非常に衝撃の大きかった相模原の事件、その関連書籍を2つ読みました。
「相模原障害者殺傷事件」 朝日新聞取材班 文庫オリジナル 朝日文庫
と
「U 相模原に現れた 世界の憂鬱な断面」 森達也 講談社現代新書
どちらかと言えば、前者が事件の概要を、新聞として時系列に、そしてその後の裁判の結審までを追ったもので、後者は、事件の後著者が1回だけ接見をし、その後様々な専門家との話し合いをまとめた考察です。
森達也さんの書籍を読むのは初めてなんですけれど、やはりドキュメンタリー作家、という手法を上手く用いていますし、考察はとても真摯に受け止めています。
事象が起こってから、衝撃から来る激しい反応、その後の詳細ではありますが、結局のところ本人でしか分かり得ない思考の辿った軌跡に、思いを巡らせている後者の書籍は、なかなかに驚きがありました。
常々、テレビとかメディアで扱われる報道について、凄く分かりやすく、丁寧、に作られているその重要性も理解はするのですが、もう少し冷徹で検証に満ちた、出来れば記者名が付く報道を期待したいのですが、どうしても、マスメディアというのは、多くの人に届けなければなりませんし、結局のところ、報道を売る、仕事なので、仕方ないのかも知れません。でも、もう少しゾーニングのある報道を望みたいですね・・・もっと触りやセンセーショナルな部分を煽る報道ではなく、時間が経過しても良いので、速報性ではない報道を期待したいのですが、なかなか難しいのでしょうね。だからこそ、書籍としての報道のように事件経過を知るのは、事実を知る上での助けになると思います。事実、と言っていますけれど、その事実は様々な角度、立場から見れば違って見えると思うのです。
そういう意味では、森達也さんの立場は、とてもファジーで、様々に考えてしまうからこその、面倒くささはあるものの、だからこそ、自分事として捕え、多くの報道では見落とされ、無かった事にし、単純な健全で安全な我々と、悪意のある害である犯人という単純な線引きをしないところに、重要な部分があると思うのです。
もちろん、事件は実際の所、事件は起こり、そして裁判という、何が起こったのか、どうしてこんな事が起こったのか?を解明するほぼ唯一の機会が過ぎ、刑の確定が行われた事で、更なる事実を本人に問いただす事は出来なくなりました・・・
どんな事件でもそうだと思うのですが、感情を煽って、裁判にまで影響を与えて良いのか?という疑問はあるのですが、裁判といえども社会の中の組織の一つ」なわけで、影響を完全に排除する事は不可能であるおは当然としても、だからこそ、ルールや自衛が必要なだけで、そう言うモノだから仕方ない、とはならないと思うのです。本当に者愛は複雑ですし、だからこ、この社会で生きている、構成員である市民(当然私も含まれる)の知識感情民度というモノが重要なので合って、その総体に比例した結果なのだと思うと、もう少し感情を抑える事が必要ですし、そうでないと、同じような事を防ぐのが難しくなると思います。
それにしても、私は精神科医ではないので分からない事ばかりですが、人格障害という概念、病気ではないけれど、という部分をどう扱うのが良いのか?もっと社会が考えなければいけない時期に来ている気がします。どうしてこんな人がいるのか?その過程が恐ろしいからこそ知りたいと思うのです・・・
社会の中で生活している人にオススメ致します。