瀬々 敬久監督 東宝 トーホーシネマ新宿
久しぶりに映画館に行く時間が出来たのと、原作を漫画化した「ラーゲリ〈収容所から来た遺書〉」河井克夫著 を今年に入って読んだ事があったので、地雷臭はあったのですが、足を運びました。
漫画「ラーゲリ〈収容所から来た遺書〉」は大変素晴らしい漫画で、非常に淡々と描かれていて、そして事実を、ただ、そのままに届ける事を目的とした漫画化で、とても好感持ちましたし、非常に重い事実を伝わるように、細心の注意を払われているように感じました。何と言いますか、この非常に重い事実を、事実性を担保出来るように、伝えよう、漫画化しようという、気概とも取れるような作者河井克夫さんの心情を感じます。
しかし、この作品を映画化する、というのは結構ハードルが高いし、非常に暗くて重い感じになるし、どうなんだろう、と思いました。そして、だからこそ、観てみようかなと思った次第。まぁこちらから当たりに行ったので、その責任はほぼ私にアルと思います。
1945年の8月満州国の新京で開かれた結婚式に招かれた満州鉄道の社員である山本は、敗戦が間近に近い事を知りつつ・・・というのが冒頭です。
感動作品、という事になっていますし、よく見ると、ラーゲリからの手紙 とか遺書、ではなかく、愛になってて、ココで気がつくべきでしたし、最近は予告編をあえて見ないのが習慣になっているので、気付かなかったですし、せめてポスターは確認した方が良かったぞ、過去の私よ。
最初に、良かった点。
東宝は、莫大な資金を持っていますし、それを映画の製作費に充てる事が出来るので、あとは作品とか監督とかを厳選すればいいのではないか?と思いました。
そして、主演の方の声の演技は、なかなか上手いと思います。演技が上手いとか下手って、極論すれば、映画の中に没入されている状態で、演技を観て醒める、あ、これ演技なんだな、と思わせてしまう事だと思います。そう言う意味で、この二宮和也さんのある場面の、声の演技は素晴らしかったです。
さらに、助演とも言える立場の、まず、松坂桃李さんの、喜んではいけない場面での喜びたいけれどどうだろう?という時の目の挙動不審な演技が最高に素晴らしかったです。もう1人は安田顕さんです。これまで見た事が無い種類の演技をされていて、この方も説得力がありました。
さらにさらに、ラーゲリというのは収容所の事なのですが、その無名の俳優さんたちの、種々様々な顔立ち、そのレパートリィの多さ、多様性と言ってもいい、キャラのエッジの多さですね。これも東宝さんならではのなせる業だと思います。
凄くイイところがたくさんある映画と言えると思います。
でも、それでも、凄く引っかかるところもたくさんあって・・・
ま、みんな好きな映画を観ればよいですし、好きな感想を抱くものだと思います。その感想はその人のもので、意見が違って良いと思いますし、それはそれでとても大切にすべきものだと思います。
ですが、個人的には、なんでこうなった?と思わずにはいられない部分も、かなり感じましたし、ある種、DAINASIにしているとも思いました・・・
映画館内は、公共の場だと、私は考えます。だから、暗くなった劇場で、うるさくしたり、スマートフォンの明かりをお構いなく他者に浴びせる人間は、退場させるべきだし、マナー違反です。もちろんお金を払って観ている方々ですから、劇場としては退場させるまではしていないと思いますが、退場させる劇場があったら、ひいきに観に行くと思いますし、その姿勢を肯定的に感じます。
同じように、公共の場で泣いている人がいるのは、それなりの理由があるのでしょうけれど、自宅で、やって欲しいな、とも思いますし、涙の出ない悲しみと言うモノも存在すると思います。私に寛容性が薄れている、年齢からくる心の狭さとも言えるという自覚はありますけれど、しかし、それを他者に強制はしていないので、頭の中では映画「ゴッド・ブレス・アメリカ」の劇場内シーンと同じ行為を行っていますが、頭の中なので許される行為だと考えています。
公共の場では裸になりません、恥ずかしい事ですし、自宅で行って欲しい。というのと同じように、盛大に嗚咽をこぼされるのは、非常に迷惑だと感じます。そして泣くというカタルシスを行う事で、その後にその事を、泣くほどの辛い状況を、忘れ去り、軽んじている気さえします。
泣いてスッキリして忘却、うちの国の特性かも、と思わせますし、だとすると悲しい。
前置きが長くなりましたが、果たしてこのような重い現実を、泣けるエンターテイメントにして良いのか?という疑念が生じた、という事です。はっきり、泣ける、という方向に、映画的演出を行っています。この、泣ける演出、というのが、下品に感じました。
それと、演技の上手い下手を役者の能力として判断される事が多いと思いますが、そのシーンの演出で、監督に指示を出された結果、指示を出さなかったとしても、監督という裁量権を持った方がOKを出した、という事実を考えてしまいます。この演技をOKにしたのは監督、という事は、役者は言われた通りに行って、監督の指示の中でベストと思われる演技を行っているのだと思いますので、それは役者の演技が上手い、下手、という事ではない気がするのです。
今作で言えば、アイザワを演じている桐谷健太さんの、怒るという表現は1種類しかなく感じますし、非常に幼稚な怒る演技、怒っているのではなく、1種類しかない怒っている演技を演じさせられている人、を何度も見せられるので閉口します・・・
犬を使った場面全てのシーンに、とても安易でなおざりな感覚を持ちました。泣かせに、かかっている、それもあまり考えもせずに、という風に見えた、という事です。
そして登場人物たちすべてが、心情をほぼすべてセリフで説明してくれるのも、橋田寿賀子メソッドで、幼い観客を想定しているのであれば、映倫ももう少し区分の幼さ、年齢では無く、幼い人向け区分というのを作っていただき、幼稚度8歳くらい対象、とかで表して欲しいです。
総じて、お金の使い道含め、凄く残念な印象を持ちましたし、映画会社の志は低い、と感じずにはいられないですし、これが一般的に受け入れられているのだとすれば、世界は徐々に残念ながら、くだらない方を善しとするようになってしまってはいないか?単純に善と悪や正義と不正義というお子様感覚できっぱりと分かれる方向を求めているのかと思いますし、暗澹たる気持ちになりました・・・
1つだけ、指摘しておきたいのは、山本はラーゲリ内で何故そんなに慕われていたのか?をもう少し見せないと、全然説得力が無く、何でこの人こんなにいろいろな人に構われ、尊敬されたりしているのか?が伝わってこないと思いますし、ここがおざなりだと、この人が説く親切心とか道徳的な価値などすべてが薄っぺらく感じてしまう恐れがあると思います。凄くこの作品のテーマに対して不誠実。
それでも、映画化云々ではなく、この映画が扱っている事実は、知らないより知った方が良いというのは変わらないです。この重い現実はもっと知っている人が居て良いと思います。
本当は、もっと、倒れる人が砂を掴んでる演技とか(現実にそんな事をしている人を私は観た事がありません)、鉛筆が落ちるという手垢が付きまくってまさか令和の時代に新作映画で観る事になる事とか、みんなラーゲリにいるのに歯が白くて眩しいとか、いろいろあるのですが、そういうのは全部忘れる事にします。
8歳くらいの今を生きている人に、ややオススメします。大人の人、または映画をよく見ている人(は多分予告を観れば気付くとは思いますが)は鑑賞には十分なご注意を。