フィリップ・ウィチュス監督 UPLINK AmazonPrime
友人のKくんのオススメだったので。
とあるインドにある寺院の1日を追ったドキュメンタリー映画です。
とにかく、観ていただくしかないのですが、物凄い数の人間が映し出されています。そして、その自院での食事の準備、食事風景、後片付け、を写しているだけです。ナレーションも無ければ、BGMすらありません。
つまり、フレデリック・ワイズマン方式、観察映画と言っているのは想田和弘さんですけれど、どう考えてもワイズマン方式だと個人的には思います。
とても圧巻な映像で、映像美も素晴らしく、さらにそこに人間の生活中でも『食事』に焦点が当てられています。生きる為には食べないといけない、という仏教用語で言う「業」の話しでもあります。
説明はされませんし、ラストに字幕が少しあるだけです、あとは観る事で、しかも観客である我々視聴者側から能動的に意味を見つけなければならない作品。
この、能動的に、という部分が、高度資本主義社会でどれくらい生き残っていけるのか?を不安に感じる事があります・・・高度資本主義社会って、負荷のかかる事の利便性を上げる事でそこに価値を見出し、金の流動性を高める事だと思われるからです・・・
だから、これは太古の昔から言われている事で、そしてだから大丈夫だと、思いたいのですが、これだけテクノロジーが発達していても、人間という有限の姿形や思考回路の変わらなさを考えると、この先は大丈夫なのか心配になりますが、いわゆる「今の若い人たちは・・・」的な事です。説教は歳を取ったらやめると心に決めていたので、これは説教とかではないと思いたいのに、読む人には説教に聞こえるだろうな、とも思いますけれど、それでも、高度に発達した資本主義社会の中で、いわゆるオジサンである私が50年ばかり生きてきて、自分が体験した事と比べて、2020年代の子供さん方の、何もかもが受動的、それも保護者や教育機関までもが、事前に何もかもを準備する事が当たり前になっている傾向を見ると、恐ろしくなります。もちろん私より前の戦争を経験している人から見れば、私にも同じような過保護さを感じたでしょうし、重々理解しているつもりなんですけれど、それ以上の撃たれ弱さや、何もかもに受動的な感覚が恐ろしく見えたりします。ただの器具でしょうけれど、ね。
だから、映画鑑賞よりも読書の方が能動性が高く、ある種尊い作業。でも文章を読む、能動的に受け取る、という訓練をしていないと、なかなか身につかないですし、趣味が読書の人の割合はずっと減り続けているのではないか?と言っていたのは斎藤美奈子さんだったような・・・
話しがそれてしまいました・・・
映像美も素晴らしい作品ですし、これだけの数の人間を見ると、それだけで壮観です。
本当に不思議な映画。
フレデリック・ワイズマンの映画が好きな方にオススメ致します。