チャールズ・チャップリン監督 ユナイテッド・アーティスツ 吉祥寺アップリンク
フォーエバー・チャップリン
多少は観ているチャップリンの作品で観たつもりになってたのがこの作品です。でも、多分初めて鑑賞しましたし、映画館でチャップリンの作品が上映しているの、とてもうれしいです。正直、全然古さを感じなかったです。
1930年代(1929年の世界大恐慌は始まっていて、1939年の第2次世界大戦は始まっていない)のフランスの田舎街のある家族の食後風景から始まります。そこでは失踪したかのような姉の存在に話題が集中して・・・というのが冒頭です。
これまで、好みのチャップリンの作品と言えば、昔の記憶ですけれど、やはり「街の灯」が最も好きで、次いで「独裁者」だったのですが、今この作品を観て、その評価が変わりました。
本当に素晴らしい作品。
とにかく、キャスティングが最高に素晴らしく、トーキー映画に進出したチャップリンが職業的殺人者、という役を演じているのですが、この今までのイメージとの落差が恐ろしいまでに大きいですよね。
それでも、有名なセリフである「戦争や紛争は全てビジネス。1人の殺害者は犯罪者を生み、100万の殺害者は英雄を生む。数が行為を神聖化する」は鋭い指摘過ぎて、2022年に起こった悲劇で今も続いているウクライナの状況を見ても納得しかないです。
このはたから見ればただの犯罪者ですし、何人もの人を、己の欲望の為に殺人をしている人物が、コミカルな笑いを誘う演技を観ていて、笑ってしまうと同時に、生活の為の彼の中に存在する、ある種の合理性と矜持を考えて、ただの生活者に見えるのに、冷徹な殺人者というのが、考えさせられる仕組みになっていて、素晴らしい。
特に演出上必要が無いと考えたからこそ、直接的な描写は、ある刑事の時だけですし、しかも寝ているように見えるわけです。
だから心の底から映画を観ていても笑えるのに、ラストとの対比、そしてこの非常に不条理で個人のチカラではどうにもならない『世界』を生き残る為に、手を汚すアンリ・ヴェルドゥ(=チャップリン)の事を簡単に非難出来ないように仕上がっていると思います。特にある女との邂逅に、芥川龍之介著の「蜘蛛の糸」のカンダタの善行を観るからだと思います。
この女性の眼差しの強さと存在感、ちょっと普通の人に出来るわけがない、相当な女優さんだと思い、調べてみると、マリリン・ナッシュという女性で、しかもチャップリンがスカウトしています・・・キャスティングについても恐ろしい腕前を持っていたのだと思うと、本当に凄い人だな、と思います。
世界(多分、いやなんだけど、うちの国で言うなら世間。この差が大きい。)との軋轢の中で個人を生きる事の難しさ、その苦難を知りつつ、それでも全力で家族の為に、手を汚し、しかしその被害者からは、一様に、ある種愛され、ある意味生涯を共にしようとまで思わせている訳で、恐らく、死人に口なしでしょうけれど、対象者の女性たちはみんな、ある程度納得もしていたし、構って貰えて幸せな瞬間を味わったんじゃないか?とすら思わされました、もちろんだからと言って被害者が良かったとは言えないのですが。そう思わせるのに、花屋の女性を使うのも、上手い。あの女性は、ある種ほだされてると思います、ターゲットですらないのですけれど。
世界恐慌と世界大戦という非常に暗く重く厳しく辛い現実に抗った人間の生き方、その最後のけじめのつけ方には、迷路のような偶然すら必要とする旅路の果てにしか見られない境地を描き出されているような気さえしました。
世界に抗う個人と言う意味では、増村保造監督はこの映画をどう見たのか?評伝でもいいから読んでみたいし、増村監督であれば、マリリン・ナッシュを主人公に、続編の映画を作ってても不思議じゃない作品だと思います。
もし現代であれば、マリリン・ナッシュ演じる女は、軍事産業の妻ではなく、自ら軍事産業を興した起業家になってたのではないか?そうすると、また違った味わいがある気もします。しかし、美しい。
大声で笑う船長だと思いこまされてる女性のキャスティングは本当にぴったりですし、最初に登場する一家の、何と言いますか、山田太一ドラマを見ているかのような既視感とか、小船のドリフのようなコント、パリの街並みに帰る度にかかる音楽の洒脱さ、まるでモンティ・パイソンのスケッチのような理不尽とかの全てが、チャップリンが先なんですよね。
チャップリンが好きな方に、映画が好きな方にオススメ致します。