑問は湧きましたけど、それでもアルルの女が見られるのは嬉しい。熊川さんのダンスは大変アクロバティックですし、映えますし、もちろん一流です。でも、フレデリという青年の苦悩、というよりは、熊川さんというダンサーが表現するダンス、を見ているという気持ちになりました。ヴィヴェットも大変有名な吉田都さんが踊られましたが、もちろん素晴らしかったのですが、ルグリとイザベル・ゲランのような衝撃があったか?と言われると、どうかなぁとも思いますし、あくまで私の個人的な好みの問題でもあると思います。
その後も違った人の動画を見てみることはあったのですがルグリほどのショッキングさは無かったのですが、先日、水井駿介さんという若い日本人のダンサーが踊っているのを見たのですが、この人が本当に素晴らしくて。
そもそもこのバレエ作品の中でファムファタルである名前の無いアルルの女、という人物は舞台上に現れません。だから説得力を持たせられるのか?というのは主演のフレデリを踊るダンサーの力量に強く左右されます。不在の運命的な女性に惹かれていることを、自分の踊りだけで表現しなくてはならないわけです。で、それが見えるように、存在しているように感じさせるプティの振付と、フレデリを踊るダンサーの技術だけでない、何かに取り憑かれた男性の狂気、まで見せつけられた時の説得力は、非常に相乗効果を生んでいると思います。逆に言えば、説得力がない、狂気までは感じないと、とても不完全に感じられやすいと思います、簡単に誰でもが踊れる作品ではない気がします。
それとフレデリの許嫁であり、結局は身を引く事になるヴィヴェットを演じる青山季可さんというダンサーも素晴らしかったです。水井さんとの対比、という意味でも素晴らしかったです。
ファランドール前のある行為でスイッチが入ってしまった、狂気の一線を確実に彷徨っているのではなく、乗り越えてしまった、躁鬱が短期間に入れ替わる様をダンスで表現されていて、しかもクレッシェンドがかかる音楽、覗いてしまった窓の存在、それまではあくまで視線の先にいたファムファタルが狂気の中でフレデリの腕の中に存在する瞬間を見せ、世界を拒否する仕草、畳み掛けるこのあたりの振付に驚嘆します。もちろん、それまでの布石があったからこそ、なんですけれど。群舞の表現の素晴らしさも当然この作品には必要非可決です。ですが、私が最も強く心動かされるのは、ファランドールという最終章の、フレデリという1人の男性の、自分の力では抗えない魅力と確実に破滅しかない未来であっても恭順してしまう、身を任せてしまう狂気の所業に、恐ろしさと共に、なんとも言い難い神々しさも感じます。我を忘れる、というのは究極の魅力があると思います。
漫画は比較的、映画を観るよりは、集中力を必要としないと思います。読み返せますし、止める事も出来る。とにかく集中力が続かないし、疲れが抜けないので、しばらくは試運転で。
「タコピーの原罪」 タイザン5著 ジャンプ+
大変局地的かも知れませんが、話題になっているコミックで、2巻で終了しているとの事。本当はwebで読めるそうですけれど、私は書籍漫画は紙派です。紙の手触りまで含めて、こちらの調子を調整出来ますから。ネタバレ無し感想としては、非常にまず、煽りが上手い。これは批判的ではなく、キャッチ―さ、流行に乗る、と言う意味で必要と思います。但し、それだけの事をするのですから、当然物語やキャラクターや絵に、それなりの責任が発生すると思います。ハレーションを起こす為にこの設定なり煽りを使う事に違和感を覚えますし、それだけなら意味がない。ショッキングを使うのであれば、そこにそのショッキングな意味だけではない責任、それに伴う説得力が必要だと思います。
しかし絵は素晴らしく上手いですし、デフォルメもポップな感覚も素晴らしいです。そして非常に流行るのも理解出来る。物語の語られるスピード、展開が早い。こういう部分は素晴らしいと感じました。
で、私はこの作品の結末や解決策、ひいてはその基になった事への言及、物語の波及が全く描かれなかった事に不満を感じますし、安易なショッキングに飛びついた、選んだ、と感じています。惜しい。もっと出来たはずなのに。こういう作品を読むと藤子・F・不二雄先生の偉大さを強く感じます。
「ミウラさんの友達」 益田ミリ著 マガジンハウス
こちらは私にとっては衝撃作だった「僕の姉ちゃん」の作者益田さんの新作です。私は姉も妹もいない世界で育っているので、本当に衝撃の作品でした「僕の姉ちゃん」。今回は本当に不思議な話しです。ですが、非常に感銘受けました。かなりの完成度と、非常に練られた脚本というか見せ方、4つの言葉の意味、友達という概念を考えさせるところまで行きます。登場人物は少ない上に、偶然という名の脚本が確かにご都合主義に見える部分もありますが、この作品のテーマはそこじゃない、と言える強みがあります。あくまで結果の為の都合であって、本来のテーマは・・・というのはネタバレに繋がるので避けておきます。どんな方にもオススメ出来る名作。
「チ。地球の運動について」 魚豊著 小学館
いわゆる地動説をどのように描くのか?という科学+歴史+宗教の漫画ですが、本当に最近の中ではかなり面白い作品でした。ただ、ちょっと後半は難しかった。たたみ方というのも非常に重要ですが、少し作者はこの作品のヒットの仕方や漫画で描く事への躊躇があったのかも、と感じる部分が後半は多々ありました。それでも、構想が素晴らしく、見せ方も非常にクレバーでイイですし、何と言っても展開の早さはここ数年の私が読んでいる漫画の中では断トツに突き抜けて早いです。ココが最も特徴あると思います。これはかなりの時間を費やして準備しないと出来ないです。だからこそ、余計にたたみ方をもっと丁寧に出来たんじゃないか?と思わずにはいられないです。しかし、そういう事を除いても稀有な驚きに満ち溢れた作品です。しかし本当に宗教とかなんでもそうですけれど、私が絶対の正義の側にいる、と思った人間ほど無慈悲な残忍さを表しますよね・・・権力がある側はだからこそ、無い側への配慮、それもある種の優しさは必要だと思いますね。それが出来ないのであれば民族浄化を肯定する事になります。それも恐ろしい。人間は進化出来てない、と強く思います。テクノロジーが進化したので、進化している様に感じますけれど本質は全然変わってないと思いますね。
「北北西に雲と往け」 入江亜季著 角川コミック
アイスランドを舞台に描かれるミステリーです。昔観た映画、フレドリック・トール・フレドリクソン監督 永瀬正敏主演の「コールド・フィーバー」を思い出させてくれる漫画です。旅行をしているかのような感覚になれるまさにコロナ禍に求められる作品だと思います。かなり突飛な作品、ファンタジー色強めな作品ではあるのですが、それだけじゃなく、非常にリアルな食事や文化を描いていて、なかなかなミステリだと思います。ま、かなりのファンタジーではあるので、その点は仕方ないと思うし、完結していないので、まだ判断保留ですけど。
くらもちふさこ原画展にも足を運びましたが、本当にときめき、だけに特化した作品が多いんですけれど、それって非常に王道で、だからこそごまかしが効かないわけで、本当に凄いと思います。特に天然コケッコーとアルファと連作+アルファは名作ですけれど、さらに駅から5分と花に染むも素晴らしかったです。
最後に漫画じゃなくて頭の中をぐるぐる回る曲を。頭の中を侵食される感覚。
え~とにかく疲れてしまい、全然集中力が続かなくなってしまいました・・・映画を観ようという気持ちにスイッチが入りにくいし、集中出来ないと作品に対して申し訳ない感じになりますし・・・感想も全然面白くないモノになってしまいそうで・・・
と思っていたら、U-NEXTさんに、あの内田けんじ監督の「運命じゃない人」が追加されていて!という訳で、観ました。
「運命じゃない人」
内田けんじ 監督 PFF
かなり前に観た作品ですが(と思ってブログを振り返ってみたのですが、新しくしたこのブログ2010年6月からってもう12年以上前じゃないですか・・・その前のブログが2008年12月から続けているので、え、もう14年も続いているんですか・・・え、14年も恥をさらし続けて・・・)凄く楽しく観返せました。流石の脚本の練り上げ方!ハリウッドに対抗出来るのは脚本のチカラと編集だと思うんですよね。CGがどんなに何でもできるとしても、結局実写には敵わない事は壮大で莫大なお金をかけてクリストファー・ノーラン監督が証明しつつありますし。でも、もちろん流行りの問題もあると思いますけれど。
タランティーノの編集が好きな人なら是非のオススメ作品です。しかも割合ハートウォーミングだと思います。短いけれど、試運転中なんで。とにかく、精神的に疲れが続いています・・・
色々ありましたので、大変疲れました、精神的にも肉体的にも。人の世は本当に様々な人がいて、様々な立場がございますが、出来るだけ穏便に済ませたいです。とはいえ、プライドとか自尊心とか矜持とか譲れないモノがあると、なかなか思うようにいかないものです。それでも、完全に敵対関係になる事に、メリットはないと思います、ウクライナを見ていても思います。多分、ウクライナの人はきっと何世代化に渡って、ずっとロシアを恨むと思います。それがロシアの利益に繋がるとは思えません。要は敵愾心は何も産み出さない、もしくは産み出したとしてもネガティブなモノになる、という教訓を得た、という事です。それだったら、そういう場所から、人間関係からは離れるに限りますね。それと同じように、な話しは止めておきましょう。
で文化的な摂取なんですけれど、久しぶりにお休みだったので、東京都美術館にフェルメール観に行きました。
フェルメールは多分1点だけだと思いますが・・・ま、それは良いとして、何故か歯医者の絵があって、急にこの17世紀辺りから、聖書とか神話じゃなく、生活の中が絵の題材になるのが面白いと思いました。
当時の歯科の抜歯、大変だったんでしょうね・・・麻酔も無いですし、恐ろしい・・・
その後は国立博物館で行われている空也上人像も見れました。
しかしスゴイ造形物。なんでこの形にしようと思ったのか?発想が凄すぎます。そして作ってしまう所も、そして現代にまで現存しているのも。
その後東京国立博物館平成館で行われているポンペイ展も観てきました。
ここは写真を撮って良いのです。嬉しい。
足の部分が凄い。それと三つの足を持つ机とか花瓶を見ると、どうしても宮部鼎蔵という人物を思い出してしまいます。
なんに使われていたのか?不明ですが、とにかく恐ろしい道具、拷問に近い道具に見えてしまうのは、私の偏見なんだと思いますが、とても恐ろしさを感じます。
気になって調べている人物の息子、でも息子の方が有名な、アレクサンドロスⅢ世と思われる人物。この場面はイッソスの戦いの一場面と言われていますが、ダレイオスⅢ世の顔と対照的で、アレクサンドロスⅢ世が凄く凛々しく、しかもこの両者の顔が判別できるくらいに残っている、というのが凄い事だと思うのです。
当然桜も素晴らしかったのですが、息抜きに来たのに、あまりに詰め込んでしまい、かえって疲れるという何が何だか、という感じで・・・
文化の摂取が無いと、本当に味気ない人生になってしまうので、とはいえまあ6月までは非常に忙しいと思いますので、ならし運転な感じで。