井の頭歯科

「アルルの女」

2022年4月26日 (火) 09:13

ローラン・プティ振付作品が私は好きなんですけれど、まぁバレエの話しは凄く伝わりにくいですよね。言葉が無く、しかも日常的に踊りを使って表現する、という事に慣れていない上に、私はそもそも踊った経験がほぼゼロですから、文脈的にも、マイム的にも、意味が読み取れるように(すみません、おそらくダンサーやコリオグラファーの10000分の1程度の理解だと思います。何しろ現場で何が起こっているのか全く知りませんから。経験者じゃなければおそらく全員そうでしょうけれど)なるのに時間がかかる文化です。それでも人は何かを伝える場合は言葉が最も汎用性が高いですから。言葉で説明するのが難しいと思うのですけれど、そういう場合は比較するのが最も分かりやすいのではないか?と考えています。

40分程度の作品ですし、そもそもアルフォンス・ドーデの大変短い、わずか10ページほどの小品小説です。その作品に基づく戯曲のためにジョルジュ・ビゼーが作曲した組曲でもあります。凄く有名な曲もありますし、サックスという楽器が使われている最初期の曲という事でも有名です。その作品をバレエにしたのがローラン・プティです。

振付の意図や効果について私ごときが分かることは大変少ないですし、理解できないと言い切って良いのですが、踊る人が異なるだけで、全然違う感覚になります。

私が最初に見たのは牧阿佐美バレヱ団の公演で、2000年になっていなかったと思いますが、まぁ昔です。でも非常に鮮明な記憶として残っています。その後動画配信で見たマニュエル・ルグリの踊りが本当に凄かったので。

その後、オーチャードホールの25周年のイベントで久しぶりに観劇することが出来ましたし、なんと言ってもとても有名な熊川哲也さんが踊っていましたから。この日の演目はほぼ全て振付を熊川さんが行っているのに、自分が踊る作品はプティなんだ、という疑問は湧きましたけど、それでもアルルの女が見られるのは嬉しい。熊川さんのダンスは大変アクロバティックですし、映えますし、もちろん一流です。でも、フレデリという青年の苦悩、というよりは、熊川さんというダンサーが表現するダンス、を見ているという気持ちになりました。ヴィヴェットも大変有名な吉田都さんが踊られましたが、もちろん素晴らしかったのですが、ルグリとイザベル・ゲランのような衝撃があったか?と言われると、どうかなぁとも思いますし、あくまで私の個人的な好みの問題でもあると思います。

その後も違った人の動画を見てみることはあったのですがルグリほどのショッキングさは無かったのですが、先日、水井駿介さんという若い日本人のダンサーが踊っているのを見たのですが、この人が本当に素晴らしくて。

そもそもこのバレエ作品の中でファムファタルである名前の無いアルルの女、という人物は舞台上に現れません。だから説得力を持たせられるのか?というのは主演のフレデリを踊るダンサーの力量に強く左右されます。不在の運命的な女性に惹かれていることを、自分の踊りだけで表現しなくてはならないわけです。で、それが見えるように、存在しているように感じさせるプティの振付と、フレデリを踊るダンサーの技術だけでない、何かに取り憑かれた男性の狂気、まで見せつけられた時の説得力は、非常に相乗効果を生んでいると思います。逆に言えば、説得力がない、狂気までは感じないと、とても不完全に感じられやすいと思います、簡単に誰でもが踊れる作品ではない気がします。

それとフレデリの許嫁であり、結局は身を引く事になるヴィヴェットを演じる青山季可さんというダンサーも素晴らしかったです。水井さんとの対比、という意味でも素晴らしかったです。

ファランドール前のある行為でスイッチが入ってしまった、狂気の一線を確実に彷徨っているのではなく、乗り越えてしまった、躁鬱が短期間に入れ替わる様をダンスで表現されていて、しかもクレッシェンドがかかる音楽、覗いてしまった窓の存在、それまではあくまで視線の先にいたファムファタルが狂気の中でフレデリの腕の中に存在する瞬間を見せ、世界を拒否する仕草、畳み掛けるこのあたりの振付に驚嘆します。もちろん、それまでの布石があったからこそ、なんですけれど。群舞の表現の素晴らしさも当然この作品には必要非可決です。ですが、私が最も強く心動かされるのは、ファランドールという最終章の、フレデリという1人の男性の、自分の力では抗えない魅力と確実に破滅しかない未来であっても恭順してしまう、身を任せてしまう狂気の所業に、恐ろしさと共に、なんとも言い難い神々しさも感じます。我を忘れる、というのは究極の魅力があると思います。

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